JH2CLV's Topics & Memorandam
January 2023

Jan 30 清水いはらフェスの余韻…ワケアリ太田ポンカン発送作戦
昨日の夕食は、いはらフェスの話で大いに盛り上がった。カミサンは、地元の知人や子供たちが描いた画を拡大コピーしてパネルを作り、ステージ飾りとして提供してくれた。当初はポスターによる市松模様背景だったが、空きスペースへの画パネル追加で楽しさが倍増。おまけに友人を引き連れてウォークラリーに参加。高山へ登り、庵原の素晴らしさのPRに余念が無かった。スタッフでもない婆さんの奮闘に、何時も下がり気味の頭が更に下がる状況だった。
いはらフェスの余韻が冷めやらぬ30日、先週より注文を頂いていたワケアリ太田ポンカンの個配向け箱詰めと発送に明け暮れた。大玉が多く残っているため、先ず半分まで大玉を詰め、その後小中球を詰めた。大玉を多くすると、箱の蓋が閉まらないので、そのバランスが実は難しい。荷が何時出来るか分からず、佐川急便の引き取り依頼の時限を超えてしまった。結局軽トラに満載して鳥坂の佐川急便へ運び込んだのは17時頃だった。また、富士の友人のところへは、翌31日晩コンテナ配達で80kgを届けたが、一部量が不足したためチョット勇み足だったがはるみの小玉で補充した。由比〜蒲原辺りで何故か雨に遭遇したが、気にしないで突破した。これでワケアリ太田ポンカン凡そ300kgは無事発送完了となった。未だ木箱に1杯程度大玉があるがご希望の向きは連絡をどうぞ。写真は熟成室での箱詰め作業風景。次はここにはるみが運び込まれる。

Jan 28・29 「第2回清水いはらフェス」準備・本番直前
昨日22時半頃床、空を見上げると星空!安心して床に就く。5時10分に起床する玄関は‐1.7℃…8時頃に向けてもっと下がるなぁと呟く。6時にHP冒頭を「本日開催!」と修正。軽トラに資材を乗せ6時半に庵原球場へ赴く。手前右の「JAきらり」の温度計は‐2℃。寒いがそんなことは言ってられない。幸いゲートは開いていて、一番乗りでステージ前へ直行。PA関係の設営を開始。徐々にメンバーが集まり集団作業になる。ステージ飾りとPA設営が平行する。机や椅子の到着が遅い(我々が早すぎる?)のでステージ周りを先にこなし、Mix席は後になる。上田市の出店者I氏は「かわにしトリオ」として店舗横で演奏するため、27日に延長(50m)した電源と音声ケーブルを渡す。ようやく机と椅子が届くが時間はどんどん過ぎて行く。何とか形が整うと既に9時過ぎ。楽器や楽器Ampの音を確認したい気持ちは分かるが、それ以前の部分の作業に追われる。Micや系統の確認と基本レベルの設定…。その頃になるとMC陣のO氏やHさんも諸々確認をしたくなる。ハード系からソフト系への引き渡しを明確にしたいが、時間に追われるとそれもやっつけ。今回はWL-Micを使った出店エリアからの中継や、前述かわにしトリオの接続もある。部分的に突っ込むと時間が無くなるので、大雑把な確認をして9時45分の開会セレモニーに間に合わす。何とも慌ただしいが決して怒らない。実はコレ、田舎の素人集団の良さであり、こちらの楽しみでもある。イベントは好天に恵まれ大盛況のうちに終了。しっかり総括して次に臨もう!。関係した皆さま大変お疲れ様でした。
1月28日、フェスに備えてステージ関係のグッズを軽トラに積む。全設営は出来ないが受電要用の確認のため電力機器の粗方を持ち込む。それにステージの飾り付け資材。横断幕や昨晩までカミサンが奮闘していた背景パネルにロープや取り付け部材等々。13時に庵原球場へ赴く。早々に位置決めを行い業者によるステージ設営が始まった。その脇で、前日に延々と引き回したVF線から商用受電しPA機材を生かす。演目のジャズダンスを大音量再生し電流と電圧を見る。辛うじて使用を認めて貰った配電箱の壁コンを50mも引いているため、ピーク負荷時の電圧は95V台まで落ちる。音のクリップは感じないのでこの系統を使うと判断。電流値は6A程度だった。電圧・電流は平均値表示なので瞬時値はこれを遥かに超えていると思われる。ステージは地元の(株)アイビックさんにお願いした。手慣れたもので15時頃までにはステージが完成し、飾り付けが始まった。背面の両サイドをポールからイントレに変更して頂き、そこにロープを万力方式で張る。トップには自作の横断幕を、ロープにはパネルを吊る。だだ、午後から風が強くなっているのでパネルは2枚だけ試し、残りは当日朝の作業とした。ステージ以外に控えテントをステージ上手に設置。こちらも風を嫌って、持ち込んだ資材を収容し折りたたんだ。会場では出店店舗の地割や展示と本部テントの設営、一般駐車場になる第2球場のライン引き等や道路案内や上りの設置が行われた。

Jan 25・27 太田ポンカン・青島JA出荷完了…いはらフェス準備
1月25日は太田ポンカンの出荷最終日、1月27日は青島の出荷最終日だった。何れも自分への割り当て分だ。さて出荷が終ったからと言っても、選果落ちした果が何100kgも残る。一般的には加工品用(ジュースや缶詰)としてJAが引き取るが、その価格ときたら生食を目指している身からするとダダ同然。味は変わらないのに見た目だけで判断されてもらっても困る。それで生食の頒布先を無線仲間や会社の仲間を中心に構築してきたのだが、現在では戸配で年間4トン近い量をさばくまでになった。ただ目標は100%JA出荷なのだが、個配のお客さんの顔が見えたりして心境は複雑だ。恐らく100%JAは絶対にありえないと、思う様になっている。写真は27日に出荷した青島。中々良い感じだ。オンマウスは個配案内用に撮影したワケアリ太田ポンカン。今年は着色遅れの大玉にようやく色が回った果が一杯ある。
ところで、家業の合間に29日に行われる清水いはらフェスの準備に余念がない。どうにもならない物は購入するのだが、手元にあるものは材料ベルでも剥がして流用するケチケチ作戦。リモートシャックで発電機舎からの給電ケーブル50mx2を抜き取って持ち帰り、端末処理を施し会場で電源環境を構築。会場レイアウトの変更で届かなくなったスピーカーケーブルを製作。ステージバックに収めるプラ段ボールを切り出しハトメ処理、それにポスターや手書き画をカミサンが貼り付ける夜なべ仕事。

Jan 25-26 今年もやって来た寒波…舞台で‐6.4℃
1月24日の天気予報は、25日朝から相当冷えると伝えていた。ここ数日、朝は5℃前後の気温が続いていたから、まぁ冷えても0℃を割る位だろうと考えていた。自分が寒いのは一向に構わないのだが、問題は甘夏(スルガエレガント)やレモンへの影響。昨年は舞台の甘夏の根元付近で‐6.7℃を記録して仰天した。殆どの果が雨上がり後の冷え込みで氷玉化し、その影響を受けて成長が止まり多くの果でスアガリが発生した。外見は正常で重さもあり大丈夫と思って包丁を入れると空洞が出来ていた。一昨年は気温は計っていないが、果皮がやられてベコベコになった。外観で不良が発見できれば良いのだが、昨年はそれが分からず苦労した。そして今年も似た様な状況にある。温暖化で平均気温は上がっていても。短時間でも冷えのピークは必ずやって来ると改めて思い知らされている。ただ、幸いにも空気が乾いていたので、昨年の様な氷玉にならなかったのが幸い。収穫は2月に入ってから行い、その後3月まで貯蔵するが果たしてどうなるか。写真は25日7時過ぎ、舞台中央で測った気温。‐6.4℃を示している。この時自宅玄関は‐2.7℃だった。ところがほぼ同時刻の翌26日は、自宅玄関は‐5.4℃で舞台は‐3.7℃で高低が25日と逆転していた。何が原因か分からないが、面白い現象に遭遇している。ところで寒さに弱いレモンは、葉が反り返り出しているので、果がポトポト落ちるのは時間の問題と思われる。1年間丹精込めて来たのに、本当に悔しい。

Jan 23 BIGLOBEからFTPS転送案内…FTP転送は3月15日で終焉
BIGLOBEからメールが届いた、どうもHPを開設している個人ユーザー向けらしい。読むと開設から20年以上使ってきたFTP転送が3月15日以降使えなくなるらしい。それで、それまでに転送アプリであるFFFTPの設定を変更しなさいと言うモノだった。新しい方式はFTPSで通信データが暗号化されるため、データ通信の安全性が高まるらしい。早々に指定のURLへ飛び、指示に従って変更を行い、接続テストをしてファイル一覧が読めるかどうか確認した。ところがこれ、我が家では数えただけでも5台以上のPCでFFFTPを使っている。1台ずつ電源を入れ手直しをするとそれなりの時間を要してしまった。中には緊急対応としてWindows7を残しているPCもある。大分通電していなかったのでバッテリLowで過負荷になり起動しないなどのトラブルと遭遇し。予定通りには終了しなかった。設定変更が修理対応に発展すると言う、トンんだ案内メールだった。3月15日に接続が出来なくなると高らかに謳っているので、今夜っときゃ安心だと終わってから一息ついた。しかしPCやインターネットが社会インフラになって、こうした一方的指示が多くて困る。まぁPC類と馴染みのある人は良いが、ご老人(自分も含め)やそうでない人には限界があると思うのだが。置き去りにならない様な気配りが必要だろう。

Jan 20 清水いはらフェスの準備状況
清水いはらフェスを1週間後の29日に控え、諸々の準備に忙しい。関係するのは広報とステージ部門。広報は大半の作業を終えているので、開会までの状況をHPでUPする作業が続く。手間が必要ながステージ。構造物は業者に願いして安価なモノを作って頂くのだが、飾り付ける物全ては自前で製作している。平行して現場でステージやテントの位置決め。そしてコロコロでケーブル長の計測や商用電源や発電機位置の確認など。更にPA機材のチェックで、11月のイベントで不調だった機材を中心に動作チェックを行い、不良機器は修理対応。深入りすると時間が足らなくなるので、早目に判断して他の機器を用意。発電機も9月の台風以来の起動を試みたが掛かりが悪い。でもバッテリが上がることなく数回のトライで2台とも回り1時間程度のランニングテストを行う。バンド楽器編成の最終版が届いたらMix-Ampを決定する。大は小を兼ねる的な発想は止めて、必要最小限+αに留める予定。また、WL-Micの伝搬テストや、電源容量の確認テストがあるが、これらは設営日の前日に行う。屋外配電盤から取らせて頂けるのは、側面の15A壁コンセントのみ。盤内のNFBからの直引きが叶わなかった…公共設備なのに。この電源でどれだけ音が出せるか…不足は明らかなので発電機を併用するハメになった。写真はステージ背面に吊るポスターパネルと演目パネル。オンマウスは自宅で展開する横断幕製作。ミカンの選果と出荷の合間も忙しく時間が流れる。

Jan 18 太田ポンカン・青島の選果と出荷の繰り返し
写真は18日朝、午後のポンカン出荷用に軽トラに積んだコンテナ(ピンク)。荷受け時間は14時〜15時指定なので、その直前に選果上へ赴き第1便を出荷。そして次の出荷用コンテナとパレットを受領して戻る。更に大急ぎで第2便のコンテナを積み選果場へ向かい出荷。同様にコンテナとパレットを受領し、この日のポンカン出荷が完了。この作業以外の時間は、朝から終日青島の選果に没頭。時々カミサンが加勢してくれるのは有難いが、どうも段取りが違うので笑っちゃう。何十年も一緒に生活しても同じ様にはならないのが不思議だ。これって個性なのか。オンマウスは19日出荷用青島の選果環境。元々照明設備は無いので、LED移動照明器具を天井に引っ掛け手元を照らしている。LED光は演色性に乏しいため、オレンジ色がイエローへ回って見えるので注意が必要。手前には軸高を切り取るハサミやゲージ、そして腐敗果を撤去するヘラと腐敗果用バケツが見える。軸高は切り手の癖が出るため永遠の課題だ。かつてはモロブタを引き出し別室で選果したが、その移動作業に骨が折れるので、貯蔵も選果も貯蔵庫内で行っている。ここは湿度80%以上に維持するために超音波式加湿器を足元に置いている。周辺は土壁で冬場の気温は数度に保たれている。加湿器は今季から使っている。給水は面倒だが、水を打ったり濡れタオルを用意したりを考えるとグッド。果の表面の萎びは例年より明らかに少ない。ただ、上部と下部の違いはあるので、室内のかくはんを考える必要がありそうだ。
毎年恒例だが、こんな状態が2月終わりまで続く…。

Jan 17 貯蔵ミカン品評会…YDG350VAレギュレータ交換投入
この時期恒例の静岡県貯蔵ミカン品評会用に太田ポンカンを提出した。例年だと大分気合を入れ慎重に準備したのだが、今年は忙しさの余り手を抜きもいいとこだった。年明けの2Lサイズ以上の仕分けのついでに、気に入ったLサイズ果を取り出して木箱に集めて熟成していた。それを本日朝、40個程拾い出して所定の段ボール箱に詰めた(写真)。木箱は2箱以上あって40kg以上の果があったが、ほぼ気分で一気に拾い出した。例年だと自宅へ持ち帰って、カミサンとアーでもないコウでもないとやるのだが、それが全くなかった。段ボール箱は8時半過ぎ、JA共選場へ提出してきた。ダメもとだがどのような評価が出るか楽しみだ。試しに1個食べてみたが「これぞ太田ポンカンの味」で美味かった。
ところでリモートシャック発電機YDG350VAのレギュレータ、年末に注文していたが昨日16日に届いた。本日、午前中に交換投入した。一見全く同じに見えるが(オンマウス)、ボルト固定孔部分の肉厚があり、ボルト長がギリギリだった。起動中でも12V台だったバッテリ端子電圧が13V台に上昇し、自己充電が行われていることが確認出来た。暮れに一度バッテリを充電したが、その後3週間も経つのに起動していて驚くが、不安材料が解決し一安心ってところだ。写真は起動直後でテスタは13.21Vを示しているが、時間の経過と共に上昇し14V近くになると思われる。レギュレータは整流回路を含み、最近入手したYDG350VAの回路図ではカレントリミッタと表記されている。

Jan 13 青島とポンカン出荷…御礼肥え施肥に奔走
先日青島とポンカンを出荷したと思ったら、今日13日は午前に青島、午後に太田ポンカンの出荷があった。出荷の合間に次の出荷のための選果を行う。同じ日に出荷が重なると作業が集中するのでカミサンの支援を仰ぐ。軽トラは24杯分のコンテナしか積めないので、48杯のときは共同選果場を往復する。割当て時間は1時間しかないので、その間に2往復すると結構忙しい。青島はモロブタへ収容してあるので、これを引き出して取り出す。モロブタは1枚毎高さが違うので、下に空コンテナを積んで支える…超原始的。電動リフトはスペースを取り小回りに難があるため採用に踏み切れない。ポンカンは南室(スリガラス窓)の木箱から取り出す。果皮が強く殆ど腐敗果は無いが、ヘタが凹んでいる果でのハサミキズが気になる。青島より加温状態にして着色と酸抜けを狙う。どちらも湿度が無いと果皮が乾くので加湿器を24時間稼働させ湿度80%超を維持する様にしている。ただ南室は天候に左右されるので様子を見ながら毛布等を掛けている。ちなみに北室には、集荷時のままのはるみが未だ毛布の中。
さて年末からの課題だった御礼肥えを始めている。田んぼ→汁見谷→寺山→伊野まで施肥し残りは舞台のみとなった。舞台はスルガエレガントへ落下防止剤の散布もあるためタイミングを見ている。
最近、自然の中で生かされていると思う様になった。そして怠けようとする自分を叱ってくれている様にも思える。多忙感は相変わらずだが、そう考えると前向きになれる。

Jan 12 PIC書き込みでコンペア不一致…特定のPICはOKで原因を探る
発電機スロットルのアクチュエータで使用しているPICが立て続けに2個不良になった。発電機の自己充電系の不具合対策で投入した中華製Rect&Regの可能性があり、そちらは元に戻し部品到着を待っている。不具合になったPICは予備基板から投入したモノ。予備基板復元のために静岡マルツでPIC12F756を2個買って来た。ところがこれ、書き込み後コンペアチェックするとエラー(不一致)。何度やっても同じ。その後所用で静岡へ赴いた折り、マルツを尋ねると最後の1個があり購入。ところがこいつもダメ。それで秋月に10個注文、到着早々に書き込みテストを行った。そこで面白い現象が発覚。10個の内2個は書き込みとコンペアに成功。とろろが残りの8個はマルツで購入したモノと同様で、書き込みは出来るがコンペアでエラー。何だぁコレとなった。PICのオーソリティへ打診中、電源が不安定かノイズではとなり、別のAC/DC電源アダプタを取り出して試すが状況は同じ。コンペアでエラーを出すアドレスはそれぞれのPICでほぼバラバラ(表)。エラーを出すPICからデータを読み込み、その状態でのコンペアはOKになる。しかし、別のPICへ書き込むとやはり同じアドレスでエラーになる。原因はPICなのかライターなのか…。成功している2個は虎の子なので、再書き込み確認はしたくない。ライターはマルツのMPIC06。他にMicrochipのPICkit-3があるが、使い方がイマイチ。手っ取り早くオーソリティに頼んで書いて貰うのも手かも。発電機との関係追及はずっと先になりそうだ。オンマウスはアクチュエータ基板でのテスト風景。

Jan 9〜 青島温州と太田ポンカン初出荷…共選場荷口検査員対応
9日に青島の初出荷、11・12日には太田ポンカン(2L)以上の初出荷。12日は共選場の荷口検査員対応があり、オレンジの上着と帽子姿で7時半〜15時まえ立ちんぼだった。出荷前は選果作業があり貯蔵庫で立ちんぼ。出荷や検査員対応後も貯蔵庫に篭り次の出荷の選果が続く。また華僑になってきた1月29日開催の清水いはらフェスの打ち合わせが晩に入ったりする。また日中も空き時間には遅れている「御礼肥え」の施肥や、この時期の農薬散布もあるため、時間がいくらあっても足らない状況が続いている。出荷状況や日々の作業の記録や日誌を付けている内に、床に就くのは26時を回ることもしょっちゅうだ。その場合は裏でリモートシャックを立ち上げ10MHz/FT8を楽しんだりしているから困ったモノ…起床時間は変わらないのに。何処まで体力が続くか分からないが、既に老人であることを忘れない様にしている。頼まれ事には嫌と言わない様にしてきているが、場合によっては必ずしもそうする必要はないと…。今月は青島と太田ポンカンの出荷、そして来月からははるみの出荷がある。JA出荷で落ちたワケアリ果は、全国のユーザーの皆さんへ戸配する作業が平行して行われる予定だ。
写真は9日7時過ぎ、軽トラに積んだ出荷用の青島が8時の荷受け時間を待っている。オンマウスは12日、共選場荷出しの様子。ベルトコンベアで箱詰めした青島が大型コンテナ車へ導かれている。手元まで機械で届いても、積み上げは手作業で膨大な時間が費やされている。

Jan 8 庵原地区二十歳を祝う会…山切どんどん焼き
恒例の庵原地区成人式が名前を変え「二十歳を祝う会」として庵原生涯学習交流館で行われた。昨年は連合自治会役員だったので必然的に参加したのだが、今年は無縁だろうと思っていたら、担当者から国家と地元歌(わがまち庵原)の音楽を流して欲しいと暮れに相談があった。前々回までCD再生をしていたらしいが、頭出しとか再生タイミングの精度を上げるためにPCでファイル再生したら大好評で、今年もそうしたいとする打診だった。二つ返事でOKし、前日の7日晩にセットして使い方を案内し8日の本番を迎えたが調子良く再生出来た様で何よりだった。
ところで8日は山切地区のどんどん焼きの日。13時に点火予定だったが、午後から風が強くなったため自治会長判断で12時40分に点火となった。今年も社会部員と組長以上の役員、そして消防による参加のみで、一般参加はコロナ完成対策で取りやめになった。大変残念なことで、かつての賑わいは無かったが、それでも関係者30名程の参加があった。
写真は庵原生涯学習交流館玄関前。多目的ホールで行われた式典後、写真撮影が行われ賑やかな雰囲気が漂ってくる。オンマウスは山切公園で行われたどんどん焼きの様子。どんどん焼き飾りの作り込みと現場設営、そして正月飾りの回収は、社会部員が対応。公園の清掃は組長さんが対応している、

Jan 5 スロットル・アクチュエータでPIC不良…今年の初仕事
リモートシャックのYDG350VAの始動性が最近良く無いなぁと感じた暮れ、ミカン作業の合間に出向すると始動用バッテリの電圧が起動しても上昇しない。普通は14V程度になる筈なのに…充電されていない!。何時からそうなったか分からないが、かかりが悪くなった(一発起動しない)と感じてから結構時間が経つ。逆に良くバッテリが持っているなぁとも思った。テスタで各所を当たると、フライホイルジェネレータのAC出力は問題ない。Rect&Reg出力を見るとまったくゼロ。Reg出力はキースイッチ経由でバッテリ回路に接続されている筈。キースイッチはリモコンからのリレーを駆動して代替する改修を行っている。大した回路じゃないと、中華製発電機(返品)の予備で購入してあった中華製のRect&Regを取り出し、暫定的にワニ口配線して動作を確認。起動させるとバッテリ電圧は12V台から14V近くまで上昇。これに気を良くして、エンジン筐体へボルト締めし、コネクタ類はファストン端子で中継してみた。一見良好に見えたが、下山して自宅からリモートするとウンでもスンでもない。再び出向して調べると、スロットルレバーを引くサーボ駆動基板のPICと、5VのSW-Regが壊れていた。基板やPICの交換を年末年始に2回もやった。結局中華製Rect&Regは諦め元の状態とし、バッテリ容量が減ったら充電することで対策している。写真はマルツから購入したPICへ、IProgライターでデータを書き込んでいる様子。12F675を2個も破壊してしまった。しかしそうなった原因がつかめないでいる。オンマウスは3日午後から始まった太田ポンカンの仕分け作業…今年の初仕事だ。

Jan 1-3 子供・孫たちの帰省
午後には子供や孫が帰省することになっていた。掃除なんて暮れにやっておくものだが、年末はそんな余裕など無かった。せいぜい正月飾りや年神様をはじめとする各神様(神宮様・大黒様・火神様・地神様・達磨様・仏様)の掃除や供物の用意で精一杯だった。それで到着するまでの時間で家の周りの片付けや掃除を実施。今年は3男がコロナ感染後と言うことで帰省を断念。長男一家が夕暮れ前に次男が夕暮れ後に帰省した。2人だけの生活が一気に大人数になり賑やかになった。写真は2日、鍋を囲んでの夕食。オンマウスはカミサンの実家の御両親を訪ねた時の様子。90を過ぎたご両親は、この日のために孫たちにお年玉を用意す気の入れようで感心する。次男は1泊、長男一家は2泊し、夫々帰路に就いた。3男一家とは2日、LINEのTV電話で近況を交換し合った。便利になったモノで、居ながらにして群馬の映像と音声が届いた。皆元気そうだった。
孫の大芽に富士山を見せる名目でリモートシャックへ赴き、不調だった発電機のSERVO基板の5V電源を投入するが電源では無かった。基板のPICが壊れている模様。その帰路大芽が川の源流を見たいと呟く。山切川源流の一つ、戸倉の川を源流の沢まで上り、川が段々と細くなり沢になって山に消える様子を体験。何を思ったのだろうか。大きな川も始まりは小さな沢の集まりだってことがイメージ出来た様だ。
3日の晩は残った正月料理をカミサンと2人で突く。何時もと同じ生活に戻っていた。

Jan 1 穏やかに明けた令和5(2023)年
大晦日は珍しく深酒もせず25時には床に就き、元旦は6時半過ぎに起床した。玄関の温度計は3.3℃を示していたが、庭先の畑は一面に霜が降り真っ白だった。恐らく地表の温度は氷点下で、日の出直前の8時近くまで気温は下がり続けたと思われる。年末からの忙しさは継続していて、やり切れなかった掃除を朝から始める。子供や孫たちが帰省する前にと、掃除機やモップを掛けたりと忙しい。朝食は年末についた餅で作った雑煮を頂く。やっぱり餅は良いなぁと、ようやく正月らしくなって行く。9時から東久佐奈岐神社で年頭会があり車で出発。大晦日の大掃除で集めた枯葉や枯枝に火を付けて焚火にあたる。三々五々集まる皆さんと新年の挨拶を交わし、9時10分に本堂前で団体のお参り。自治会長とJA運営委員長の挨拶があり解散するだけの簡単な催しだ。数年前までは7時からだったが、誰が言いだしたのか知らない内に9時になった。時間を遅くしたらか参加者が増えるのかと思ったら逆で、かつては40〜50名の参加も今では10名程度。皆さん朝に弱くなったのか、毎年通っている身からするとチト寂しい。その間にお参りに訪れる一般の方の方が数が多く苦笑する。来年は声掛けでもやろうかと呟く…。さてその帰路、一旦は通り過ぎたのだが、引き返して山切川のからたち橋を渡り、西山農道を上り恒例の定点撮影ポイントへ赴く。写真は何年も続けている定点撮影のスナップ。1〜2年では余り感じないが、10〜20年経つと結構違いがあり驚く。山は孟宗竹がはびこり、平地は民家が増えている。この谷は今後どうなって行くのだろうか。オンマウスは神社本堂…11時からの元旦祭を控える。

Dec 31 大晦日、今年も慌ただしく幕
昨年も忙しい年末だったが、今年はそれ以上だった。9月24日未明に通過した台風15号による水害対応でペースを崩され、今年より依頼された1反程のミカン園管理で追加になった作業量、自治会相談役に身を引いた後でも生ずる諸作業、JA柑橘委員就任による新た業務、道の駅社会実験実行委員会の広報とステージ支援、各種イベント・コンサートのPA-Mix…等々、枚挙にいとまがない。勤め時代は、仕事を理由にお断りすることも容易だったが、家業中心の自営では不可能も可能にする「調整」の妙技で、忙しさを自ら作っている感も強い。これ、実はカミサンも同じような状況にあるので、2人で良く笑う。まぁ健康な内は良いかぁなんて言っているが、あと何年辛抱できるか先が見えないのが本当のところだろう。
残っていた年末の挨拶回り、家の掃除や整理などをしている内にどんどん時間が経過する。山積みになったポンカン(写真)やはるみの選果作業も、大晦日と正月はお休みだが、貯蔵庫の温度や湿度が気になり覗きに行くから困ったもの。そこで、少しでもとコンテナの移動が始まったりする…色付きの悪い果の着色と糖度改善のために。
慌ただしく一日が終わり、恒例の紅白歌合戦をワッチする。ユーミンの「卒業写真」(オンマウス)を聴きながら柳生博さん親子の語録「自分でわかるんだ"ダメになっていく"って」が妙にリンク、年の瀬の戒めに…。紅白を見ながらリモートシャックを立ち上げ10MHz/FT8でDX運用。Eu方面が良好にデコードされ、紅白が終わる頃までに数10局と交信。音を出さないFT8と音の出るTVワッチ…これ新しい大晦日のスタイルかも知れない。年が変わり25時前に床に就いた。