JH2CLV's Topics & Memorandam
December 2018

Dec 31 文豪ワープロの電源が又落ちたって・・・大晦日
いよいよ今年も大晦日。29日の初氷以来、毎朝氷が張っている。ただ気温は29日が一番冷えた。昨日までに正月関係の買い物を終わらせ、今日は朝から家の中の掃除。何しろまともな掃除は年末位しかやらないので、埃がスゴイ。カミサンにブツブツ言われながら慣れない掃除機やモップにホウキ等を駆使して掃除が続く。
ところで28日に修理した文豪ワープロ、30日に届き無事動いた様だが、作業中に再び電源が落ちたと連絡が入った。早々に返送して貰うと、本日15時頃到着。急ぎの様なので掃除を中断しワープと格闘。調べるとAC入力に挿入された保護抵抗(10Ω/133℃)が断。予備基板3枚の内2枚も同様。辛うじて1枚だけ生きていて、これにOVPジャンパーを掛け復活させる。しかし何故…本体を揺すると想定外のビスが転がり出て来た…こいつか!。可能性はあるが…断言出来ない。ひょっとしてまだあるかもと、マザーボードまで引き抜きチェック。このため1時間で終わる作業が2時間に及んだ。梱包し鳥坂の佐川急便へ持ち込んだのは18時だった。残念ながら今日の便には間に合わず明日に回る。ただ、ワープロ上に顔を近づけると電源上部で熱と臭いを感じる。もう時間の問題かもと依頼主へメールし、Excelファイルへの変換とPC利用をお奨めした。それにしてもこの忙しい時に良くやるよと、自分のお人好しさ加減に呆れている。紅白観ながら未だ掃除機を回している。

Dec 29 ようやく初氷り
昨夜は早い時間から冷え込んでいた。日没時に望む富士山カメラの映像も真冬を思わせるほどクリアだった…日本海側の皆さんにはチト申し訳ないが。ひょっとしたら明日は初氷りか…。
それで本日、朝7時に起床すると寒い。玄関の温度計は-1.5℃で今季の最低気温。急いで我が家の氷観測池へ走るとやっぱり。予想していた通り初氷りだった。写真は氷を拳で叩いて割って手に取ったもの。厚さ3mm程だろうか。いよいよ本格的な冬になった。ちなみに昨年の初氷は12月13日で、今年より16日も早かった。暖冬だと言っても、必ず年内に初氷りがやってくるから、自然は大したもんだと感心している。ちなみに-3℃を下回ると、スルガエレガント等の甘夏系がやられてしまうので、暫く天気とにらめっこの日々が続きそうだ。
写真は観測池の氷。観測池と言ってもステンレス製タブに雨水が溜まっただけ。オンマウスは今朝7時20分頃、リモートシャック鉄塔の富士山カメラの映像。雲ひとつない快晴で見通しも最高に良い。こうなるとリモートシャックの太陽光発電の調子も上がってくる。

Dec 28 再び文豪ワープロの修理依頼
2012年11月17日にNECのワープロ文豪ミニ7RXの修理をしたときに、まだ使っている方が居るんだと思うと同時に、もう修理依頼なんか来ないよなぁ思った。しかし製造から30年近く経つこのワープロを、まだ大切に使われている方が岡山に居られた。その方は、調子が悪くなるとオークション等で部品取りとして同型機を入手され、ご自分で部品交換し修理をされていたらしい。それが電源が入らなくなり、部品の入手も滞り途方に暮れていたところ、ネット検索で拙作HPサイトに遭遇したらしい。一昨日連絡が有り修理を引き受けることになり、本日午前それが到着した。日中は多忙で見る時間がなく夕食後の作業となった。分解するとビス類の欠品が多い。また何処かで衝撃が加わったらしく、金物の変形や筺体プラスチックに複数の破損があった。工具で金物の変形を戻したり、接着剤で破損個所を補修するなど、電子回路を当たる前に機構系の作業に追われた。電源基板を調べるとOverVoltageProtectionが働きっ放しになり、SW電源動作が停止していることが判った。制御回路に挿入されたフォトカプラが不良だが、手困難なためOVPをパスするジャンパー線を取り付け復旧。文豪ミニ7RXの故障で一番多い症状だ。ワープロ起動とプリンタ動作を確認し、写真と共に依頼主へ吉報メールを送った。明日後依頼主の元へ旅立つ予定。末長く使って欲しいが、パーソナルカードならEXCELへの変換も視野にされたらとお伝えした。

Dec 25 スルガエレガントに農薬散布…MFJ-998RT用リレー届くも
舞台のスルガエレガントに落下防止剤と防腐剤を散布した。昨日は午前中雨梅雨が残り散布どころでは無かったが、今日はまずまずの天気で気温も上がり風もあるため農薬の乾きが良い。暖冬と言いながらも1月中旬に必ず寒波がやって来て痛めつけられるのだが、来年はどんなだろうと気掛かりだ。本当なら出荷の始まる3月頃まで生らしておきたいのだが、当地でそれをやると寒波にやられてス上がりになる可能性が有る…孤もを掛けたりと言う手もあるのだが木も大きくなっているし悩ましい。それが嫌で1月に切り取って2ヵ月程貯蔵したのが一昨年と昨年だが、気温が上がる時期の2ヵ月以上の貯蔵は意外と難しい。さてどうしよう。
オンマウスは待望久しかったOMRONのリレーが届き、MFJ-998RTへ実装した様子。透明樹脂ケースに覆われ、接点とコイルが別室になっている。密閉型に比べたら明らかに信頼性が感じられる。早々にハンダ上げして通電を行うが、ちょっと様子が変。ダミーロードではOKだが、Windomアンテナをつなぐと3.5MHz帯で周波数をカウントしない。何故?。そしてチューニング中に「TURN POWER OFF」とLCDパネルに表示が出て動作停止。電源を切れってことなのか…リレー以外にも問題が有りそうだ。またまた宿題が出来てしまった。MFJのヘルプデスクにも相談しよう。

Dec 21-23 忘年会に奔走
年内のミカンの収穫が終わり、このところ貯蔵庫に閉じこもり腐敗果の撤去や荒撰果等の作業が続いている。例年より気温が高いため、腐敗果の多さは普通では無く苦慮している。その最中、22〜23日にかけて忘年会が3件続いた。
21日は昨年7月まで務めた職場の忘年会。久し振りに再開する面々に思わず声が出る。22日は高校のミニ同窓会…と言っても年齢はバラバラ。23日は恒例のHAM仲間によるBQQ忘年会。
写真は22日地元の台湾料理店「百味鮮」で行った忘年会の様子。同窓会と言っても3名で高校の先輩と後輩の集まり。気が向いたときにこうして集まるのだが、大したネタが無くても話が盛り上がるから面白い。ちなみに年齢は5つ先輩と10年以上の後輩。オンマウスは富士市の某所で行われたHAM仲間のBBQ。ここに毎年家のミカンをお届けするのだが、今年は生育が早いので青島ミカンに併せ太田ポンカンも持ち込んでみた。所用があるため、おでんと分厚いステーキを御馳走になり帰路に就いた。フルメンバーが集まる前に失礼し、アルコールも飲めなかったので恐縮でした。

Dec 20 「はるみ」収穫完了と後拾い…FL-2100Z改修版旅立ち
20日午前中に、田んぼのはるみの収穫を完了し貯蔵庫で予措(よそ)体制に入った。その後、着色が遅かった伊野の太田ポンカンの後拾いを行い、さらに自宅前で2本試埴してあるセトカも収穫。これで年内のミカン切りは全て終了した。後はご苦労さんの施肥とスルガエレガントへの農薬散布(落下防止剤など)を近日中に行う予定。写真は直径10cmを遥かに超えるはるみの大玉。生育が例年より早く殆どが完全着色状態。屈折型の糖度計で糖度を測ると13〜15を示す。暫く貯蔵して酸味を落とせば絶妙の味になる筈だ。
オンマウスは久し振りに取り出し通電した4CX800A/GU-74B換装のFL-2100Z。ほぼ8年振りに通電し動作確認したが、先に試した下の2号機が7MHzバンド以外が全て動作不良…何で?。それで上の1号機も取り出してきて久し振りのツーショット。1号機は50MHzまで組み込んだモノだが、ここではHFのみテストすると見事全バンドOK。岩手の友人から熱烈ラブコールがありQSYすることになった。大切に使って頂けるだろう。右はエキサイターに使用したIC-756。その奥にオマケだが友人からQSYしてきたコリンズの75A-4。製造から四半世紀過ぎたIC-756は新参者に見えるが、今や遠い過去の製品。時の過ぎ去るのは本当に早い。それに還暦を過ぎた旧式受信機が未だ実用に耐えるのも面白い。

Dec 18 いよいよ「はるみ」初切り…
今年もあと2週間を切った。青島やポンカンの貯蔵管理、年明けの同窓会準備、各種忘年会と日々忙しい。
そんな中、着色が遅く切り残したポンカンを見に伊野へ赴くと、なんと隣のNさんがはるみを切り出していた。田んぼのはるみのJA指示は25日目安だったので、切るのは週末かと考えていたが、天気も良いし、糖度を測ったら13〜15ありビックリ。早々に初切りを決意した。昼食後田んぼのはるみを、北側の弱っている木(台風で傾いた)から切り出した。写真ははるみを切るカミサン。摘果不十分で玉が小さく、木が可哀そうとブツブツ。こちらは、このサイズを好む人も多く、ブランドも分かるけど食料として底辺拡大と知名度アップも必要と反撃。午後から16時頃までの作業で凡そ280kg程収穫。あと2・3日は掛かりそうだ。
オンマウスはカミサンの依頼で作成した画像&動画CD。先月行われたカミサン達の同窓会の写真と、動画からキャプチャした画像、そしてコスプレ姿で幹事達が踊った「恋するフォーチューンクッキー」の動画を同梱したもの。幹事11名に配るらしい。この制作過程で、相変わらずの気まぐれがあったのは言うまでも無い。あーでもない、こーでもないと…単純には決まらないで。これ以外にも写真をプリントアウトした…幹事其々へ配るんだって。ちょっとやり過ぎじゃない…。

Dec 16 リモートシャックPC変更…後輩と歓談
写真はリモートシャックのサーバーPCを交換した後、16時47分の富士山。PC同じDYNABOOKシリーズだが、N12を当初使っていたRX1へ戻した。その理由はN12がBIOS設定が飛んでしまいブートドライブが不明になったこと(設定で戻せるが、BattLowで発生する可能性あり)と、消費電力がRX1より大きい様な気がするから。RS-BA1のサーバーPC設定をパスするために、両社を縁側に並べて分解し、SSD(N12)とHDD(RX1)を入れ替えた。ビスを16本も外す必要があり、こう言う時って必ず1本か2本数が合わなくなる。注意するのだが、最近は特に危ない。御多分にもれず、今回も1本ない。どうしてなのか…。
オンマウスは一昨日訪問した旨連絡があり、19時過ぎにやってきた高校の後輩JE2ERRとのスナップ。仕事の関係か最近設置したNRD-93を懐かしそうに触っていた。近況の交換や無線の話等に華が咲いた。途中からカミサンも加わり21時半頃まで盛り上がった。最近はYoutuberになっていると、御自慢のウィンドサーフィンの動画や、怪しげなムカデの観察動画を見せつけられ仰天。私より5歳年下だが、この年になると3つ下のカミサンも含めて全く年の差を感じなくなるから面白い。こちらが一方的にそう思っているのかも知れないが…。

Dec 14 初霜…ミカンの貯蔵体制
今朝の気温は5時50分で3℃だった。明るくなってから外に出たカミサンが、霜が降りていると騒いでいた。写真は7時57分に撮影したポンカン畑に降りた霜の様子。手前の草が真っ白になっていた。奥に見えるミカンは試験的に栽培しているセトカ。箱群は蜜蜂の巣箱。この様相をみると、太田ポンカンを早めに切り上げておいて良かったと旨をなで下ろしている。なぜなら前日の不安定な天気で降った雨で湿った果実、特に太田ポンカンはこの冷えで雨焼けになり易いから。暖冬とは言え、いよいよ冬到来と言った感じだ。そういや明日明後日は秋葉さんの祭だし、昔ならオーバーコートで歩いていた時季だ。
この日ようやくはるみの収穫指示がJAから届き、12月25日となっていた。氷点下になるとはるみも危ないので、天気の変化を見ながら早目に収穫してしまおうと考えている。
ところで収穫したミカン。3トン近くあった興津早生はJA出荷の他、OrangeVillageユーザーへの戸配や取引先へ流れ、残りはあと数十kgとなった。今後の主役は青島温州と太田ポンカン。何れも年明けからの出荷だが、既に貯蔵体制となった。この後年内にはるみも収穫するため、貯蔵庫のスペースを効率よく回す必要がある。また其々の品種で特徴があるため、温度や湿度管理で平準化を図り、出荷時に最良の状態にする必要がある。オンマウスは太田ポンカンの貯蔵室。白山は2Lサイズ以上を分離管理。

Dec 13 これも先月の忘れ物…39年前の録音で世間は狭いなぁ
1976年頃から、8月初旬に清水さつき通りで行われる清水港祭第1ステージのPA-Mixを担当していた。これはその頃の記憶から始まった最近の出来事。写真の左は1979年8月3日と1980年8月5日に行われた地元アマチュアバンドWesternOrientのライブ録音のCD。オリジナルはカセットテープだが、これをデジタイズしてCDへ焼き込んだ。実はこの録音の中でVocalが「お花のことはKa生花店へ」とコメントしている。この言葉が39年間耳から離れないでいた。最近カミサンの高校時代の同級生がKa生花店に嫁いでいることが判明。録音でDrを叩いていたのが実は御主人のKaさん。Kaさんは仕事の関係で中国在住だが、現在もDrを叩き現地のTVに出演する程の腕前。それでこんな録音があるがひょっとしたら関係者?とカミサンが友人に尋ねるとビンゴ!。CDを届けると関係筋で大ブレイク。帰国した御主人もCDを聴き涙ものの電話をして来らた。初めてなのにこちらもそれに応じ興奮…そんなに価値があったのかと。話はそれで終わらない、VocalのKu氏は既に他界され12月6日が命日。ひょっとしたらあるかもと、静岡駅南の楽器店Music BARN主催のWind_Rock_Concertの録音を探しまくったら出て来た。Ku氏のPfとVocalに仲間とのセッション。写真の右がそれ。1980年8月29日、静岡市民文化会館での録音をCD化したモノ。これも大反響。何気ない録音が39年を経てこんな形でつながるとは…嬉しいの一言だった。ちなみにKaご夫妻のご子息はプロのDr奏者。Ku氏は清水のStudio BRAINの主催者だった。

Dec 12 JRC/NRD-93がやって来た
OrangeVillageからワケアリ早生ミカン頒布のお知らせをしたところ、以前お世話になった南信州のOMから注文があった。余りにも懐かしく、その後複数回メールのやり取りの後、JRCのNRD-93を送ると告げられてきた。どうやら終活目的の雰囲気だ。12月6日到着後、通電と簡単な受信テストを行っただけで無線部屋に放置してあった。お客さんが来る度に片付けては居るのだが、足元は怪しい無線やPCグッズが散らかり放題。年の瀬でこりゃチトまずいとなり、本日夜整理整頓を行った。NRD-93は、IDEALの鉄ケースに収められ、R-390AやTRA-3755を収容した物と同じ。そのまま一番上に積み上げたのが写真。TX-2200Aを送信機とする136KHzシステムへ挿入。音声出力はR-390Aケースに組み込んだ外部検波器のAUX-Jackへ入力。
このNRD-93は1980年代の製品と思われる。1st-IFは70.455MHzのアップコン、2nd-IFは455KHz、シンセサイザー局発の業務用受信機だ。余計なモノがなく非常にシンプルな作りに業務機の原点を見るようだ。IF帯域は0.3/1/3/6KHzを選択でき、AUXとしてオプション領域もある。6KHzで聴くローカルAM放送は、やっぱり通信機のイメージが残る。AUX系に8KHz以上のフィルタを挿入すればR-390Aのよなスタジオ並みの音が楽しめそうだ。1stミキサまでに過剰な利得設定を行っていないため、882KHzのローカルAM放送局の4倍高調波歪(内部歪)は80m長Windomをつないでも感じない。素晴らしいと言う第一印象だ。

Dec 9-11 太田ポンカン完了と田んぼの後拾い…etc
連日ミカン切りが続いている。甲府から戻った8日は、そのまま伊野ポンカン畑へ直行し太田ポンカンの収穫。そして翌9日までに伊野ポンカン収穫を完了。10日は午前中に屋敷の太田ポンカンもやっつける。ここのポンカンの木は30年物で、老木化が著しくしこの収穫が最後の見込み。来春は別品種を植える予定だが、多くの思い出があり伐採時は動揺するかも…。午後は田んぼで早生と青島の後拾(あとびろい)いが始まった。後拾いと言っても、収量は500kg以上に及び苦笑するが、作業は翌11日午前中までかかった。これで終わりかと思ったが、尾羽畑総寺山に6本植えた寿太郎の事を思い出し、11日午後から収穫。植えてから初めての収穫になり、6本で160kg程の収量となった。
これで我が家は、はるみを覗く全てのミカンを収穫。貯蔵庫の中はミカンの入ったコンテナや木箱の山となっている。はるみの収穫前に収穫したミカンの撰果と貯蔵作業が本格化する。はるみの収穫は、サンプルを提出中でJAの指示待ち。
写真は自宅玄関からのスナップ。来春は別品種に植え替える!…と宣言して背水の陣を敷く。葉が黄ばんだ老木のポンカンの木が気になる。ここにはセトカの木を2本試植してある。軽トラがやけに安定して見えるがどうしてだろう。オンマウスは寺山の寿太郎を収穫するカミサン。寿太郎は注意しないと青島に戻ってしまうらしい。

Dec 7-8 所用で甲府1泊
甲府で所用があり1泊で往復した。依頼元の車が7時半に自宅へ迎えに来て、そのまま清水いはらICから新東名に入り新清水ICでR52へ降りる。その後ひたすら北上し南部町、身延町、富士川町、鰍沢町を通り増穂町辺りでR52から分かれ釜無川を東側へ渡る。川の土手を北上し、ふと前方を見ると目的地らしい建造物。その昔通った時、この辺りは田んぼや畑が多かったと思うが、今ではその面影も所々。ナビ頼りに移動していると幹線から外れ、何処を走っているのか何だかよく分からない。その建造物が段々大きくなり気が付くと甲府駅前の平和通りを通過した。甲府盆地に入ってから随分と走ったが、静岡や清水では直ぐ山か海に遭遇するのだがそれが無い。平地としては広いんだぁとあらためて認識する。駅の東側の陸橋を超えて左折すると目的地。凡そ2時間ちょっとの道中だった。40年前はR1〜R52〜県道をつないで3時間はかかったから随分と早い。それが中部縦貫道(部分開通)が全線開通すると、浜松へ行く感覚で甲府へいける事になる。甲府からも東京へ出るより、静岡の方が早くなり事情が変わってきそうだ。さて、所用は順調に済ませ、夜は甲府在住の旧友たちと駅前の酒場で盛り上がった。翌日はR358経由でR139に出て、山梨静岡県境の富士ヶ嶺で所用を済ませ、12時に帰路に就いた。県道で白糸辺りから芝川へ抜け新清水ICから新東名に乗った。写真は8日、8時半のJR甲府駅前と12時の富士ヶ嶺。

Dec 6 天候不順でミカン切り捗らず…IC-PW1再投入
このところ夜雨が降り、翌朝雨露が残る天気が続いていた。佳境のミカン(現在は伊野の太田ポンカン)切りも午前中は仕事にならず、露が渇く午後から始めても日没が早く大した時間にならない。水分が付着はミカンには好ましくないのだ。まったく自然って言うのは気まぐれで困る。
ところで修理から戻ったIC-PW1、リモートシャックへの投入時期を伺っていたが、これ幸いとこの昨日5日午前中に実施。10月18日以来のリモートシャック復帰となった。ミカン切り体制の軽トラックの助手席にIC-PW1を摘みこみ、ヒモ付きのリモートコントローラーをその上に乗せて農道を搬送。恐る恐るぬかるんだ斜面を抱えて降ろして収容箱の棚に乗せた。前回はこのタイミングでREMOTE1のLEDが断になり、初期設定のモニターリングが出来なかったが、IC-7300による設定は正常に行われた筈。自宅へ持ち帰ってからLEDを再ハンダ上げして復活させ、自宅IC-7600で初期設定をしてもダメだったから何が原因だったか判らない。それが修理上がりで戻ってくると、自宅でもリモートシャックでも一発でOKになった。やはりバンド及びアンテナ切替連動は快適だ。
写真は収容箱に収まったIC-PW1(下段)とIC-7300の上に乗ったリモートコントローラー等(上断)。IC-PW1は最新Verなので、ACCへの電源供給は必要なしとicomさんより説明があったが、IC-PW1の電源が落ちている場合はDC13.8Vを供給しないと反応しない。

Dec 4 11月の書き忘れ…5GHz無線LANテスト
リモートシャックを結ぶ無線LANは2.4GHzの端末と1mパラボラを使用している。端末は既にカタログから姿を消しているBUFFALO/WAPS-HP-G54。それなりの動作を示しているが、リモートシャック側の情報機器が当初より増え、パイプの細さが気になっていた。先月次男が帰省した折、TP-Link/CPE510ってのがあると教えてくれた。5GHz帯で樹脂筺体に平面アンテナを同梱している。コネクタはRJ-45でPoEで電源供給する。TP-Link_Japanによると技適を取得し国内で使える様になったらしい。半信半疑だったが、自宅でPoint_to_Pointに設定してつないでみると速い、さすが300MBPSと言う印象だ。1台を自宅タワートップ(22m高)に取り付け、もう1台を軽トラ荷台に取り付け11月13日リモートシャック方面でフィールドテストを試みた。テスト地点は自宅方向は望めるが見通しではない。にもかかわらず、標高300m/スパン1.5km地点で40MBPS、標高350m/スパン1.7km地点で10MBPSを計測した。後者は前方に樹木が茂り凡そ通るとは思えない場所。そこから北へ進むとリモートシャックがあるが、タワートップでは相応のデータが取れそうな雰囲気だ。他のアンテナ工事と併せて作業をする予定で端末の設置は先になる。
写真は端末を取り付けフィールドテスト中の軽トラ。オンマウスは、訳あって破損させてしまったTP-Link/CPE510を分解した様子。平面アンテナが見えるがこれで利得13dBらしい。

Dec 2 太田ポンカン初収穫…IC-PW1異常無しで帰還
11月27日に色付いた太田ポンカンの糖度を測ってみた。自宅前の畑は11度を示したが酸が強い。伊野は10度を示すが酸が低いため生食に耐える勢いだった。どうしようか考えていると、隣の畑の先輩N氏は28日から切り出している。何と思い切りの良いことか…。所用が重なりやや遅れをとったが、本日2日午後から伊野で太田ポンカンの初切りを行った。太田ポンカンは地元発祥の品種のため、ちょっと心意気が違う。カミサンんと夕暮れまでに約480kg収穫。亡父に内緒で老化した太田ポンカンの木を根こそぎ撤去して苗を植えてから6年、収穫が出来るようになって3年…ちょっと感慨にふける。面積にすると1/4程度を切ったが、色の来ていないモノは残している。
丁度その日の晩、修理に出したのを忘れていたIC-PW1が厳重梱包で戻ってきた。結局こちらで発生していたCI-Vによるバンド連動には異常は認められなかった。電界コンやサーボモーターにVR等、劣化が目立つ部品の交換をお願いした。早々にテストすると問題なく動いている。ちなみに初期Verとばかり思っていたら、1998年5月製造の後期Verであることが判った。もう20年も経つのかと、これも感慨深い。
写真は競争する様に切り取るカミサン。オンマウスは無線部屋でIC-7600をつなぎ、CI-Vによるバンド連動動作テスト中のIC-PW1。

Nov 30 先輩の訃報…山梨西八代往復
昨日サラリーマン時代に大変お世話になったH先輩の訃報が複数から届いた。昨年7月で勤めを止めた旨をお伝えする案内をお送りしたら、早々に直接電話を頂きお元気そうな声を聞いていたのに。今年の4月、坊ヶ峰BBQに参加した折、H先輩と同期入社の先輩JA1KAWから入院していると告げられ、その帰路富士川沿いの病院を探したが分からず仕舞い。そして今夏、元気を出して!とお送りした自家製ハチミツの御礼に届いた手紙が、ご本人の直筆ではなく奥様が書かれたもので、あれどうしてだろう。などとこの一年の出来ごとを振り返った。初めてお会いした1978年8月初旬の甲府・静岡合同制作「東海自然歩道を行く」、1988年9〜10月の「ソウル五輪(体操)中継」、部内誌の拙文連載「ノイズ対策Q&A」の評価(オレのやりたかったことをやっている)等など懐かしい。
写真は30日訪れた通夜会場に飾られていた先輩の思い出の品々。失礼ながら、ここで初めて農業(トウモロコシ栽培)に真摯に向き合ってこられたことを知り(各種表彰)恥ずかしかった。アバウトなミカン作りに反省の念しきりだ。19時頃帰路に就くが、合同制作で歩いた富沢町辺りを通ると、当時のことが脳裏に浮かび目が熱くなった。
この日はミカンの撰果を14時で切り上げ、15時に家を出た。夜道は危ないとか言うと、カミサンも一緒についてきた。オンマウスは17時頃、腹ごしらえで食べた富士川道の駅の山梨名物「ほうとう」。