このところ神棚の清掃や飾り付けを行っている。大晦日の午前中までに何とか形が整った。基本的にはシバの葉を交換し、お神酒を上げ、半紙の上に鏡餅を供える。それが神棚、年神、大国様、恵比寿様、火の神、地の神と6ヶ所ある。しめ飾りは玄関の他に神棚と年神に火の神に飾る。玄関と年神は正月が去れば撤去するが、神棚と火の神は飾りっ放しとなる。これら以外は簡易なお飾りを掲げる。これが我が家の昔からの習慣だが、記憶も曖昧になり時々忘れたりするから、実際にはアバウトなモノ。今回も年神様用にしめ飾りを買い求めたら適当な物が売り切れ、やむなく御坊巻きを購入したが、やはり寂しい。それでダイダイとユズリハを切って来て中央に取り付けたが何か変。ウラジロが無いと気付き、裏山で一枝切って来て後ろに配して形にした。考えたら出来合いよりしっかりしていて生き生きしている。このやり方も悪くは無いなぁと、来年の選択肢に入れ様としている。要するに何でもアリで良いんだと考えている。 ところでオンマウス。午後食材の買い物に出たらサトイモが売り切れ。我が家では正月の雑煮にはサトイモが付き物だ。カミサンから畑から取って来いと指示が出たと思ったら、大き目のを洗って持って来いときた。すきクワで土を起こしサトイモを物色し、水で土を流し落してから容器に入れイモ洗い。これで新年からサトイモ入りの雑煮が食える。最初からそうすりゃ良いのに…。今年も慌しく、多くの懸案を抱えたまま暮れていく。今年の紅白は興味津々だったが、孫たちの相手でそれどころじゃなかった…。 |
12月19日に文豪Mini7仲間の友人から届いたメールが刺激になっている。その後複数回メールのやり取りをしているが、そのおかげで頭の中は1990年代前半、すなわちWindows95が世に出る前の時代に遡っている。PCは未だ好き者の世界で、Windows3がボチボチ動き出した頃。ネットワークも電話線環境、スマホは勿論なかった。電話線とModemを使ってPC-VANやNiftyのサーバーにつないでいた時代だ。いわゆるパソコン通信時代で、Text(文字)通信が主体で、リアルタイムで画像や動画がやり取りできる現在は想像も出来なかった。それでも熱心なマニアが高価なPCを避け、安価でプリンタも内蔵するワープロのMS-DOSを叩き起こし、汎用PCに仕立て上げパソコン通信を楽しんでた。書き出すと切りが無いのだが、汎用のMS-DOSアプリが動く様になり、当時としてはかなりレベルの高い楽しみ方をしていた様に思う。 それで、友人からのメールは大いなる刺激になった。ここ数年動かしていない文豪Mini7RXはどうなっているかと、深夜になって工房の棚に鎮座する2台に電源を入れに行った。ところが起動FDD側がカラカラ音がするだけでブートデータを読み込んでいない。これ2台共同じ現象だ。ブラウン管ディスプレイには「編集フロッピーを0番にセットしてください」と警告メッセージが出る。ここまでくるとFDDのベルト断かスリップだと直感。また余計な仕事が出来てしまったと呟いた…直す気になっている。やはりマニアは物好きだ。 |
取り敢えずミカンの収穫には一定の区切りをつけた。ただ、今期は冷え込みは暫く来ないだろうと、屋敷のミカン畑にポンカン1本とセトカ2本を、そして田んぼ他にはるみの後拾いを若干残している。まぁ大した量じゃないので1人でも半日も掛からない。それより年末の挨拶回りに奔走する。まだお元気な叔母様や、年貢だけでミカン園地をお借りしているお宅など6軒と、菩提寺である保福寺を回る。毎年のことだが、行き付けの魚屋さんでカニの箱詰めを用意したり、ミカンを箱詰めしたりと結構忙しい。カニは冷凍なので、留守の場合は持ち帰り自宅の冷蔵庫で待機させ、翌朝に回ったりして対応している。これは暮れの一大イベントで、この1年の御礼と、来年のお願いをして回る。 28日は我家では餅つきの日と決まっている。前日の夜カミサンがもち米の仕込みを行い、早朝から餅つきが始まる。昔は臼と杵だったが、平成になってからは全て餅つき器で行っている。木の臼と杵が何処かに有る筈だが、今となっては使おうとも思わない。ところで写真。最初につき上がった餅からお供えを作り、残りを切り餅として伸ばしている様子。お供えは、複数ある神様に10組程を作り供える。 オンマウスの見慣れない機会。友人からQSYしてきた2台のLPKF ProtoMat(ミーリングマシン)、下側はM30だが、それに乗っている上側は不明。これにPCから設計データを送り込めば、プリント基板の銅面をミルで切削してくれるシロモノらしい。さて、どうしようか…HPA基板の製作が高精度になる。 |
昨日12月24日、朝から伊野のポンカン切りが始まった。伊野の日の出は9時頃なので、8時頃から始めると寒くて足や手の指がかじかむ。特に足は指やかかとが霜焼け状態になり痛い。この日絶対に切り終える勢いで始まったが、あともう少しの段階で16時を回り日没。更にコンテナも底を突いた。それで、急遽カミサンの愛車軽ワゴン(エブリィ)の後部をコンテナ代わりにし収穫したポンカンを収容(写真)。その量はコンテナにすると6杯程度。面白いもので終わりが見え出すと俄然元気になってくる。陽が沈むとブツブツ言ってくる筈のカミサンがやたらと元気だ。切り終わったのは16時半頃で、早々に貯蔵庫へ運びポンカンの予措エリアに並べた。これで一連のミカン切りは終了したことになるが、予措を終えたミカンの貯蔵作業が待っている。 翌12月25日、収穫の終えた園地の施肥を開始。収穫前に施肥する人もいるが、我が家ははるみやポンカンはそれに従っているが、収穫後は全てに施肥している。いわゆる御礼肥えだ。この日は舞台早生→舞台甘夏(収穫前)→屋敷南はるみ→田んぼ早生・青島・はるみと回り時間切れ。明日以降、汁見谷青島・はるみ→寺山寿太郎→伊野ポンカンへ施肥の予定。 先に切り終えたと記したが、施肥で園地を回ると、着色がどうにも遅く残してあるはるみが散見された。それがここ数日の冷え込みで急に色が来ている(オンマウス)。気候や諸事情でベストタイミングで収穫できないのは悩ましいところだ。これらは年内に後拾いするが、コンテナ2〜3杯程度の量になりそうだ。 |
12月22日は今季初の氷点下で初氷が張った。6時10分に起床して、明るくなるのを待つと屋敷のゆら早生畑は霜が降り真っ白。そして玄関のアナログ式温度計は-0.2℃。もしやと車庫前に置かれたバスタブを見に行くと厚さ1o程の氷…初氷だ。1oだと氷を割って手で持つことが出来る。そして12月23日、前日より寒く-0.3℃。同様にバスタブを見に行くと、何と7〜8o程度の厚さで凍っている。写真はその様子で、割って手にしたもの。落ち葉もろとも凍っている。更に12月24日。この日は自宅玄関の温度計は1.5℃。これじゃ氷は張らないだろうとバスタブへ赴くと、何と貼っている!。ただ割っても手に取ることが出来ない程に薄い…0.5mm程度だろうか。何れにせよこの3日間の冷え込みへこの程度で助かった。これ以上冷えると未だ収穫が終わっていないミカン(はるみ・太田ポンカン)への果皮障害が危惧されるから。しかし自然はスゴイ。当地では毎年12月、ほぼ必ず氷が張る…記憶によると1度だけ張らなかったが。 ところで22日は冬至。汁見谷で収穫した本柚子と花柚子の内、やや小振りな花柚子で柚子風呂を仕立てた。包丁を入れた柚子をナイロンネットに入れ風呂に漬けほぐした。柚子の香りもさることながら、ピリピリと皮膚を突く感触が何とも言えない。これ殆どカミサンからの指示だが、毎年の時季の風情を思い出させてくれ感謝している。オンマウスは汁見谷から収穫してきた花柚子。実が付いた頃はカボスかと思っていたが、色が付いてからカボスじゃないと気づき、色々調べて花柚子と分かった。薄黄色が蛍光色の様で何とも言えない。やや小振りだが、包丁を入れてから絞ると、果汁が一気に滴る。 |
ミカンの収穫に明け暮れている。田んぼの早生と青島、汁見谷の青島の後拾いを前日までに済ませたが、早生はコンテナ2杯、青島は20杯にもなった。着色不足が後拾いの理由だが、それにしても青島はチト多すぎると内心。早生は大玉が中心だったが個配で完売。青島は予措中の列に並べた。さて、今日からはるみの収穫を始まった。例年だとポンカンの収穫を終えてから取り掛かることが殆どだったが、今年はポンカンの生育(着色)にばらつきが目立ち、一部は様子見様態になっている。着色が進むまでの間にはるみを収穫しまう段取りだ。そして12月20日は、いよいよはるみの初切りとなった。 写真は汁見谷のはるみ。成年男子の拳程度の大きさで色付いている。日が当たる場所より、やや日陰になる位の方が果皮が綺麗で着色が安定している。オンマウスは田んぼのはるみを収穫中のカミサンと姉。摘果不足でやや生らせ過ぎの感があるが、ちょっと小振り位の方が味が濃くて美味い。収穫後凡そ1ヶ月半程度貯蔵し酸味が抜けるのを待つ。JAの荷受け(初出荷)は来年1月終わりか2月初めになる見込み。ところではるみの園地が今年から増えた。屋敷南で半年以上放置状態だった園地を借り受け、7月から管理を始めている。引き受けた時は殆ど真っ黄色の葉でどうなるか心配だったが、施肥や農薬散布、そして協力な摘果をする等して樹勢の回復に努めた。その結果、発芽や着花時のケアは全くできていないが、400kg程度が実った。なので今季のワケアリはるみの頒布量は、例年より増えるものと思われる。こちらは、早々に木箱に入れ自宅の車庫内に格納し、予措後貯蔵体制になる。 |
Windows95が到来する前のパソコン通信時代、Biglobeに文豪ユーザーズ倶楽部と称するSIG(SpecialInterestGroup)があった。連日文豪ワープロを汎用PC化して活用するための情報交が行われていた。当時の仲間のメールアドレスは殆ど喪失状態にあるが、唯一連絡が可能だった彦根のT氏から何十年振りかでメールが届いた。件名に「超ご無沙汰…」とあった。ずっとパソコン通信時代と同じアドレスを使っていたので難なく届いたのだろう。用件は、当時のメンバーM氏のメールアドレスと、文豪ワープロを汎用PC化するためにやり取りした当時の資料のお尋ね。M氏ともWindows時代になってからメール交換があったが、Biglobeアドレスは使えない状態だった。また度重なるPC交換や異動で、過去資料の在りかが全く分からず現在捜索中。それはさて置き、余りの懐かしさで、当時のことが一瞬にして蘇った。40代そこそこだったと思う。文豪ワープロでWidowsを起動し、インターネットへつないでテキストベースのネットサーフィンをやり、見たい画像はその都度ダウンロードして見る時代だ。今の様にテキスト・画像・動画・音声がブラウザ1つで閲覧できる時代ではなかった。良くそんなノロいことをやっていたと思う。極めつけは自作SCSIボードで、マザーボードからアドレスバスとデータバスを引き出し外部HDDを繋いだ。FDDのみのブートを、途中からHDDに切替える手法でクイックスタートが実現。そしてWindowsPCからもSCSI経由でHDDアクセスすると、HDDを文豪と共有できるSCSIネットワークが構築できた。T氏は文豪がもたらした環境や技術資料をまとめて置きたいと一念発起された様だ。我が家でも文豪Mini7RX2台がSCSI経由でHDDを共有するシステムが現存する。もうそろそろ廃棄がと思っていた矢先で、チト複雑な心境に陥っている。写真はT氏ご自宅の文豪ワープロ。それにしても良く集めたものだと、ただただ感心する。、 |
連日の太田ポンカン収穫の最中の17日、カミサンの友人宅でミニコンサートが行なわれることを思い出した。出演は受験生ブルースで有名な高石ともやさん。受験生ブルースしか知らなかった自分が、1976年頃FM「ひるのミュージックコーナー」で放送された「フォーク昨日・今日・明日」にDJで登場した高石ともやさんの幅広い活動(107ソングブック、ナターシャセブンの存在)を知り、一気にファンになった。そして1979年8月「相模湖ピクニックコンサート79(キャンプ)」でアイボール。福井局時代に高石ともやさんがかつて移り住んだ名田庄村を複数回訪ねたり…。それで今回、ピクニックコンサートで撮影した写真を44年振りにお届けできないかと思い立った。メッセージを添えたカードを前日夜に作成。無線部屋でギターを抱えるワンショット(カミサン撮影)を隅に貼り付け、今早朝カミサンの友人宅へ届けた…所用につきとして。実は写真を渡すチャンスは名古屋局時代にもあった。「味な旅」と称するローカルTV番組を高石さんが担当されたときだったのだが、ニアミスに終わった。この番組の撮影を任されるチャンスも狙っていたのだが、スポーツ等他の中継番組に忙しく願いは叶わなかった。写真は無線部屋でのワンショット。最近弾き語りする曲の多くは高石さんの曲がベースになっている。オンマウスは、お届けしたメッセージカード。44年前、仲間5人ギュゥギュゥ詰めのHONDA1300クーペで、東名厚木から相模湖を訪ねた時のもの。 17日晩の「懐かしくかしく感じていた模様…」とするカミサンの友人からのショートメールに一安心。 |
いよいよ伊野の太田ポンカンの収穫が始まった。伊野の園地は東側の山に寄っているため、陽が差す時間が8時を超える。その前後で大きな温度変化があるため、夜明け時の朝露に加え、更に露が着き滴る様になる。とはいえ、園地全体がそうなる訳じゃなく、高さや木の中外、陽の昇り具合で状況が異なる。要するに露が無い所から切り始めるのだ。それも暫くすると露を忘れる程になる。しかし中にはしつこいモノもあって、果のヘタ周辺に一日中溜っている露もある。 写真は14日15時頃。陽も西へ大分傾いた頃のスナップ。カミサンがほぼ2Lサイズの生りをした木の収穫をしている。この日は2人で500kg超の収穫だった。伊野の園地は4トン近くあると思うので、加勢がないと来週まで掛かる勘定だ。なるべく早くと思っても雨もあるだろうし、その日暮らし的なミカン作業が続くことになる。 オンマウスはたわわに実った完全着色の太田ポンカン。これ2Lサイズ。摘果で相当間引いたつもりだが、収穫時のイメージは変わってしまう。落し過ぎると実がやたらと大きくなり悩ましい。場合によっては重みで枝が折れたりもするし、強風で幹が傾いたりする。ポンカンは結構取り扱いが厄介と思われ、近年生産者が減ってきている。しかし、太田ポンカンは地元発祥の品種と言うこともあって、我が家では拘って栽培を継続している。 |
これまでに収穫した青島ミカンが4トン近く貯蔵庫で余措中だ。早いモノは既に1週間以上経ち、適度に余措され貯蔵のタイミングになっている。それに、収穫用コンテナがくなくなり、次のポンカン収穫に影響を与える。13日は前日の雨による雨露が酷く、とてもミカンを切る状況じゃない。それで、これ幸いと青島の貯蔵作業が始まった。写真はその様子。モロブタに1段目を平積みで敷き詰め、さらにその上に2段目を敷き詰める。大小混在なので凸凹するが、何となく馴染ませて一塊にして納める。モロブタに並べると1箱で20kg程度になる。これをスライド式棚に収容する。隙間から覗くことが出来るので、腐敗果の発見や抽出が容易だ。当地のミカン貯蔵の歴史文化と言えそうだ。この作業をカミサンと対面して一日中やっていると、色々な世間話が出てきて面白い。時々口論じみた状態になったりもするが、それもよしだ…。特別な措置をしたわけでもなく例年通りの農薬散布と施肥を行っただけなのに、今年は良好な果実に仕上がっている。収穫中にその場で落とす果は、超獣害果以外は余りないので驚く。天(天候)の恵みなのだろう。木造で土壁の貯蔵庫は、適度に加湿し空気を対流拡散させる。貯蔵青島の出荷は年明けから始まるが、それまでに糖度が上がり酸味が抑えられる独特な味に仕上がっていく。既に良好な味なので、味の深みが増す感じだろうか。楽しみだ。この日の作業量は未だ1/4一程度。雨の日や朝露が多い日に、徐々に貯蔵作業を継続して行く。 |
12月4日に今期の早生ミカンのJA出荷が終了した。本来なら12月1日が最終だったが、生産者からの希望があって4日に集荷日が追加された。これ幸いと300kg超出荷したのが最後だった。その結果JA出荷落ちした3Sや4Lの小玉と大玉が150kg程手元に残った。青島の収穫で忙しく暫く放置状態だった。8日、この残った早生をワケアリ頒布として大小混在の5kg詰めでメール案内した。その日の深夜までに完売。有難いことだと皆さんに感謝している。また完売後に連絡を頂いた皆さんには恐縮至極とメールで返信。なお、小玉の手持が少なかった関係で大玉がまだ残っている。ところで頒布案内をBCCで配信すべきところをCCで配信する失態。皆さんにご迷惑をお掛けし暫く凹んでいる。写真は12日午前集結した発送前の荷物。前日箱詰めして手書きの送り状を貼り付けた様子。 ところでこの日の午後、カミサンの一声で再び温泉を訪ねることになった。気分転換だ。以前から訪ねたいと思っていた山梨県西八代郡市川三郷町にある「みたまの湯」へ昼食後向かった。中部横断道を北上し増穂ICで下り、富士川を渡って下見道を走り、山麓を上ると甲府盆地を臨む高台にある。地元の車より関東方面の車が圧倒的に多く驚いた。ここは、数年前に亡くなられた甲府の先輩H氏が良く来られていた温泉で、H氏との想い出が脳裏を駆け巡った。帰路、433.6MHzで甲府の友人を呼ぶと、早々に応答があり近況報告をしながら山麓を下った。オンマウスのスナップは温泉のWebサイトへリンクさせて頂いたモノ。クリックするみたまの湯トップページへリンク。 |
汁見谷は大玉など若干の切り残しは有るものの、8日から青島収穫の舞台は田んぼへ移った。田んぼも40年物の青島が10本近くある。写真は9日、カミサンと加勢のカミサン兄貴殿がたかっているが、この木1本を切り上げるのに午前中の大半を費やしてしまう。今年は昨年の様に長雨が無く、黒点病に悩まされたのが嘘の様に綺麗な実に仕上がっている。綺麗だと切っていて楽しいし、時間の経つのを忘れる。カミサンからは、「切っていて楽しいミカンでなきゃ嫌!」と良く言われるが、今年はどうやら合格点の域の様だ。田んぼも大玉粗皮果や極端に着色の遅い果を残して10日一定の区切りをつけた。7部着色で貯蔵するので殆どは切って良いのだが、防腐剤散布が残っている伊野のポンカン畑が気になり日没直前に転戦。軽トラを動噴とタンクの農薬散布モードに鞍替え、農薬切れと日没で作業を残していたポンカン25本程度に散布。水250リットルで薬調(べフラン、ベンレート)したが余り、屋敷のゆら早生畑のポンカン1本とセトカ2本にも散布。しかしまだ100リットルも残っている。これ、明日田んぼのはるみに再散布(2回目)するつもりだ。オンマウスは10日16時過ぎ、伊野の太田ポンカンと滴る防腐剤。日が陰り後方の稜線が夕日で焼けている。ポンカンの着色も大分進んでいるが、木によってバラつきがあるため、もう少し様子を見て来週後半に収穫する予定でいる。 |
先月だったか、FLEX6500のファームウェアをVerUpした。LAN経由のローカルリモート運用は問題ないのだが、SmatLinkが可笑しい。表示される筈のアイコンが見えなくなったのだ。SmarLinkの設定画面に移りNetwork-Testを試みると、正常なら緑〇判定になる筈が赤〇になる(オンマウス)。ポート番号を確認しても間違いは無いし、試しにダメもとでAutoにすると当然だがダメ。それで暫く放置してあったのだが、どうも気になる。WAN側(インターネット)からの制御は、RemoteDesktopは可能だから外からの運用は出来るのだが、出来ていた筈の機能が死んでいることが悔しい。それでこのところ、このSmartLinkを調べていた。自宅のインターネットとLAN間の要、ルーター(PR-400MI)の静的NAPT設定を覗いてみた。一見するとFLEX6500側で設定しているポート番号と合致していて問題はない。では何故?と頭を抱えていた。たまたまESETのネットワークスキャンで拾い上げたLAN上機器のIPアドレスを見ていたら、FLEX6500は覚えやすいようにアドレスの末尾を「65」に設定したことを思い出した。ひょっとしたらとNAPT設定と見比べると違う。NAPT設定は「9」で、FLEX6500のIPアドレスを変更する前の数字と判明。正直なーんてこったぁ!だった。NAPS設定を画像の様に「65」に設定したら嘘の様にNetwork-Testが緑〇になり完全復旧となった(画像No.1・2)。てことは何ヶ月か前か忘れてしまったが、「65」に変更してからSmatLinkを一度も使ってなかったんだぁと気付く。 |
12月4日に最後の早生ミカンを出荷した直後から青島ミカンの収穫に励んでいる。我が家では田んぼと汁見谷の園地で青島を栽培している。田んぼは、40年近く前に在来種から青島へ、両親が改植している。その後老木化で朽ちたりしたところに青島の苗木を補植したり、早生やはるみで捕植したりしている。老木は初夏まで元気でも、実の成長とともに重みで根元で幹が裂けたりする。注意していないと収穫直前に100kgオーダーで果実を失うことになる。今年も例外ではなく、何ヶ所かで痛い目に遭っている。状況を見て、早目のステー処理が必要なのだ。30〜40年物の老木は、1本あたり200〜300kgもの実を生らす。その姿を間近に見ると植物、特に柑橘の力強さが伝わって来る。田んぼには5本程の老木が実を付ける。これをカミサンと2人でかかっても、収穫には半日近くかかり閉口する。巨木なので脚立を使うより木に上った方が作業が早い。ところが今時木に上ってミカン切をする農家など殆どない。恥ずかしい位で笑っちゃう。昭和50年代までは普通に見られた光景なのだが、昨今は作業環境の改善や作業効率の向上が優先され、収穫スタイルが一変している。写真は汁見谷の老木で作業中の様子。ちょっと分かり難いが、この木の中でカミサンと姉が作業している。青島は先ず、生育が早い汁見谷を先にこなし、その後田んぼへ回る。見た目は似ていても、園地が違うと別種ではと思う程に違う。オンマウスは汁見谷で収穫した青島。既に完全着色していて味も良い。 |
早生ミカンの出荷は11月30日が最終の予定だった。ところが未だ出し切れていない農家があり、再集荷の案内が先週あった。30日を最後にしようと思ったが、量的に出荷できそうだったので24杯を申告した。ところが、やはりここまで来ると良好な果が少なく、選果落ちしていた果の敗者復活も進まず、結局16杯に修正申告した。それも、出荷当日は6時過ぎから1時間程最後のあがき、敗者復活の選果を行い1杯分を追加できた数字だ。多少の評価低下は覚悟の上で、8時に共選場へ搬入し今季6回目で最後の出荷を行った。選果落ちの理由の多くは着色不足。もう少し時間が有れば!と思うのは毎年のこと。貯蔵庫南室で加温する効果はあるものの、当地(自宅周辺)での限界を感じている。これ、ちょっと栽培手法を変えていく必要がありそうだ。今年は後に続く青島の着色が早く、例年以上に悩ましい。 ところで小中学校同窓会案内の返信は、11月30日までにとお願いしていた。ところが12月に入ってからも連日数枚ずつ届いている。他界された方や所用で都合がつかない方、病気や体調不良の方などが多く、参加者はこれまでの同窓会より少ない数になりそうだ。今のところ54名程。返信無しが20数名。地元幹事会を10日開催の連絡を行い、いよいよ詳細の詰めや確認を行う予定だ。オンマウスは、届いた出欠ハガキをカードホルダで管理している様子。上段に出席、下段に欠席を入れ両者の総数を比較できるようにしている。 |
祖母の33回忌の法要を12月3日に行った。ミカン切りで多忙な中、前日2日はその準備にカミサンと奔走。家とお墓の掃除に始まって、仏壇の飾りつけや関係グッズの調達、そしてお寺への届け物と写経。あっという間に一日が終わる。今回はカミサンの意向で、お寺の祭壇に上げる料理や菓子を葬儀屋さんに依頼した。手を煩わすことをお金で解決するのだが、やはり気持ちが入らないなぁと後になって悔んだりしている。そして料理を食べてみたら、ちょっと口に合わない。次回はやはり自前で調理するのだろう。写真は当日の本堂で和尚殿との語らい。お経を上げて頂き焼香した後、世間話に興じた。姉たちと祖母の人となり話で盛り上がっていると、自分にはそうした祖父母との接点がなく羨ましいと和尚殿。なるほどと頷いたが、そうした話が出来るのは、お寺さんによる法要があるからこそで有難いことだと思っている。この日は場所を移して昼食会を新清水の料亭で行い、祖母を偲びながら昔話に盛り上がった。自分達も年を重ね、こういう機会を大切にしなければと感じる年代になった。 ところで、このところ急に寒くなっている。実は2日朝、自宅玄関の温度計は3.9℃を示していたが、体感が何時もより寒いので、家の前のミカン畑へ赴くと何と、写真の様にしっかりと霜が降りていた。いよいよ本格的な冬到来か?と思ったら、来週後半は気温が上がるらしい。一体今年の天気はどうなっているのだろう…。 |
昨年(2022年)9月24日未明。台風15号で発生した大水で崩落した市道の本格復旧工事が先月から始まっている。仮復旧までは早かったものの、本格復旧となると予算の確保や工事業者の選定などの段取りで時間が掛かるのだろうか。災害復旧は発生から3年度内に行わなければならないと聞いているが、とにかく多数の崩落現場を抱える当地としてはチト心配な向きもある。写真は杉山橋から上流左岸の工事現場。今は渇水期、重機が川に下りて作業が進められている。渇水期と言えど川は流れているので水の処理など大変だと思う。崩落個所に留まらない全面的な護岸整備を要望しているが、パッチワーク的な繕いで終わってしまうのだろうか…これまでの様に。写真は杉山橋から撮影した上流。左岸側は崩落後幾度もTVやNetで紹介され、まだ記憶にしっかりと残っている。右手前の護岸はかなり深く掘られた所からブロック積みが始まっている。本当なら、この形が次の橋まで続いて欲しいのだ。オンマウスは昨年10月3日の現場。仮復旧工事が始まている杉山橋上流左岸。一見だけでは何が起きたのか良く分からない。市道(バス通り)が全て崩落し目の前に民家のU字溝…改めて酷い被害状況だったことが分かる。 |
今週は27・30・1日と早生ミカンの出荷が続き忙しい。早生ミカンは果皮が薄く腐敗しやすいので、出荷日前日の選果を基本としている。諸々の所用等でそうならない場合もあるが…。連続する場合は、8時に出荷して、その後の時間は選果に費やされる。選果は1個ずつ手にして実の状態を目視するので時間が掛かる。3L〜2Sサイズが荷受けの基準なのだが、2Sサイズが多いと選果時間が伸びる。また、着色不良や腐敗、果皮障害に外観不良も落とす。照明と外光の比で色目も変わってくる(カメラ調整をしていた頃を思い出す)。収穫初期段階は良好な実が多が、終盤になると個性溢れる実が多くなり判断に時間が掛かったりして悩ましい。一斉に成熟し着色すれば良いのだが、荷受けの日程に間に合わない実も多い。来月上旬にはほぼ全てが完全着色するのだが、その時は早生の集荷は既に終わっている。これ当地JAの販売戦略なのでどうしようもない。生育の遅い園地最大の悩みなのだ。さらに、種品種の青島の収穫にウェイトが移るので、早生なんかに構ってられなくなる実態もある。青島は貯蔵で着色を待てるので作り易い。そんな中で急遽12月4日に早生の追加集荷を行うことになり、残っていた舞台の早生を総ざらいし切り上げた。着色不足で残っていた実が殆どだが、少しでも出荷できればと思っているが、選果に耐えられるのは果たしてどれ位か…。でも選果落ちしたら個配に回すから、まぁいいかと楽観視している。写真は30日朝、出荷前の軽トラ。オンマウスは切り上げた舞台の早生園地。 |