手前味噌情報で恐縮だが・・・左は過去6ヶ月間(5月1日〜10月31日)のセッション数。オンマウスは同様にページビュー数。今後もご愛顧のほどをお願いしたい。 |
今年4月末に友人からGoogleAnalyticsの案内があり導入。サイト内の各ページのアクセス数やアクセス場所等の情報が手にとる様に分かる。こうした情報にのめり込んでHPのスタンスを失いたくないと思っていたが、元々余り数字など気にせず本質に興味があるようで心配は無用だった。導入から丁度半年経過したので、参考までに当HPへのセッション数とページビュー数を紹介した。グラフはここ6ヶ月間の変化を日毎にプロットしたもの。セッション数は毎日400〜500件程度、ページビュー数は1500〜2000件程度あり正直なところ驚いている。TopPageカウンタの歩進は毎日60件程度だからだ。因みにMainMenuページへのセッション数はTopPageカウンタの凡そ5倍もあり、TopPageスルーのユーザーが多いことが伺える。また海外からのアクセスは93の国・地域に及んでいる。トップは中国で続いて米国、韓国、ロシア、ドイツ、ルーマニア、イタリア、ウクライナ、ギリシャが続く。 参考までに、左はTopPageのアクセス数の推移で2001年9月からのデータ。横軸は日数で表示しているが、1目盛りが1年を示している。 トップページをスルーして閲覧される方が圧倒的に多いので、真の訪問者は前述の様にAnaliticsによればこの5倍程度はあるものと推測される。そして、そのうち約1/4がノーリファラーの方で、検索サイトを介さずに「お気に入り登録」等で直接訪問頂いている。 駄文や駄作を御覧頂き本当に感謝している。 |
一昨日CQ出版のRFワールドNo.8が届いた。今回の編集は、比較的身近な実験や製作をアマチュア的に取り上げており、今までと若干趣を異にしている。余り素人向けの製作記事に走ると、本来の本誌の特徴が失われるし、かといってあまりアカデミックな編集では読者が離れるし、編集長の苦労が伺える。昔と違いRFの一言でも様々なカテゴリーがあり、いくら無線のプロでも全てに精通するのは 中々難しい。無線の知識を広くやさしく理解するのにこの本は格好だと思っている。これからの編集にも期待したい。さて先月から読んでいた故久野古夫著テレビ人生一筋をようやく読み終えた。テレビ産業の黎明期からの業界裏舞台の様子、それに久野氏をはじめとする先人達の苦労や心意気が、松下電器産業を中心に記され感慨深い。やっぱり物作りが産業や時代を作るんだなぁと認識を新たにしている。それから月刊59誌の編集長JA1ELY草野OMから、友人のアマチュア無線家の友人ペンネーム熊谷敬太郎氏著ピコラエヴィッチ紙幣を紹介された。この本は、1920年極寒の北東ロシアで、日本陸軍と民間人700名が死亡した尼港事件が題材で、第2回城山三郎経済小説大賞を受賞している。実はこの時代に興味があり早々に注文となった。 |
電池管とICによるAMラジオの試作を楽しんでいたが、DC12V
電源をトランス式のシリーズレギュレータからACプラグ付のSW電源アダプタに替えたらとんでもないノイズ。あれやっぱりかと思いながらも、市場に氾濫するSW電源アダプタが如何程のモノか診たくなりスペアナにつないだのが左。DC12V出力をそのままスペアナ終端(50Ω)したものだが、正直なところ絶句だ。だって通信に使うレベル相当のノイズが非常に広範囲に散らばり、かつ周波数変動(写真では分らない)を伴っているからだ。
室内アンテナだと、中波はもとより短波放送も遠方の微弱電波の受信は困難かも知れない。電子立国を謳って来た筈なのに、どうしてこのような状況になってしまうのか・・・或いは許してしまったのかと寂しい思いだ。確かに小型でPCやデジタル機器には便利で影響がないだろうが、明らかに電波障害を受ける機器がある事をメーカーさんはどう考えているのだろうか。PLC問題と全く同じで、理科離れも甚だしい状況ではと内心。奇しくも今月は受信環境クリーン月間。総務省の皆さんのご意見もお伺いしたいところだ。 手前味噌だが、SW電源アダプタの弱点として別項にまとめたのでご参照頂きたい。DC電源はDCのみを出力する装置であって欲しい。 |
未だ真っ暗の5時に起床する。昨夜のアルコールはスカッと抜けていた。同僚の前で、明日刈込池に登ると豪語した手前、やや義務的になっている自分に気付く。楽しまなきゃ・・・と準備をしながら気を落ち着かせる。朝食はコンビニで調達する事にして5時40分出発。薄暗い道もR158を東走すると徐々に明るくなった。一条谷手前のローソンで握り飯5個と紅茶をゲット。2個は道中でパクつく。大野市内は相変わらずの霧で視界が悪い。勝原からK173で上小池駐車場に着くと7時。50台収容の駐車場に空きが数台・・・ラッキィ。池を右回りするルートを選び早々に歩き始める。途中までは4日に登った三ノ峰ルートと同じだ。三ノ峰方面と別れるが急に立ち上がる山道が印象的だ。何処まで登るのだろうかと興味を持って登山客を見送る。刈込池はファミリーなコースだが今は紅葉で賑わう。親子連れや夫婦連れ、1眼レフと三脚を携えた写真家など様々で面白い。登山案内より早く約50分で池に到着。デジカメのメモリを2GBに変更した事もあり、池周辺を取りまくる。写真は右回りで最初に見える絶景。オンマウスは反対寄りから背景に三ノ峰方向を入れ込んだ様子。池には約40分滞在し8時40分下山。9時15分駐車場へ戻り、11時前に早々と帰宅。 |
今日は職場の後輩の結婚式。今年の3月3日、桃の節句に結婚宣言があり職場はサプライズに沸いた。早いものでもうその日になった。祝辞の依頼を半年前に貰い、何とかなるさと相変わらずの楽天振りで過ごして来たが、やはり当日を向かえると気が重い。カミサンが電話で小話を教えてくれたが余り参考にならない。会場に赴くと厳粛な雰囲気。時間がどんどん迫る。更に気が重くなり胃が痛くなる。何度もやって来た筈なのに相変わらずの状況だ。これも持って生まれた性格だからシャァナイと意を決し排水の陣の破れかぶれスピーチ。何とか窮地を脱すると、これが意外と好評だから困ってしまう。準備ゼロのアドリブでは、初対面のご家族や親戚の皆様に失礼と思い、毎日書きためた単身赴任日記の3月3日分をコピーしてしたため、サプライズ具合を披露。 祝辞が終わると、自分の子供も結婚する年代になり昨今の披露宴の演出や進行具合に興味が広がっていった。30年近く前の我々の時代をダブらせながら、随分様変わりしたものだなぁと思いにふけった。写真は点火されたテーブルのキャンドルとチャペルを出る新郎新婦。この日は2次回も大盛況で同僚や友人達の心意気に触れ有意義な一日だった。オメデトウゴザイマス。 |
午前中隣町で葬式があり出かけた。式の段取りは地域で微妙に異なり興味を引く。斎場に入ると祭壇上手に家庭用の仏壇がありビックリ。先ずここでお経をあげ祭壇前でのお経に移る。ご先祖様への配慮なのだろうか・・・。隣に座った御仁もこれは初めてだと呟く。回りを見ると服に着けている小物類にも特徴がある。さらに焼香時、受付した人の名前を全て司会が読み上げた・・・初めての体験だ。凡そ1時間厳粛な時間が流れ出棺となり合掌で見送る。 さて丁度昼食の時間、参列した仲間と松岡のけんぞう蕎麦を訪ねる。お店の勧めで五合蕎麦を注文。皆様お気に入りの様子でさらに2合を追加し満足げに帰路に就いた。 さて午後は福井市フェニックスプラザでNHKのど自慢の予選会があり覗いてみた。予選の観覧は自由で、放送には出ない裏舞台が見られ楽しい。のど自慢はコンクールじゃないので歌の上手さだけでは選ばれない難しさがある。人間的な魅力や家族の温もり等、周辺情報も予選通過の条件になる様だ。事前に選考された250組の中から20組が選ばれ翌日の生放送に臨んだ。皆さんの結果はどうだったんだろうか・・・。 写真はけんぞう蕎麦の五合蕎麦でコシのあるおろし蕎麦。オンマウスはのど自慢予選会の模様。 |
早朝より深夜の方が混まない経験則により、9日21時に福井を発ち夜中25時過ぎ実家に帰った。24時頃になるとETC\1000効果で高速は混み出すが渋滞する事は無かった。これが早朝だと豊田JC辺りで渋滞し最後は止まってしまう。朝7時のラジオが今朝の渋滞を伝えており、やっぱりかと再認識。さて今日10日はカミサンの検診があり静岡まで車で出掛けた。結果が出るまで時間があるため、朝食抜きのカミサンにと喫茶店を探したが中々見つからない。ふと焼津大崩海岸の「かもめ館」を思い出した。現在は「ダダリ」と言うカフェレストランになっている。懐かしさも手伝い訪ねてみた。開店時間の10時より早く着いたが入り口にはOPENとありそのまま中に入った。カフェレストランとあるが長谷川現代美術館や工芸品の展示販売を兼ねた店になっていた。海側はガラス張りで駿河湾一望の絶景。30年前は半分が屋外のテラスになっていたが、現在は全て建物の上に収まっている。ここでボケーっと海を眺め思いにふけったり、或いは読書に没頭するなんて最高だ。コーヒーとサンドイッチを注文する。ご主人と奥様と思しきお2人に対応して頂いた。窓の内側にスズメバチが1匹迷い込んでいたが、店も客も全く動じない大らかさが可笑しかった。 |
それから今日は地区(山切)の東久佐奈岐神社でおひまちの祭り日(豊年踊り)。昔は10月16日と決まっていたのだが、勤め人が多くなりいつしか前直近の土曜日に行う様になった。青年団時代の昭和49年から53年まで主催側の一員として奔走したことが懐かしい。当時地区は100戸にも満たなかったが、あれから30年今では500戸を超えた。そして自治会の末端に位置していた青年団は消滅、祭りは自治会や有志(元青年団員など)に委ねられる様になった。若者は居るのであるが、こうした行事への関わりを遠慮する向きに時代と寂しさを感じる。客の多さは昔の比ではなく、その多さが逆に寂しさに拍車を掛ける。祝儀を受付に持参したが、最近地区の区分けが変わった事を知らずに旧名を伝えたがちんぷんかんぷん…ここにも時代の流れを感じ複雑な心境に。しかし、事情はどうあれ地区の皆さんのために自治会をはじめ昔の仲間が頑張っている。敬意を表さずには居られない…皆さんご苦労様。写真は豊年踊り前のセレモニーの時間。オンマウスは翌11日、隣の地区(杉山)の八柱神社の祭りで行われた竹の灯篭による水上のデコレーション。おびただしい数の灯篭を作り水の流れる山切川と参道に仕込んだ関係者の心意気に拍手。 |
実は11日の朝食時、紅葉には早いけど夜叉神へ行ってみるかと親父に提案すると即決。2007年11月4日に訪れたときは一面紅葉の絶景だった。それより3週間も早いので無理を承知だったがやっぱり早かった。しかしこれも中々良いとやせ我慢発言。9時清水からR52を北上し山梨県に入り甲府盆地南にある増穂町から夜叉神を目指すと11時半頃到着。広河原へ降りるバスにタッチの差で間に合わず、今回は夜叉神トンネル手前の夜叉神の森駐車場(登山口)で食事と日向ぼっこを楽しむ。帰りには天恵泉白根桃源天笑閣で親父と一緒に温泉に浸かる。風呂上りに牛乳を飲んだら、親父は缶ビール・・・気楽なもんだがこんなものか。14時帰路に就き清水へは16時過ぎ帰還。 12日、昼食後福井への帰路に就いたが午前中は畑仕事。カミサンと配合肥料180Kgをミカン畑に捲く。親父も一緒にやるのかと思ったらサツマイモのつるをカマで切り始めた。悪い予感・・・別の畑の肥料捲きもやるつもりだったが、結局サツマイモを掘り起こすハメになり、肥料捲きは行方不明に。凡そ50Kgの収穫であったが、その日の気分で作業をする親父の早代わりには苦笑する。写真は紅葉前の夜叉神の森とオンマウスは肥料撒きから鞍替えのサツマイモの収穫。 |
台風18号が四国の南にあって北東に進んでいた。昨日は自作ラジオでR1を鳴らしたまま床に就く。一晩中流れる台風情報を聴きながら、眠ったり目を覚ましたりで夜が明けた。5時に起床するが最初は大した事無いと思っていた。ところが夜明けと共に風が強くなり、東側のガラス窓が風圧でミシミシいい出した。ふと屋上のグラスファイバー・ポールのアンテナが気になった。IC-756でR1を聴くと何時もと同じレベルでホッ!。そして出勤時に屋上を見上げると、良くここまでしなるものだと驚くと共に、こりゃ曲芸だと呟く。この台風は雨より風。福井市内でもトタン屋根が吹っ飛び別の場所に落ちたりした。豊橋港のコンテナ流出、それに土浦や龍ヶ崎の突風もスゴイ。刻々と伝わる全国のニュース映像を見ると、自然の力ってスゴイとつくづくである。東海北陸地方では昼頃までに過ぎ去ったが、一過状況は東海と北陸では違うようだ。清水のカミサンがたまたま訪れた三保の松原から撮った富士の写真を送ってきた。さすが太平洋側、福井は午後になっても依然と雨交じりの暗い天気が続いた。見ていると段々と悔しくなってくる。写真がそれでオンマウスはアパートから見る朝の福井市内。全国の被災された皆様には心からお見舞い申し上げたい。 |
山好きの同僚達が3〜4日で鏡平へ向かった。新穂高温泉からの入山だがそれに合わせる様に天候が回復。中部山岳地帯は近年稀に見る眺望になった。私の3日は自宅で所要。雨が残るぞと脅かしたが驚きの空模様。いたたまれず石川と岐阜に跨る三ノ峰登山を決意。そして今朝、5時15分起床。ハムトーストとコーヒーの朝食を済ませ、定番の準備に水500ccx2本をザックに入れ5時45分出発。途中コンビにで食料と500ccの紅茶を調達。R158で勝原からK173へ降り鳩ヶ湯経由で打波川沿いをドン詰まりの上小池駐車場まで上る。7時5分、一番乗りかと思ったら既に車10数台。どうも刈込池へ登る人が多い模様。7時10分出発、8時20分六本檜、9時10分剣が岩、そして三ノ峰(2128m) には10時25分登頂。見通しが素晴しく先週登った平家岳に富士山も確認。鏡平のある北アルプス方面もクリア。そして間近には別山と白山。後から来たご夫婦が「別山て良いよぅ!」と呟く。時計を見ると10時45分・・・行ける!。予定変更で別山を目指す事に。別山(2399m)登頂は12時26分、下山12時55分。今日は9時間半(20Km)も歩き、駐車場へ戻ると16時50分でもうヘトヘト。写真は別山平(2210m)と御手洗池ごし三ノ峰。オンマウスは別山からの白山。 |
中秋の名月・・・亡くなった祖母が縁側に置かれたちゃぶ台に土手から刈ってきたススキを飾り、こしらえた団子を供える風景を何となく思い出している。マスコミなどで何も言わなければ単身赴任ではこんな季節も知らぬ内に通り過ぎてしまう。そういう意味では季節感や日本文化を伝えてくれるマスコミ情報は有り難い。TVが「全国で中秋の名月が見られそう・・・」と伝えてくれなければ何も無しで終わってしまう処だった。ススキも団子も無いが夕食を取り21時頃ベランダに出たら見事に南東の空に丸い月(満月は明日)。早速カメラを取り出して撮影した。ところがアイリスオーバーで月がすっ飛んでいる。暗くてよく分からず部屋に戻ってカメラを見るとアベレージ測光になっている。これをスポット測光にして撮影したのが左の写真。こう言う被写体の場合はレンズの良し悪しがはっきり出てしまう。光学x10倍ズームでも中古市場で\2K程度になってしまったデジカメではこんなものか・・・。それでも田舎でも同じ月を見ているかなぁとか言って思いを馳せる。 オンマウスはいよいよ箱に収めようとしている単球&2ICラジオ。試しに古いPC用スピーカーボックスに組み込んでみた。同調ノブとVC間にはボールドライブを組み込んで本格的だ。 |
ひょんな事で知人の伊藤氏が友人のJA9BOH前川氏と出遭った。どうもトーン制御で何かをやりたいご様子。前川氏はDTMFを案内し、ついでに私のDTMFサイトを紹介された。そこで私の名が出てビックリした伊藤氏が訪ねて来られた。DTMFで盛り上がったが、一段落すると世間は狭いですねぇと一致。事のついでに福大の葛原氏を紹介すると興味津々。実は葛原氏は前川氏の後輩でGaN半導体(窒素化合)の世界的権威。そこでまたGaNと人脈で盛り上がり「今度一緒に飲もう」となって分かれた。善は急げ・・・話は早い方が良いとばかり本日晩、福井市宝永4丁目の居酒屋「ひさだ」でアイボールとなった。 写真は話の種に持込んだ12AD6単球&2ICラジオ。野球中継を鳴らし、これでもスーパーヘテロダイン!と自慢。前川氏は伊藤氏の要請でDTMFエンコーダを基板にまとめ持参、ピッ・ポッ・パッと心地良いデュアルトーン。葛原氏はGaN半導体開発の近況を国家レベルの内容で力説。伊藤氏は理科離れを嘆きながらマクスゥエルの電磁方程式や人生論。皆さん本当に理科や工作がお好きのようだ。オンマウスはテーブルを囲む皆さん。左から前川氏・葛原氏・伊藤氏・・・そして左手で撮影するアルコール変調の私。あっという間の3時間だった。 |