先週、友人のJG2CMJ/JA6EOC守山氏からの電話で、宮崎から名古屋へ戻るので31日にお邪魔したいと連絡があった。目的は恒例の不用品の投棄。投棄と言うのはチト恐縮だが、彼はそのつもりでいる様だ。今回はLPレコードが中心とか言っていたが、13時頃到着するとビックリ。キュビカルクワッド用大型クロスマウント、パンザマストのローテータ&ベアリング基台、50kgもある高圧トランス、新品ファン40個段ボール箱入り…LPレコードより遙かに多く苦笑。写真は車庫に下ろし一段落したときのご夫婦とのスナップ(撮影カミサン)。今回のLPはJAZZが多いと、コンテナから取り出しポーズ気分だが良く分からない。宮崎(都城市)からは軽トラで2泊しながら名古屋に来られ、更に日帰りで静岡まで足を延ばして頂いた。自分より大分ご年配にもかかわらず1000km近くを運転される姿に脱帽だ。福井時代によく走ったと言ってもせいぜい400kmだからスゴイ。投棄されたグッズはとてもゴミには出来ないので有効に活用すると誓っている。その晩、無事名古屋へ戻ったとショートメールが届いた。 ところでオンマウス。屋敷南のミカン畑の早生ミカンに早くも獣害があった。草刈りをしているとミカンの木の近くにミカンの皮が散乱。木からミカンをもぎり、ここまで運んで食べたんだろう。イノシシはこんな器用なことは出来ないから、恐らくハクビシンの仕業だ。来週りから早生ミカンの収穫が始まるので要注意だ。今年はカメムシ被害が多く、元より収穫量が少ない所に獣害が加わり、踏んだり蹴ったりの状況が見えだしている。困ったものだ。 |
このところリモートシャックのディーゼル発電機YDG-530VAの始動がイマイチ。一発起動が出来ない状態が暫く続いていたが、その内10数回トライして起動しないことが発生していた。出向して軽トラから給電して起動させたが、起動中でもバッテリ電圧が緩やかに低下して行く。丁度1年半ほど前に発生したカレントレギュレータ不良の症状にドンピシャだ。前回は、ヤンマー関連の部品ショップへ打診すると\10k超のため、ネット上で同等品を探し当てた。今回も同様だが、以前の販売サイトは既に無い。新たに探し当てたが、\3k台から\9k台まで様々。ところが写真を良く見ると皆同じに見える。それで一番リーズナブルなモノを2個発注しゲット。11月に到着予定が1週間も早い28日に到着した。奇しく週末から再び起動できなくなっていた。朝夕の10Hz/FT8運用は全てリモートシャックで運用しているので、運用出来ない寂しさを感じ出していた頃だった。そして29日朝、リモートシャックへ赴く。バッテリの端子電圧は解放で12V台を示していたが、起動をかけるとグゥッ!とセルモータが反応するだけで回る力がない。やっぱりと頷きながら、早々にカレントレギュレータを交換する。オリジナルを含めて3代目になるが、これってこんなに頻繁に壊れるものなのかと内心。今回は2個購入し予備があるのでまぁ安心だが、何処かに弱い部分があるのか調べてみたい。写真は交換終了した後のスナップ。新旧のレギュレータは中華製で同じ製品だった。オンマウスは箱入りで届いたレギュレータ。 |
この日は終日忙しかった。9時から庵原生涯学習交流館で秋祭り、PAの支援を行った。交渉して7時半に開館したが、7時過ぎに現場入りすると既に開館を待つ人の山。もう少し融通を聞かせて欲しいと内心。PAの大半は前日午後設営済みで、戸締りで切り離した部分の再設営。屋外で行われる式典や一般連絡用のPA環境の設置と、多目的ホールの音声出力の屋外送出が目的。後者はホールの様子を屋外へ流すこと。これによりお客さんの足がホールに向き好評だった。交流館を10時過ぎに離脱して草薙生涯学習交流館へ向かう。ここでは静岡県電波適正利用推進員協議会による電波教室の支援。開場設営の後、電波に関するDVD視聴とクイズの後、本題のFMラジオキットの製作が行われた。毎度のことだが、真剣に半田ごてを握る子供たちから元気を貰った。SDRによるFMラジオはステレオ受信が可能。少年時代に作った真空管式はモノラル受信がやっとで、ステレオなんて夢のまた夢だった。16時過ぎに撤収を終えて庵原生涯学習交流館へ戻る。たった一人の撤収作業を終えると17時を回り辺りは真っ暗。今日はこのまま終わらず、20時の参院選投票終了を待って自治会館へ赴き、「投票所へ行こう!」放送で使ったPC類を撤去。長い一日が終わったかに見えたが、開票速報ワッチが深夜まで続いた。写真は庵原生涯学習交流館、オンマウスは草薙生涯学習交流館。 |
ところで10月25日の19時ちょっと前、車で自宅を出てバス通りに出ようとした時、道路中央に鎮座する怪しい物体が目に入り5m程通り過ぎた。もしやと思いバックで戻ってみると当たりだった。ズガニだ。しかもバカでかい。これまにこの辺りで見たズガニでは最大じゃないか。恐る恐る近付くと爪を立て威嚇してくる。甲羅を捕まえようとすると直ぐ向きを変える。百戦錬磨の経験を経てこの大きさになったんだろう。足で蹴飛ばして仰向けにしても直ぐ起き上がり戦闘態勢になる。しょうがないので、ガラホ携帯へ抱き着かせて道路の端まで移動。車のヘッドライトの漏れ灯りが当たる様にした。写真がその様子。爪の毛は湿っているから最近まで川に居たんだろう。このままじゃ車にひかれるので脇の畑の中へ誘導。凡そ2時間半後の帰路、現場を確認したが何も形跡は無かった。無事を願っている。 ところで27日は衆議院選挙。今回も自治会では「投票所へ行こう!」放送を行う。10月22日に自治会館和室で収録した素材は、24日に完プロし25日にタスクスケジューラ―に登録。そして本日26日朝、PCを自治会館放送室へ設置。10時から自動送出が始まっている。少しでも多くの方が、27日に投票所を訪れることを願っている。オンマウスは設営を終えたPC。音声出力はトランスでステップアップしミキサのインサーションジャックへ繋ぐ。 |
ゆら早生が市場で好評の模様で追加の集荷案内が届いた。もう出荷する気はないのだが、友人知人へ送るために後拾いを行った。屋敷は着色の遅い果を残しておいたが、意外と量があり100kg程の収量があった。私的には少し酸味を欲しい気がするが、一般的にはこれでいいらしい。写真はその中からお客さんへ届けるゆら早生をカミサンが選別している様子。どうも気持ちが入ると見た目が良い果に手が伸びるのは人情。しかしここでもソウカ病気味のガサゴソ果の方が味が濃くて美味しい。ところでオンマウス。汁見谷ハウスに植えたゆら早生は2年生で、5月に全て摘蕾したつもりだった。ところが密かに花をつけて実になったモノが結構あった。果が大きくやや浮き皮だが、ゆら早生の特徴が良く出ている。酸味がなくジューシーだ。昭和40年代に主流だった30kgコンテナがほぼ一杯になった。 ところで秋になりようやく草が静かになって来た。田んぼのミカン畑周辺はマキノキの垣根に囲まれている。マキノキの不用枝の伸びが気になるが根元の草はもっと気になる。カミサンがせっせと草取りを始めたので、それにつられて一緒に作業する。空き時間を利用して26日午前中までにようやく完了した。さぁあとはマキノキだ…。 |
初めてJAへ出荷したゆら早生の評価が気になっていたら、本日昼メールで速報が届いた。目揃え会には出ているものの、3部着色以下でも集荷すると言われても、初めてって言うのは気になるものだ。かなり気を使った選果になってしまう。恐る恐る添付のPDFを開くとビックリ…もっとアバウトな選果で良かったんだ。表はその抜粋。集荷条件は〇品以上だが、障害果を除いた分で見ると、○品は僅か0.7%で、残りは全て良品以上だった。しかも秀品は62.8%で優品は26.4%あった。ちなみに上段が出荷内容で、下段は共選場平均値。これだと選果落ちした果(個配に回る)でも十分出荷できる印象だ。来年はちょっと戦略的に選果にしたいと考えている。 ところで実験中のSSPA。教えられることが多々ある。技術的な問題は当然だが、実験結果を見て助言してくれる仲間や彼らの考え方。それぞれの経験や洞察に基づく見解を夜毎メールで送ってくれる。アマチュアもメーカーの方も居られる。実に良い仲間だと思う。こうしたことが不具合の連続でもモチベーションを維持でき、明日の目的に繋がって行く。自分の体験もそうした力になりたいと思っている。オンマウスは、ドレイン電流低下なのにどうして出力上昇(2.6kW)するのと議論のスナップ。 |
7時出発の予定だったが、カミサンが起きて来たのは6時半。30分じゃ準備が整わないだろうと思っていたら案の定。7時半にようやく自宅を出発。中部横断道路を北上するがカミサンの体調がイマイチ。富沢ICや南部ICと続けざまにWCタイムをとるも、その後は順調だった。双葉JCTで中央高速へ入ると甲府の無線仲間と430MHzで交信。前回同様に須玉ICで下りようと話すと、韮崎ICの方が良いとアドバイス、久々に韮崎の街を抜け釜無川沿いのR20に出た。青年時代にR52とR20を繋いで幾度も長野県のスキー場へ通った道で懐かしい。右手に地盤沈下か隆起で出来た岩壁が見え、社会科で習ったフォッサマグナが頭に浮かぶ。そうこうしていると韮崎市から北杜市へ入る直前の信号で停車。前方左に台ケ原宿市駐車場を発見、ここは便利だと入場。送迎バスは1kmも走らないで台ケ原宿市南端に到着。その間運転手さんと歓談…今年は未だに気温が高く、稲を刈っても新しい穂が出て田んぼは初夏の様相だって。9時半頃から14時過ぎまで会場を散策する。昼食は昨年同様「くぼ田」蕎麦屋さん、お土産も「金精軒」と「七賢」で済ませ、龍福寺でSwin Bird Jazz Orchestraの演奏を聞き、クラフト店のカフェで休憩。七賢では昨年、酒蔵の市で購入した皿が気に入り、カミサンと探すが、さすがに見つからなかった。PAに頼らないJazz演奏には音の原点を感じ「良いなぁ!」と呟く。14時過ぎには今日の仕上げに尾白温泉へ向かい、15時半には帰路に就き17時15分に清水に戻った。何とも慌ただしい1日だったが、台ケ原宿市歩きのコツを覚え、これから毎年の恒例行事になりそうだ。 |
18日は「ゆら早生」の初JA出荷を行った(前日選果)。ゆら早生はこれまで、量が揃わずJA出荷は諦めていたので、今年が初めての出荷となった。当初は20kgコンテナで48杯の申告だったが、カメムシやカタツムリ被害で量が揃わず半分の24杯に変更した。しかしそれも怪しくなり結局16杯(8杯単位なので)となった。ゆら早生等の極早生種は、3部着色で出荷できるので、着色の遅い当地としては嬉しい。また評価が落ちても構わなければ、3部着色以下でも出荷できる。写真は8時の出荷に備えて荷積みした軽トラ。 ところでお恥ずかし話し。17日の夜中、LDMOSのSSPAで2kWの合成出力を得て気を良くしていたところ、ドレイン電流の低下にも関わらず出力が2.6kWに上昇する奇妙な現象が発生。暫く様子を見ていたら再びHPA1側のLDMOSが昇天。こうなると、トホホを通り越して「Why?」となりアマチュア精神は無事の模様。再び予備のLDMOSを投入し復活させた。単体の問題より合成することによるシステム的な問題(RFグラウンド関係)と見て、筐体実装までは合成は止め、2系統でテストすることにした。今回の場合は自分の不注意が多分に関係していると反省している。詳細は実験ページに追記している。オンマウスは、HPA1/2各系統の出力をそれぞれ測定している様子。安定に1kW程度を出力している。 |
先日子や孫たちへ送った極早生ミカンの御礼が寄せられている。写真は名古屋の孫娘から届いたイラスト。イラストと言っても届いたミカンに顔を書き入れ、喜びの表情を表したもの。ほのぼのとした感じがしてカミサンと思わずほほ笑んだ。何も言わないのに、こうしたアイデアが湧き自然に手が動くってスゴイと思う。ミカンのど真ん中に正対して描かないで、何となく傾いた姿が良い。今年のミカンはカメムシ被害もあって出来は良くないけど、元気を貰った気がして嬉しい!。 ところでLDMOSが連続して昇天。トホホ状態で密かに次の作戦を考える悶々の日々を送っていた。SSPA実験ページの加筆もちょっと滞っているし、無いことは書けないし、色々な思いが頭の中を駆け回っていた。それで15日夜、現状や不具合に至った経緯や、現在出来ることを整理した。その結果再びLDMOSを交換実装することでまとまり、深夜にかけて工作を始めた。銅板のタップ立てや削り落とし、シリコンコンパウンドの塗布とシートシンクへの取付等。その結果不具合系統が復旧し、2系統のHPAが動作可能になった。その勢いで初期の目的である2合成まで走り抜け、合成出力2kW程度を得るに至った(オンマウス)。原因の完全追及までは至っていないが、カッコ悪いけど可能性のある用件はリストして実験ページに追記し、今後トラブル対策の基としていくつもりだ。 |
10月15日の午後、恒例のアサギマダラ1匹がフジバカマにやってきた。カミサンと今年は遅いなぁと話をした直後だったからビックリした。しかし昨年までの日誌を見ると、春の飛来は覗いて、秋は10月20日前後だから、例年通りかちょっと早いか位だった。そして16日午前中、今度は2匹のアサギマダラがやって来て我々の目を楽しませてくれた。写真は16日10時半過ぎ、曇り空の中やって来た2匹の内の1匹。この1匹結構な役者で、こちらの思いが通じたのか、余り点々と移動せず、落ち着いて羽を広げたり閉じたりとサービス精神旺盛だった。たまたま訪れた客人も十分堪能された様だった。オンマウスは15日、蜂場横のフジバカマを訪れた今季最初のアサギマダラ。この日は天気も良く、前述のゆら早生の収穫中に現れ、こちらは点々と場所を変え、落ち着いた撮影をさせてくれなかった。何れも、調査のための文字や記号が入らない自然の状態の蝶で、正直ホッとするような思いだった。さて今夜から雨になりそうだが、明日もやって来るだろうか。フジバカマはプンプンと匂いを発している。 |
14日からゆら早生(極早生種)の収穫が始まった。ゆら早生は自宅前と汁見谷で90本程を定植しているが、汁見谷は2年生なので今年は摘蕾し果は生らせていない。今年はカメムシの大発生中で、収穫中にもカメムシと遭遇する。ゆら早生は基本3部着色で出荷できるが、それ以下でも評価は下がるもののJAは荷受けをしてくれることになっている。なので全て収穫しても良いのだが、見た目チョッとってのが必ずあるので、それは出荷の直前まで生らせ着色を期待する。着色も表側が着色が進んでいても裏側が真っ青だったり、着色は薄いが全体が同じ調子で着色している等の違いが木や枝ごとにあり悩ましい。しかし何れであってもゆら早生は酸味が殆ど無いので食べやすく、青っぽくても収穫して市場へ流した方が消費者からの受けは良く高値になる。写真は自宅の監視カメラの映像。1人ぽつんと収穫作業をしているが、途中からカミサンが加勢し2人体制で収穫を行った。木は4年生で、ようやく量がまとまる様になり、JA出荷は今年が初めて。オンマウスは収穫したゆら早生。どちらかと言うと小玉傾向で2Sサイズから出荷が可能。未だ青味が残る状態だが、完全着色の必要がないため、当地の様な山間の園地での栽培には向いていると思っている。出荷は18日だが、カメムシやカタツムリの被害もあり、予定していた割り当て量に満たない状況になっている。 |
帰宅して軽トラを下り、庭先の通路を左へ曲がったら右側から出て来たヘビと遭遇した。出会い頭なんだろうが、ヘビはいつ見てもビックリするが、ヘビも相当慌てた様に見えた。通路の片隅に蜂の巣箱を何個か天日干ししていて、ヘビはその下へ逃げ込んだ。箱を寄せて隙間を無くし、向こうとこっちにコンテナを置き逃げ道を塞いだ。まったく子供の頃と同じ遊び心だ。そして巣箱を一つずつ起こして中を覗いて行く。カミサンもやって来て一部始終をスマホで撮り出した。ところ最後の箱を起しても何もいない。可笑しいと思って箱を全て取り払うと居た!。マキノキの根元を囲う石の間に生えた竜のヒゲの下で、巧みにトグロを巻いて収まりじっとしている。ヤマカガシだ。30年程前の平成の始まりの頃、ヒキガエルを飲み込んで動けなくなっているヤマカガシを子供たちと観察したことがある。それ以来だ。あの黒と赤に黄色か緑が混ざった体は印象的だ。昔は家の周りは田んぼばかりで、ヘビと言えばヤマカガシだった。そんなことを思い出していると急に動き出し、慌ててシャッターを切ったのが写真。尻尾の先は未だ竜のヒゲの中だ。全長は1m超と思われデカイ。そしてそのまま庭木の中を進みだしたので、尻尾を足で押えること数回。家の犬走まで来てようやく取り押さえ、足の代わりに石を乗せヘビの自由を奪った。その後は久し振りに見るヤマカガシを観察。動植物好きの先輩もやって来てしばしヘビ談義となった。オンマウスは尻尾を石で押えられ先に行けなくなったヤマカガシ。悪趣味だと言われそうだが、子供の頃は良い遊び相手だった。ヤマカガシの毒はマムシより強力らしい。鑑賞後、石をのけると自然に帰って行った。 |
久佐奈岐神社は子供の頃は東久佐奈岐神社と呼ばれていた時代があり、今でも年配の方はその呼び方をする。自分もつい東…と言ってしまうが、現在の正式名では東が外れている。そもそもはJR草薙駅から山側へ上ったところにある草薙神社と混同しない様に「東」を頭に付けたらしい。ただ、当地の久佐奈岐神社の方が歴史的には由緒あるらしい。 さて今年も恒例の豊年祭りが12日に開催された。昔は「おひまち」の日になる16日に行われていたが、勤め人が増え参加し易い直近前の土曜日に変更している。朝から神社の清掃が氏子や自治会で行われた。境内では櫓の設置や紅白幕等の飾り付け、参道では灯篭の設置が行われた。平行して売店の準備が自治会とワイワイ倶楽部の手で進められ、併せて地元電気店による灯りの設営も行われた。それからご依頼のPA機材の設置とチェック。本堂では11時より氏子総代や自治会そしてJAの関係者による神事が行われた。15時からは子供みこし(静岡新聞取材)が繰り出された。そして17時、打上げ花火を合図に太鼓が響き、神殿前で拝礼が行われ開催宣言となった。昨年から20時過ぎには終焉する形をとっているが、まぁこの時間に終わるのも悪くはない。 写真は境内広場の豊年踊りの様子。オンマウスは、神殿前にある本堂に上がり世間話に興じる地元の皆さん。今年は人が多く。特に子供たちが目立った。毎年誰かが担当し次へ引き継いでいく。この単純なことを普通に続けて行って欲しいと願っている。 |
普段ならほぼ一発で悪くても二発目には始動出来ていた発電機YDG-350VA。ところが最近10回近くに及ぶことが時々あった。8日の晩は10数回のトライでもウンでもスンでもない。9日早朝出向し軽トラPCをリモート接続し試みるがだめ。ローカル起動させようとしたが同様。バッテリ電圧は12.6Vあり正常。ではヒューズかと思いホルダーを開けてみた。見た感じでは切れていない。可笑しい!。ヒューズの両端をテスタで当たると何とオープン。振動する機械のガラス管ヒューズは見た目は正常でも、温度による伸縮と振動により切れている場合がある…それか!。予備ヒューズに交換してローカルで始動を試みると見事一発起動だった。気を良くして下山し、その晩はリモート運用を楽しんだ。と、ところがである。翌早朝、始動を試みるるが10回以上トライしても回らない。緊急出向するとヒューズはOKだが、ヒューズとホルダ側の勘合が良くなく、ホルダーを所定の位置へ収容すると余計な力がヒューズとホルダ間にかかる模様。そしてよく見ると片側のホルダー接点が、ホルダー容器に溶け込み食い込んでいる…外せない。機械的な要件が過去から重なり、結果的にこの状態に至ったモノと推測。取り敢えず容器の蓋はせず、自然な形にしてある。後日ホルダ容器を交換し、ヒューズとの接触が自然になる様にする予定。写真は樹脂製容器を開けた様子。オンマウスは11日交換したホルダー容器…最終形。 |
ミカンの収穫を控え、徒長枝や夏秋梢の切り落としを始めている。徒長枝は今年出た芽が突如として養分を吸って伸び、木の天辺まで達している。枝群の中を待っ過ぎ伸びて突っ切る厄介者のため、ここで切り落としておかないと気全体がジャングル状態になってしまう。初夏にはそうでもなかったのが、元の枝より太い枝となってアンバランスとなり驚く場合もある。早目に切り落とすと新たな発芽から徒長枝になる場合もあるため、我が家では収穫前に行っている。最終的には2〜3月頃の剪定でも落としている。夏秋梢は夏秋に不用意に伸び、成りを崩している枝で、これも全体のバランスを考慮して落とす。近年は木を大きくして、木に上ることは殆どないから、個人的には陽当たりや風通しを妨げる枝はバンバン落とすことにしている。今は早生を中心に作業しているが、来月に収穫を控えているので、規格外の果も併せている。ところで徒長枝が出やすいのは伊野の太田ポンカン。樹勢を保つために施肥を多くしている関係で身の丈以上の徒長枝が根元の枝から出る場合がある。本来ならもう少し早く落としたいところだが、他の作業との関係で毎年この時期にズレ込む。写真は10日、切り落とし前の伊野太田ポンカンの様子…荒れまくっている。 |
5日は朝から晩まで忙しかった。8時から尾羽畑総の道路法面の草刈が始まった。雨混じりだったが10時半頃まで作業し、まだ終了宣言が出ていない中、恐る恐る失礼した。写真は10時過ぎの様子。山側は除草剤が撒かれていたので、草刈の量は例年より少なかったが。倒れない草や竹があったり、新たに生えた草もありやり出すと気になる。谷川は葛のツルがガードレールや樹木に巻き付き、草刈と言うより取り除き作業だった。後方は清水港と三保半島。 11時過ぎに元の会社の同僚たちが自宅に迎えに来てくれて、三保で新築した後輩宅のBBQに赴く。実は朝6時過ぎの小雨の中、汁見谷で切った極早生ミカンを持参する。庭先に大型のタープを張り、炭で火をおこしBBQが始まった(オンマウス)。久々に会う後輩たちは皆元気で、近況や昔話に花が咲いた。途中から天気が急変、最後は雨の中で撤収・退避となったが、楽しい時間を過ごさせて頂いた。18時から地元で通夜式があるため、16時半頃三保を後にして先輩姉御車で自宅まで送って頂く。三保の後輩はモノ作り大好き人間でえの工房というWebサイトを開設している。自宅にはオーディルームがあり案内されてビックリ。あのJBLのハーツフィールドが鎮座している!。もしやと訪ねると図面を取り寄せ自作したと聞き更にビックリ。アンプはオール真空管(705A・300B・2A3)のマルチウエイ。そして別系統で天井近くのバッフル板にP-610B(6CA7)。忘れていたモノ作り心を思い出す興奮の瞬間だった。 |
順調だったSSPAの実験がこのところ滞っている。1歩進んで2歩下がるって感じだろうか。基板の入出力は、コネクタ化していないで半田付けだと、取り回しが確かにやり難い。ヒートシンクに乗った基板を動かすだけでも、ケーブルがひも付きの如く付いてくるから。おまけにテフロン同軸はやたらと固い。妙な動かし方をすると、半田付けしたプリントパターンが剥がれてしまう程だ。それで、過去の経験からRCA-PinJackを使ってみることにした。写真は合成機基板に半田付けしたRCA-Jackだが、HPA基板も同様に加工した。LDMOSが飛んだHPA1側は、予備のLDMOSへ換装を終えていた。合成テストする前に、各HPAの単独出力を確認…電源を入れるとHPA1/HPA2ともBiasが0.5Aと同じ数値を示した。シメシメとRFでドライブしたら可笑しい。HPA2系はドレイン電流が正常に流れるが、HPA1系は4.6A程度で頭打ちになる。ダメじゃん!。それで、Bias電圧を恐る恐る上げる…2Vを超えドレイン電流が10A程になったところでHPA1のLDMOSでまたバチッ。前回より明らかに異なる音だった。それ以降、HPA1はBiasも含め全くドレイン電流が流れなくなった。再び合成どころの話ではなくなてしまった。何しろUsedのLDMOSなので、原因が何なのか全く見当がつかない。オンマウスは当該LDMOS。上部が浮き上がり細く開いた隙間から真っ黒に焼けた内部の様子が確認できる。さてどうしたものか…。 |
恒例の忠霊塔の清掃当番が回って来た。未だ遺族会の集まりが当地山切にはある。庵原学区内には13地区あるが、既に解散地他地区も有る。戦没者の慰霊をどう考えるかは議論のある所だが、戦没された方が数多く居られたことは事実であり、世代が変わっても、戦没者が居ない家庭であったも、戦没者に対して一定の経緯を持つことは必要だと、私的には思っている。戦没者慰霊とは別に、世界平和を考えたらその意味は大きいと思うのだが、どうも世の中の動きはそうならず縮小方向で忘却方向にある様に思えてならない。写真は16日、草ヶ谷の大乗寺にある忠霊塔の清掃に集まった山切地区の皆さん。実は解散宣言してからのスナップなので、ここに写っていない方が数名居られゴメンナサイ。実は戦没者の親兄弟は既に他界され、現在は戦後そのお宅に嫁がれたお嫁さんや伯父を無くされた方が支えている。オンマウスは25日に大乗寺本堂行われた庵原地区の遺族会の様子。かつては本堂を一杯にする程の人が集まったのだが、現在は20数名と寂しい。親族はいらっしゃる筈なのだが、世代が変わると遠のいてしまうのが現実で寂しい。年齢や性別に関係なく戦没者を偲び、世間話に興ずるのも、新しい発見があったりして決して悪くはないと感じている。 |