昨夜は26時頃床に就く。今日こそはゆっくりしようとラジオ体操をパスしたが待ち切れず7時前に起床。快晴の空を見て、武生の鬼ヶ岳(533m)に登れるぞと呟き、ハムトーストとサラダにコーヒーの朝食。鬼ヶ岳は武生の小学生が必ず登る山と、武生出身の同僚が話していた。北陸線を挟んで日野山の反対側に位置する。午前中に片付けようと意を決して8時半出発。北陸道を南下、武生ICで降り越前海岸へ向かうK160経由で、大虫町の登山口に着ける。9時10分に登り出す。未だ朝なのに結構暑い。最初は植林地で緩やかな坂で安心するが、途中から岩肌が見える急勾配となり一気に汗と呼吸が激しくなる。気休めに昨日読んだ本や、格闘中のPICライターの事をを思い浮かべる。これで気が楽になるから面白い。登頂を済ませ下山する人が数名ありその度に「お早う」の挨拶。所々に残りmの看板があり、最後の200mになると俄然元気に。10時登頂。山頂には神社と避難所に展望台がある。360度の大パノラマとはいかないが、福井独特の小高い山が平野に点在する風景が何とも言えない雰囲気で好きだ。山頂で出会ったご夫人とその風景を眺めながらしばし福井の山談議。10時20分下山開始、11時車に戻り帰路に就いた。 |
CQ誌10月号に図書の紹介があった。松田裕之著、ドレスを着た電信士マ・カイリー(朱鳥社)がそれ。主人公のMattie Ma Kileyが1950年、米Railroad Magazine誌に寄稿した"The Bug and I"を紹介しつつ、彼女の生き方や女性電信士の存在と、鉄道と共に発展した有線電信を時代背景と共に分かり易く記している。ちなみにBugとはViborplexのBug Keyの事で彼女の愛用だった。電信は今や漁業無線と軍用無線にアマチュア無線にしか存在しない。マ・カイリーが有線電信士をリタイアした1942年には無線電信は存在していたし、亡くなった1971年でも無線電信は時代の花形だった。有線電信の衰退を横目で感じながら、この無線電信を彼女はどう見ていたのだろうか。無線?何それ!って言ったとか、密かに短波で電信を聞いていたとか・・・想像するだけで楽しい。時代の先端だった女性電信士ストーリーには初めて知る情報が多く、西部開拓時代のイメージと絡み合って面白い、必読の一書。こうした埋もれた題材を発掘しまとめ上げる著者に拍手だ。実は86になる親父(奉天電信会)は1942年頃満鉄で有線電信を叩いていた。鉄道と産業の発展の陰で活躍した有線電信には一方ならぬ思いがある。私の電信の先生は親父だから。 |
のんびりした休日の朝・・・と思ったが雨や雷で未明まで煩かった。体を休めようと思っても時間が勿体ないと4時40分に起床しラジオ深夜便の終わりを聴く。そしてメールチェック等PCingを始めてしまうから始末が悪い。6時半にラジオ体操をやり7時前に朝食を済ませる。全く体など休まらないと苦笑。家事とGPSロックのテストをしながら、友人に送るスペアナとスイープジェネの梱包。段ボール箱をかき集めるが、念のため動作確認しようと気を回す。スペアナは問題無さそうで直ぐ梱包完了。問題はスイープジェネ。久々の通電で予想通りバンドSWやATTに接触不良。カバーを外し接点復活剤を吹き付け汚れや錆を落とす。ところが復活剤はエアゾル。シールド箱内に溜まったガスにバンドSW接点の放つ火花が引火してボッ!。一瞬ダメかと思ったがそこは真空管機器。問題は無くホット。むしろ煤などが取り去られ好結果などと言い訳。しかしエアゾルの取り扱いには内心反省しきり。ATTは構造上復活剤が届かずON/OFFを何度も繰り返し神頼みで何とか・・・。最後にパネルとカバーを洗浄し写真撮影と梱包を行い完了。16時過ぎ四国愛媛へ旅発った。写真はそのスイープジェネSH-2(日新電子)。名盤に昭和36年11月製造、製造番号118とある。 |
19日16時に福井ICから高速に入ると北陸道では滅多にお目にかかれない混雑。3連休の中日だからか…?。帰省時に定番の土産「五月ヶ瀬」を買う南条SAは、駐車場待ちの車が溢れていた。侵入はあっさり断念。木之本SAも同様だった。それでもまぁ本線は順調に流れていたが、羽島の先から一宮にかけ渋滞。三好ICを降り豊田で3男を拾うと既に19時半。豊田ICから高速に戻ると岡崎の手前で相変わらずの渋滞。赤塚PAで吉牛をかき込み夕食。しかし、この時間にしては異常な車の数。それでも事故等なかったから何とか21時半清水ICを降りる。折しもJRで帰省する次男を清水駅で拾って帰宅すると22時。男ばかりだが久しぶりに賑やかな晩となった。翌20日は敬老の日。3男の「BBQが…」の一言で昼食のメニューが決まった。86になる親父を姉家族と囲んでBBQ。長男からは親父あてに宅急便で泉水鑑の純米吟醸が届き、福井からは梵の特選大吟醸を持ち帰った。19時半帰路に就くが、浜松まで2時間、岡崎まで3時間の大渋滞。後半速度を上げ挽回したが、福井に辿り着いたのは真夜中の25時丁度だった。 写真は庭先のBBQの様子。オンマウスは福井へ持ち帰った、愛媛の友人へQSYを待つスイープジェネレータとスペアナ。 |
朝起きると快晴の空。東方にうっすらと白山の稜線。登頂からもう一週間か・・・実に早い。などと感慨にふけりながら朝食をとる。 さて今日は、JR福井東口のAOSSA(6F)で「親子FMラジオ工作教室」が行なわれた。職場の仲間達が8年前から続けているサービスだ。冒頭挨拶を求められたので「ラジオが鳴る事よりも、作るプロセスが親子のコミュニケーションを生み、色々な事を教えてくれます」とこの教室の目的の一つを紹介して激励。13時から始まった教室には12組の家族が参加、16時過ぎまでFMラジオKitと格闘した。モノ作りの方法や考え、交わされる会話を拝聴していると、夫々の家庭事情が垣間見られ面白い。しかし時間を掛け手を煩わした工作の結果、ラジオが鳴った瞬間の喜びや笑顔は毎回同じで普遍だ。この日の感動を子供達も親御さんも何かのきっかけにして欲しい。実は、順調に終わるかに見えたが1台妙な動作をするラジオが出来上がってしまった。基板を押すと音が出て放すと出ない。AF-ICを取替えたり再半田してもダメで最後は全くの死に体に。こうしたトラブルは実は多くのノウハウを提供してくれる。参加者よりも講師陣の方が勉強になったのかも知れない。ラジオは講師陣の宿題として持ち帰ることになった。 |
一度登りたいと思っていた白山(2702m)。条件は日帰り。これから日が短くなり行動時間が限られる。先週までの猛暑ではとてもその気にならない。秋は天気が変わり易い。などと色々な思いが過った。土曜は天気が持ちそうだが晩からは雨らしい。職場の後輩が次々に登頂し内心は羨望の眼。ネット情報を後輩に打診すると登山地図の提供。そして金曜の帰路、気付くとスーパーで食料や行動食に手が伸びている。その夜は21時過ぎに就寝。24時半頃目が覚め窓から空を見上げると満点の星。今だ!。意を決し白山市一ノ瀬を目指す。2時頃辿り着くと、こんな時間に警備員に制止され駐車場へ。別当出会いへの侵入は断念。2時間程仮眠し5時、朝一番のバスで別当出会いへ。まだ薄暗く星が見える。5時20分観光新道ルートでひたすら登り室堂経由で10時14分登頂。室堂に戻り食事を取り11時20分砂防新道ルートで下山。別当出会いには14時45分着。15時のバスで一ノ瀬駐車場に戻り福井への帰路に就く。昨年の三ノ峰〜別山往復登山以来の長時間登山だった。体力の衰えや靴の不備(サイズ不揃い)を思い知らされた感がある。しかし多くの皆さんと登山談議ができ、最近の山ガール達のファッションを見たりと楽しい登山であった。 |
もう何日もまとまった雨を見ていなかった。台風9号の接近に伴い昨晩から雨がパラつき、未明からまとまった雨になった。農家には待望久しき雨だ。朝7時静岡の実家へ連絡を入れると「降ってる!」と嬉しそうなカミサンの声。そしてその様子をTV電話で返して来た。そう、毎日数トンもの水をミカン畑に撒いていたのだから・・・。自然の力って本当にスゴイ。しかし一番喜んでいるのは、農家よりミカン自身だろう。そしてこの9号、風が弱く果樹栽培には格好だ。今日はさしずめ「湿り節句」と言えそうだ。11時半頃敦賀市付近に上陸し南東に向かい滋賀県へ抜けた。福井に台風が上陸するのは、記録を取り出してから初めての事らしい。レーダーでは福井より隣県の方が雨雲が強く降水量も多かった。その後熱帯低気圧となったが、関東方面には多量の雨をもたらし被害も出ている模様で忍びない。写真は朝7時頃、アパートから見る東方の眺望。昨日までの猛暑とカラカラ天気がウソのように思える。やはりほどほどの天気が人にも植物にも優しくて有難い。オンマウスは職場の後輩M君から借用中の秋月電子PICライタ。VE2ZAZ基板のPICが可笑しくなり、データの吸い出しが出来ないか考えたが、当該のPIC18F2220には非対応と判明。 |
寝苦しい夜が続き週末は体を休めようと思っていた矢先、カミサンからヘルプ。連日の猛暑でミカンが枯れる寸前。晩柑類のポンカン・清見・しらぬい(デコポン)が心配・・・。意を決し3日夜帰路に。4日深夜に帰宅し2時床に就くと7時起床。ポンプを山切川の土手に設置し吸管を垂らす。水面まで4m位?・・・気圧の関係で10mを超えると水が上がらなくなるよなぁとトリチェリの実験が脳裏に・・・。上げた水は大道の伊野沢暗きょを経由し畑へ導く。これを晩柑類を中心に撒く。ところが真面目にやるとこれ4時間もかかる。何とか省力化できないかとカミサンから要請。翌5日取り敢えず複数の分岐ソケットを配した幹線ホース(パイプ)を畑の長手方向へ伸ばし、ホースの引き回しを最小限に抑える様にした。この畑は青島100%だったが、老木を晩柑に植え替えて来た歴史がある。このため晩柑の位置は疎らで作業効率が悪く育ちも不揃い。親父達世代の価値観の違いを感じる。水撒きの作業と灌がい設備の構築は限られた時間ではきつい。一部を残し時間切れとなり、やや後ろめたさを感じつつ福井への帰路に就く。道中は3ヵ所のPAに飛び込み睡魔回避。17時福井へ帰還。写真は5日朝7時の郷土とHana。オンマウスはセットしたブルーレイレコーダ(下)。 |
職場の同僚達がリーズナブルになった最近のハイビジョンレコーダの話をしていた。仕事では業務用のハイビジョン信号を取り扱うが、どうも民生用のレコーダの状況が分からない。地デジが始まった数年前はメディアが混在し、買う側にとっては選択肢がある分その気に慣れなかった。ところが最近はHDD+ブルーレイディスクと言う構図が定着している。暫く様子を見ていたがひと頃は10万以上したモノが今はその半分以下だ。まだVHS録画しか出来ないことや、やたらと複雑な予約メニューなど、実家の事情を考慮して1台購入して贈ることにした。番組表で録画したい番組を選択して決定すれば自動的に録画が行われる。そして収録内容がサムネイルで表示され確認が容易だ。5倍モードで223時間も録画できるらしい。ホームメニューがシンプルでグラフィックに表示され使い勝手も良い。写真は本日届いたBD-HDS55(シングルチューナー・500GB/HDD)。ところがドジな話で単身赴任先のTVにはHDMIポートが無い。止む無くRCAケーブルでSDアナログコンポジットで動作確認をした。HDMI接続は実家でのお楽しみだ。業務用アナログハイビジョン機器の初期を知る者にとって、家庭でこのようなレコーダが取り扱える時代になったのかと感慨深い。 |