マイカーに組み込んだRig/ATU/ANTを紹介します。
Antエレメントはサガ電子工業の7MHzモービルホイップをベースにして、7MHz以上のマルチバンドで運用が可能です。半固定運用なら、釣竿VerticalやLongWireでの運用が1.8MHzバンドから可能で、何時もワイヤーエレメントとロープをトランクに忍ばせています。
しかし、ロケーションの良い海岸や山での飛びは抜群で、移動運用の醍醐味を味わえます。
左はFT-840とC-111で下方に電鍵が見える。中左はKitで購入したAT-11で車内に吸盤でガラス内側に取り付けてある。中右はサイドブレーキ横の自作リモートボックス(Auto/Manuの選択とL/Cの微調等)。右はAT-11とアンテナ基台との位置関係。車はトヨタ製カリーナワゴン。ルーフキャリアはスウェーデンのTHULE社製。
1976年5月、21歳の写真。この頃はあまり写真を撮る習慣など無かった中で貴重な一枚。
場所は熱海市の海岸通りにある駐車場。熱函道路(熱海市~函南町を結ぶ道路)を下って海岸に着くと、決まってGassを吸い過ぎプラグが湿ったものだった。
余談だが熱海市の友人に紹介された「喫茶店・常春」には何度か通った・・・今はどうなっているのだろうか。
このHONDA 1300 Coupe 7Sは1975年に先輩の川島氏(現カワシマ自動車)より\13万で譲り受けたもの。鳥取市から清水市までを8時間で、青木湖スキー場まで4時間で走った事が思い出される。車の仕掛けの多くを、この1300 Coupeから学んだ。機構部分の仕様は後述する1300 GTとほぼ同等である。
右は後述の1300 GTのKeyであるが、1300 Coupe 7も同様だったと記憶している。
My Car History 1978~1993/HONDA New 1300 Coupe GT
1978~1993まで乗っていたHONDA 1300 Coupe GT(ダイナミックシリーズ)。FFで排気量1300CCの空冷エンジンで100HP近い出力を誇っていた。2重構造のDDACによる空冷で、当時の空冷エンジンの常識だった騒音問題を解決している。GTはKeihinのCVキャブレターをシングルで搭載しているが、上位車であるGTLは4連キャブレターエンジンで100HPを越えていた。駆動関係は全て金属製のチェーンで行い、独特のエンジン音とエキゾースト音を放っていた。その加速感は素晴らしく、1300CCと言っても信じてもらえなかった。この車の前にHONDA 1300 Coupe 7に乗っていたが、これはスピードメーターが220km/hまで刻んであった。1970年当時、やっと東名高速道路が全線開通した頃に、これだけの車を作っていたHONDAの意気込みを感じざるを得ない。当時、米俳優ピーターグレーブスが出演したCMは、今でも鮮烈に記憶の中にある・・・ハリウッド映画スタジオから出てくる黄色い1300 Coupe等など。最後にGTを手放すとき既に15万kmを走っていたが、160km/hで走行しても未だアクセルに余裕があった。当時のHONDAは驚くほど若かった。
その緒元は、本田技研工業のサイトで、HONDAの名車カタログとして見る事が出来る。また熱狂的HONDAファンであるY.nozaki氏がHONDA1300のホームページを開設しているので是非ご覧頂きたい。その後空冷のHONDA1300は生産を打ち切られたが、機械式燃料噴射装置による水冷1450CCエンジン搭載のHONDA145が類似したボディを引き継ぎ、CIVICと並行して生産されていた。
HONDA1300 Coupe 7で使用していたKeihinのCVキャブレターと、混合気をシリンダーまで導くマニホールド。マニホールド周辺もDDACのためにダクトが作られている。99/Coupe 9/GTL等では、このキャブレターが各シリンダー毎に4個取り付けられており、そのバランスを取るのも車いじりの楽しみでもあった。
写真は1975年頃、自動車の解体屋を回って集めた物で、ゴム製品部分を除けば現在でも使えそう。
2002年1月13日撮影。
左は1994年頃のスナップ。トランシーバーはicomのIC-720Aで、通常はトランクに格納してあり、運用はもっぱら半固定だった。
ATUはSGCのSG-230を使いエレメントは2.5m長のステンレスホイップだった。電鍵はハイモンドのMK-706を複式電鍵として使っていた。
これでARRLコンテストで7MHz/CWを南知多町から運用し、日中にも関わらず数十局のUSAと交信出来た。
EPIのガスコンロやヤカン等キャンプ用品が見えるが、これが調理に活躍した・・・もちろんカップ麺が中心だったが。
下は同じく後方からのフルショットATU/SG-230の本体。SG-230はThule社のキャリアーにUボルトで固定した。コールドエンドはハッチバックのボルト位置までまで太目の電線を布線。
2004年8月31日夜車が届いた。家の中では様々な議論があったが、結局SUBARU FORESTER L.L. Bean EDITION(マニュアルシフト)に落ち着いた。写真の後方に写っているのは11年間乗ったTOYOTA CARINA WAGON SURF。長い間お疲れ様。この日の朝ディーラーに引き取られていった。子供たちの成長と共に11年間歩み、色々な思い出を残してくれた。ふと一抹の寂しさが込み上げてくる。CARINA WAGONはまだまだ十分走れるのに・・・。日本は随分と贅沢な国になったなぁと言う実感である。とにかく路上で汚れた車を見ることが無くなってしまったし、ボンネットを開けているような姿も余り見ない。車の性能は上がったがドライバーのメカ技術は低下の一途では・・・とカーショップに行くと感ずる。そこはまるでファンシーショップの様だから。さてモービルグッズをどのように組み込むか考えなくてはいけない。