5月31日に所用で名古屋へ赴く旨をJJ2NYT中西幹事へ伝える。当初は6月に入ってからのハズだった飲み会がこの日に転がり込むことになった。結果的にはその方が集まりが良かったらしい。 今回は、JA2AAU菅野OMのモルジブ運用や現地状況の報告があり大いに盛り上がり、また参考になった。 所用先の懇親会をこなし、予定の19時を15分程回ってから滑り込んだが、既に何れもアルコール変調。期せずして過変調、そして絶好調と化し21時過ぎまで無線とDX談議に華が咲いた。何しろ日帰り出張、名古屋駅で皆さんに別れを告げ足早に新幹線ホームへ向かい、21時49分のこだまで帰路に就く。静岡から東海道線で清水まで辿り着くと、恐る恐る迎えを頼んだカミサン運転の車で無事帰還。 それにしても73歳になって果敢に海外Pediへ出掛けたり、68歳になって夫婦で指導員顔負けのスキーをこなしたりと・・・皆さんお元気なのには感心する。 写真は龍園に集ったのんべぇHam仲間。右からJA2BNV山形氏、JA2ATE森島氏、JA2AZX杉山氏、JA2AAU菅野氏、JA2AVU富田氏、小川氏、JJ2NYT中西氏、JH2CLVオーナー。歳を重ねた先輩の方が何故か顔色が良く見える・・・気のせいか。 |
通勤途上の車で聞くR1の新番組すっぴん。今朝のパーソナリティは加藤紀子さん。アンカーは毎回お馴染みの藤井彩子アナ。毎日何気なく聞き流しているだけだったが今朝は違った。懐かしい名前が出てきたのだ。 ペテュラ・クラークと聞いてピンと来るのは我々の年代以上だろうか。 あの映画「チップス先生さようなら」(1969年英国)で、先生(ピーター・オトゥール)の相手役を演じ挿入歌も歌っていたあの人。名曲「ダウンタウン」を唄った歌手と言った方が分かりが良いかも。あの声と雰囲気が好きでファンになって久しい。 HiFiの音楽ソースをディスクレコードに頼るしかなかった当時は、FMで流れる曲と解説(関光男さんなど)は大変貴重で、録音して幾度も聞き入ったものだ。 もう引退したのかと思っていたら最近アルバムをリリースしたと加藤さんが伝えてくれた。 御年80歳と言うのも凄いが、放送された新曲MYSTERESは朝の時間にぴったりで中々の出来。 それを探してきた加藤さんのセンスに拍手だ。 1960年代後半には他に「いつも心に太陽を」(1967年英国)で歌手のルルが出演し挿入歌を歌っている。これも忘れられない作品で彼女のファンになった。 あの頃の学園映画には英国の良心を感じることが多かった。古き良き時代と言ってしまえばそれまでだが、現代人が距離を置いてしまった心意気や優しさを感じたものだ。日本の歌謡曲など気にもせず、女性ボーカルを聞いていた頃が懐かしい。 |
大正13年5月生まれの親父が満88歳になった。いわゆる米寿だ。実は前日25日が誕生日だったが、26日が土曜日と言う事で祝いの日をここに設定。
久し振りに家族や兄弟夫婦に孫、そして親父の兄弟、総勢17名が実家に集い米寿を祝った。当初は外に会場を求めようと考えたが、親父の「面倒だぁ!」の一言で家で行うことになった。面倒なのは親父が動くのがイヤなだけ。準備する側はそう簡単ではない。それを感じないのはやはり昔の人。カミサンと相談しながら準備を始めたが、姉夫婦や子供たちからの支援もあり嬉しい限りだ。また親父の兄弟の存在は大きく、特に昔の話では大いに盛り上がった。 写真は床の間・仏間・居間をぶち抜いた会場。足腰が弱く座卓がダメな年寄りのために、畳の上にテーブルと椅子を用意。カミサンの助言で初めて試したが、これって意外といける。奥の黄色いちゃんちゃんこと帽子姿が親父。祖母と祖々母の時は赤だったのだが・・・ネット情報によると米寿は黄色らしい。6年前に亡くなった母もこの様子を何処かで見ていただろうか・・・仏前で密かに報告。オンマウスは盛り上がった祖々母制作の藁草履。昭和30年代末の作品。 翌27日は朝からウィークエンドファーマー。再び蜂蜜絞りに汗を流す。 |
福井単身赴任時代にお世話になった友人、JA9CPY見谷氏が所用で24〜25日来静された。昼休みを利用して清水区の自宅シャックをご案内した。家の周辺はミカンの木をはじめとする一面の緑で、随分田舎と思われたに違いない。 写真はカミサンが撮影したシャックでのツーショット。実は奥に見えるKWM-2は福井時代に見谷氏からQSYしたもの。電源Hum対策やXtal-OSCのチューニング等を施して復活させ、何時でもオンエアできる状態にしてある。 オンマウスは既に拙作サイトで紹介している屋根裏シャックでのスナップ。実は今回が記念すべき「屋根裏シャック訪問者第一号」となった。指を差されている怪しいキカイを見て「何処の製品?」と質問があったが、全て自作ですと説明するとちょっと驚かれた様子だった。破れた障子に紙を張るなどそれなりの準備をする予定だったが、中々時間がとれずお恥ずかしい限りだった。見方によっては、この格子の奥はまるでお化け屋敷状態だ。 この日は清水魚市場の河岸で昼食を取り、アナログTV放送所の撤去が進む日本平を見物して福井への帰路に就かれた。 |
珍しく早く19時頃帰宅すると赤青に縁取りされた大型の封筒2通にVIA AIR MAILの印刷。そしてARRLのロゴマークが目に入った。一瞬???だったが、直ぐQSTとQEXだと分かった。実は昨年12月でARRLの会費納入を失念。今年2月頃からjh2clv@arrl.net宛てのメールが届かなくなっていた。当初はサーバーのメンテかと早合点していたのだが、どうも様子が可笑しい。冷静になってみると、毎月のQSTや隔月のQEXを最近手にしたことが無かった。と気付いたときは既に3月後半。そしてようやく会費切れに気が付く始末。早々に会費継続手続きをオンラインで行ったが、その間に届かなかったQSTとQEXは送付されない模様。ARRLへヘルプするとMark/KB1FMYからメールで丁寧な説明。予想通り会費切れの間は送付されないとのこと。入手のための助言を請うと「QST or QEX would each be $5.00 plus shipping」と返事があり早々にお願する。しかしそれだけでは心配だったのでARRLのQSTの係りへも「届いていない」とメールを送った。すると快い返事にビックリ。てことは近々またQSTが届くってこと?。そんなこたぁないよなぁ・・・でもQEXも押し込もうとしたらそれは係りが違うって断られたから可能性ありか?。 写真は届いたQSTとQEX。 |
先日の日曜日、コンテナ倉庫にあるYAMAHA/PM-700(オーディオミキサ/35Kg)を動かしている最中、ケースの下端をGU-74B組込み改修したFL-2100Zのメーターにぶつけてしまった。「バキッ!」と音をたて、同時に「しまった!」と言う思いが脳裏を過ったが後の祭り。メーターカバー上部が叩かれて破損。一瞬にして「トホホ」のピークに達した。「何んてこったぁ!」と自分を戒めたがどうにもならない。破片を集めて修理するのも良いが、確か富山のTMTさんにあったよなぁと気付き、早々にメールを送り2個発注。でもメーター機能は壊れていないから不幸中の幸いと自分を慰める。写真は22日に届いたメーターカバー。わずか数mmの違いで起こった破損だが、歳を重ねると勘が鈍くなり大雑把になるので気を付けたい。それにしても余計な出費で悔しい。と言いながら破片はしっかりとビニール袋に入れ復活の日を狙っているから可笑しい。 ところで今日は所用で日本平へ上った。下界から山頂を見るとUHF局のアナログ放送鉄塔が既に撤去されている。間近に見ると局舎も含め撤去の様子がはっきり分かる。これからVHF局も撤去され半世紀余に及ぶ日本平アナログTV放送所の歴史が閉じようとしている。 |
朝から「金環日食」とTVが騒いでいる。直接太陽を見たら危険とやたらと注意喚起している。「じゃぁ昔の人はどうだったの?」と聞きたくなる。あれはダメそれはダメとか、これでなきゃダメだとか色々言ってくれるが、昔なら誰でも経験しながら身につけた理科を感じない。最近のこの種の報道っておかしくない?。眩しきゃ目を逸らすし何かの影になる。暗きゃ瞳を開ける。人間て自然の中でダイナミックに対応してきた筈なのに…。そんなことを朝からカミサンと議論。TVがそう言うんだから黙って聞いたらと言われると余計悔しい。経験の中で学んできた初歩的な理科が、今や専門家を呼びコメントさせなければ収まらない風潮。やっぱりどう考えても可笑しい・・・・と嘆く。計算で金環日食をはじき出す数学って素晴らしい・・・これ誰も言わないの。 写真は静岡市葵区西草深町(英和女学院近く)で7時36分頃撮影したもの。金環になっている!。雲がフィルターになり太陽のレベルを押さえてくれた。とっさに取り出したデジカメにはNDフィルターなど期待すべくもなく、シャッター速度を最高にし、かつ露出をなるべくアンダーにして撮った。オンマウスは英和女学院玄関の時計と樹木。気が付くと辺りは夕暮れ時の様相だった。 |
5月も中旬。こないだ早生ミカンの花が開いたと思ったら散り、今は青島温州が満開。そしてポンカンやはるみ、そして甘夏にレモンまで開き出している。ミツバチ達は、待ってましたとばかりプーンと橘香るミカン畑をひっきりなしに飛び交っている。あと1週と思っていたのだが、19日親父が蜂蜜搾りを宣言。カミサンがせっせと準備するのを支援。親父は近くまで来て椅子に腰掛け講釈。内心煩いと思いながらも頷きながら作業を進める。写真は箱から取り出した巣枠(巣素)にハケを掛けミツバチを払っている様子。この後、別室に移され遠心分離機で蜜を搾る。その係りはカミサン。朝9時頃から昼食を挟んで15時過ぎまで作業が続いた。さすがに蜜を搾取されるミツバチは黙っては居らず、顔面めがけて突進してくる。不幸にもネット越しに上唇を一撃され、膨らみだした唇で河童状態だった。後方は腰掛の親父。 ところでずっと暖めてきた改修PJを立ち上げようと思っている。HFアンプTL-922に50MHzを追加しようとするものだ。昨年FL-2100Z/Bに50MHz機能を追加してからその可能性を感じていた。とりあえず検討と現状調査を始めている。50MHz専用機に改修するのも良いが、HF機能を捨ててしまうのは勿体ない話だし、技術的興味も薄い・・・。 |
20日は駿河甘夏の早朝収穫。何と朝5時に飛び起き西の谷津へ。朝食前1時間半の作業で80Kg程切る。既に明るいが未だ日の出前。大道や路地は静まり返っている。鳥は競ってさえずり自然はしっかり朝。のん気なのは人間だけかぁと軽トラを走らせながら呟く。この間までは特訓中と思えたウグイスの鳴き声はほぼ問題ない節回だ。山間に響くモノラックのエンジンを止めると自然の音以外何も聞こえない。鳥の鳴き声の他、虫、沢、風、枝葉の音…何とものどかだ。 さて今日は、隣組M宅よりハチコウ竹のタケノコが届いた。殆どが孟宗竹の当地では、ハチコウ竹は珍しく少数。孟宗竹は肉厚もあり、我が家では2時間以上茹でアクを抜く。ハチコウ竹は簡単でOKとの話だったが、試しに口にするとちょっとエグイ。程々のアク抜きは必要と言うのがカミサンの結論。写真はショウユとダシで甘く煮込んだハチコウ竹タケノコ。竹の匂いがぷーんと漂い心地良い歯ごたえ。孟宗竹とは一味違う舌ざわりを楽しむ。 この日は単身赴任解消後物置きと化していた床の間を整理…そして破れた障子の張り替え。一日中忙しい。オンマウスは本日の屋根裏シャック…新たに黒面の自作オールドトランシーバ達が並んだ。 |
5月12日。相変わらずの忙しさ。カミサンは午後から同窓会で、泊りのためか朝からやけに元気。ミカンの開花に合わせて農薬散布。ミカンがミツバチの格好の餌となるこの時期、実はミツバチを気遣い幾年も散布を控えていた。ところがそれがミカンの出来に影響するらしく、苦渋の決断で散布を決行。ただ作業を始めた7時過ぎは、曇天で気温も低いためミツバチの活動も少なく、影響は最小限に抑えられた。 昼食後カミサンは晩飯の支度をして仲間と伊豆方面へ車で旅立った。午後は完熟期の駿河甘夏を百数十Kg採取して終了。「無農薬」とは聞こえが良いが「ノー作業」と言った方が合っている。春先に配合肥料を撒いたが、それ以外は全く放置状態。それでも毎年実を付ける夏ミカンは丈夫で大したものだ。温州や晩柑系では手厚いケアをしなければ自然に負けてしまう。 |
翌13日も朝から忙しい。午前中大嶺の檜林に生えた竹と筍を伐採。Hanaの散歩を兼ね上ったが半日仕事になる。筍は長い物で5mにもなるが柔らかいので鋸作業は容易。ところが1年以上経つ竹は、檜同様に空に伸び切っても檜に寄り掛かり倒れない。引きずり出す様にして倒し林の斜面に並べる。そして先週手を付けた寺山の草刈り。縁側で親父と遠くの山を見ながら昼食。昨日切った駿河甘夏を箱詰め発送。そして親父がやり掛けが野菜の棚作り支援等々、あっという間に一日が終わる。そう言えば先週寺山の草刈りで尾羽のM先輩と初対面。カミサンと「農」の楽しみ方を伺い元気を貰う。農は議論よりも実践・・・なるほど。最近、何でも理屈をこねたり最初からダメな時の理由を考えたりする・・・危機管理の名の下に。困った時代だ。 写真上は13日11時頃、大嶺から吉原方向を見下ろしたもの。新東名清水JCTや伊佐布トンネルが見える。オンマウスは富士山方面。今日は16:9で撮ってみた。この景観がずっと続くことを願っている。 写真右は屋根裏に棚を組み込んだ様子。併せて昔の自作品を並べてみた。7MHz/SSB開局時に使った高1中2受信機、マイクロディスクTrの外部VFO、HFアンテナチューナ等々が並ぶ・・・何とものどかだ。 |
屋根裏シャックは大分「カタチ」になった。しかし写真に写らないところに昔の不用品がいっぱいある。年代物の桶に缶と木箱、衣類や内装具、ダンボール箱に図書や資料、灰の詰まった火鉢に瀬戸物の大皿・・・殆どゴミ屋敷だ。その中にあった紙袋で大発見。すかさず電子ファイル化したのが写真。山切農業協同組合設立50周年で配られた1959年(昭和34年)撮影の写真。撮影ポイントは通称「切通し」の東側の山頂と思われる。この切通しに関係した山は東も西も1967年頃に削り取られ現在は存在しない。撮影は隣組のM氏とオヤジが写真を見て呟いていた。中央に見えるのが山切公会堂。その向こう側が組合。右は民家で左は個人の貯蔵庫。未だミカン畑に改植される前で、田んぼが延々と続いている。大道も未だ未舗装の砂利道。道沿いに桜が咲き時季は4月頃と思われる。今や500戸もの住宅が立ち並ぶ地区も当時は80戸にも満たなかった。この様子を知る年代は50歳以上になってしまった。実はこの写真、自治会館となった組合事務室の壁に今でも掲げられている。 オンマウスはそんなこと知る由も無い屋根裏シャックのHana。座椅子でくつろいでいる様に見えるが、実はこの日の雷の音に怯えここに逃げ込んだらしい。 |
7O6TがQRVしているらしい。時々10MHzでDX運用はするが、積極的にパイルに参加するなど昔の話。JH2AHZのメールに7O6Tとあり、てっきりicomの新製品かと勘違い。7O(イエメン)と分かったのは随分後だった。ネット情報では朝、10.104MHz/CWにQRVする模様。6時に聴くと結構強い。軽い!と思ったが、10MHz八木はロータが回らず何年も北向きのまま。何とかなるかもとKWで呼び続けたがダメ。DX熱は消えた訳ではないが余り悔しさも湧かない。やる事が一杯ある今のライフスタイルではこんなものと妙に納得。写真は20年選手になったIC-756。
オンマウスは寝床の蛍光灯部品。何かって?。管(FL-20)を受けるソケットの接点片とリード線。2灯の片方が点かないので管とグローの組合せ変えている内に全くダメに。それを見たカミサンが笑っている・・・悔しい。こんな事ってあるの?と思う程にいい加減な半田付けにビックリ。再半田して復旧。早合点して器具を購入してしまった事が悔やまれるがこれは屋根裏シャックに収まった。 ところで5日は、孫の1歳の祝いにカミサンと3男と一緒に新東名で北名古屋を往復。会うたびに成長する姿に頬がほころぶ。爺と婆になってしまったが、気持ちは何時までも少年少女でいたい。 |
ミカンの貯蔵で使用している木箱(通称カナガワ箱)、1シーズンを経ると故障者リストに多数が上がってくる。既に10数個とまとまった数。場所をとるため本日意を決し修理作業を行った。何てことはない、割れたり釘が効かなくなった箱を完璧にダメな箱を部品取りにして治して行くのだ。実はこの箱、小学5年の頃オヤジの要請でかなりの数を組み立てた。今は無い昔の家の物置で朝から晩まで木に釘を打っていた。1箱作るのに80本近い釘を打たなければならないのだが、その速さと正確さには、オヤジ達も舌を巻いたことを思い出す。素材はヒノキの間伐材を切っただけのモノ(Kit)だから、節があったり筋があったりしても、釘と金槌だけでそれを上手くかわし総合的に仕上げる。こういう作業ってマニュアルには書きにくいよなぁ、でも勉強になり体に染み付いている・・・などと47年前に思いを馳せた。 連休前半に採取した駿河甘夏を箱詰めし、お馴染みさんへの発送を開始。今日の数は少数だったがこれからの週末はこの作業が暫くのか・・・カミサンの目がそう言っている様だ。例年より生りは少ないが、味はしっかりした駿河甘夏である。そして今年も完全無農薬・・・手抜きも良いとこだが、春先に配合肥料を撒いたよ。 |
今日は年に一度の人間ドック。8時から15時頃まで静岡市内のクリニックで缶詰になった。連休の谷間のためか、例年と異なり受診者の数が圧倒的に少ない。一部外部機関に依存するこのクリニックの方式は、検診項目に待ち時間が出来てしまい能率も悪かった。その時間は昼食に合わせてカミサンと静岡駅前をブラつくことで何とか消化。結果は一部後送だが大体予想通り。まぁ健康な部類の様だ。 写真は自作トランシーバを中心に組み上げ、初交信を果たした屋根裏シャック。何となく昔の様相だが、自作した1971年当時には、誰にも想像がつかなかっただろうPC群が鎮座している。これが、HamLogやDDS-VFO、はたまたインターネットからDXや無線情報をもたらす、今やアマチュア無線必須のツール。随分様変わりしたものだ。トランシーバ左は電源部を入れた八重洲無線SP-901、右は5T31シングルGGアンプ、上にオスカーブロックSWR-200、そしてLMF-501Tを使った自作AMラジオが見える。マイクと電鍵はトリオMC-50とハイモンドMK-706。PCと机上に見えるDDS-VFO用ロータリーエンコーダとマウスは、当時の感覚だとどの様に映るのだろうか。PC群に目を瞑れば1970年代初頭へタイムスリップした気分に浸れるのだが・・・。 |