早いもので明日で10月。台風18号は東へ反れたが、17号は西から向かって来ている。昨夜は快晴で十五夜前夜のほぼ満月が輝いていたが、今日は午後から風が吹き出し、気付くと雨が加わり17時頃は暴風雨の様相。流石カミサン、朝からMaxValuやジャンボエンチョーを回り、食材をはじめ懐中電灯やラジオの乾電池を買うなど用意周到だ。風が吹き出すと雨戸や夏中開けていた2Fの出窓等を閉める指示が下る。また玄関先に置いてあった本箱や、タワーに立て掛けてていた垂直ANT等の移動や固定を促される。TVが騒いでいるせいか今回はやけに用心深い。夕食も16時過ぎには取るハメになった。
それで夜は台風のTVワッチと決め込んでいたが、17時過ぎから職場から自動転送のメール多数。それどころじゃなくなり、19時過ぎ暴風雨の中を出社、翌日まで台風騒ぎに巻き込まれることになった。 写真は実家前を通る道路の様子。昔は田圃道だったが今は市道に昇格、先週からU字溝を埋める工事が始まった。これが来年の1月末まで続くらしい。U字溝で水路は拡大され、蓋がされると道路も広く使える。静かに見えるが、すぐ後ろに山が迫り、豪雨時には多くの水が一気にここへ流れ込む。ところでHanaは朝の散歩帰りか…。 |
29日は起きた時は曇りだったが、日が昇るに連れ快晴となり30℃近い気温になった。この日は尾羽畑総の道路で法面の草刈りが行われ動員された。8時の集合時間より20分も早く集合場所へ赴くと既に100人からの人。数年前に山が削られ平地に転換する総合整備が行われた。我が家にも僅かばかりの平地が配分された。ただ平地以外は急斜面の段々畑。かつては夏蜜柑畑だった。45年程前の中学時代、両親の手伝いで夏蜜柑の苗木を植えた思い出があるが、畑は雑木林と化しその面影はない。畑に来ると当時のかけらが無いか童心になって探すのだが時間があまりにも流れすぎた。あの地面にかじりついて農を営んでいた時代は感じられない。 さて草刈りは炎天下の下11時頃まで続いた。簡単に考えていたが良い運動になった。それより地区の農家の皆さんとのコミュニケーションが図れることがうれしい。久し振りに大量の汗を流した。写真は道路のり面の草を刈る様子と打ち合わせ風景。 ところで単身赴任解消と共に引き揚げてきた無線グッズや測定に工具。あちこちに散らばり能率が悪いため、ユニットハウスを導入を検討中。設置場所の採寸や地ならしをするなどして準備を始めた。 |
TV送信鉄塔が乱立していた日本平山頂で、アナログTV送信鉄塔の撤去が今春より始まっていた。最初にUHF局鉄塔2本が撤去され、NHKとSBSの鉄塔がしばらくあった。そして気付くとSBS鉄塔だけになり、いつ全撤去になるのかと興味津々だった。そして今朝、昨日の朝通勤時に見上げた時にはあったSBS鉄塔が、写真の如く無くなっていた。昨日の内に撤去されたのだ。今はデジタル鉄塔がポツンと寂しげに立っている。TV放送の歴史が自分の歴史の様な世代なので感慨もひとしおだ。昭和30年代前半はNHKの「ホームラン教室」とか、SBSの「アニーよ銃を取れ」などをご近所のTVで拝見。家にTVがやってきたのは昭和35年7月の大相撲名古屋場所の最中。カラーTVは昭和42年12月、NHKの「ワイオミングの兄弟」放送の土曜日にやってきた。昭和45年頃から続けざまにUHF局3局が開局。日本平にはNHK2本、民放3本の鉄塔が乱立しアナログTV全盛の時代を支え、昨年7月24日まで県内に電波を送り続けた。 写真は本日朝8時、R1バイパスの鳥坂IC付近から渋滞中に撮影した日本平方面。中央にデジタルTV鉄塔、左には新装オープンした日本平ホテルが見える。 |
暑さ寒さも彼岸まで…とはよく言ったものだ。春も夏もしっかりとそれを感じさせてくれる自然はすごい。今年は中日が22日で、一般に言われる秋分の日が1日早し。新聞やTVでその解説をしていたが、23日から前に1日ずれるのは116年ぶりなんだそうだ。ちなみに後ろへ1日ずれるのは1979年が最後だったらしい。地球の軌道上の位置の問題で、理科好きの親父は自慢げにうるう年の話を持ち出したが彼岸まで説明が及ばない。頭の体操にと色々意地悪な質問や条件を親父がぶつけると行き詰まり半ば逆切れ状態。要は自然界には人が作った物差しには収まらない事情があり、それを何処かで調整(吸収)しないと物差しが使えなくなってしまうと言うことに話を修練させた。暦ってアナログだけどデジタル的なところがあって、拡大すると日常的に誤差が発生していると言うことか…。夕食はこの話題で随分と盛り上がった。おっと、それから夕食の直前に大川にセットした水中ポンプとホースを撤去した。 写真は先週までは殆ど顔を出していなかった実家南側の土手の彼岸花。そして彼岸花を見つめるHana。ちなみに9月23日朝21℃だった気温は、翌24日朝には19℃。先週までのあの暑さが嘘の様だ。 |
15日の同窓会で「ラッキョウが体にイイ」と聞いてきたカミサンが、種ラッキョウ(球根)を取り出してきた。午前中、愛車の無線機電源にリレーを入れようとボンネットを開け調査中にいきなり声が掛かる。先日無線機の電源SW切を失念したため放電著しく、翌朝のエンジン起動はやっとだった。お恥ずかしい話だが、ようやくACC制御リレーを電源ラインに入れる気になった。今までよく何ともなかったと苦笑している。20Aリレーを組み込もうとしたが、ACC連動の電源ラインを探すのが精一杯だった。
その後ミカン畑でラッキョウの畝を作り、カミサンがラッキョウを撒いた後に土を被せると、あっという間にお昼。ミカン畑なのにやたらと野菜を植えるため、除草剤は使えず草刈り機は使い辛く、草は虫を招く悪循環。シンプルをモットーとする我輩には苛立つ事ばかり…と内心。午後は膝丈に達した草を草刈り機で払うと既に日没。
前後するが、ミツバチの餌が底を尽き親父が騒いでいる。砂糖20Kgを熱湯に溶かし餌を作る。温度が下がるのを待ってミツバチの巣箱へ2リットルずつ配給。益々雑になる親父の作業は見ていられない。そんなこんなで相変わらず忙しい3連休最後の一日だった。 写真は、後日FORESTERのエンジンルームに設置したリレー。 |
6月に通過した台風4号でタワーのアンテナ方向が大きく変わった。その後も強風が吹くと方向が頻繁に変わる状況になった。漏電で回らない年月が久しく過ぎていたから、ついにブレーキまで来たかと妙に納得していた。そして8月の夏休み、OCFーANTを吊るためにタワーに上った際、マストの3本のアンテナのうち1本の同軸5D-2Wがマストに巻き付き切れていた。切断部分の酸化は初期段階でややホッとしていたが、今日上ってみると大分黒化。しかし指で擦ると銅色が現れ一安心。ニッパーにガス式半田ゴテとテープで処理を行う。両手を使うので胴綱をタワーに回し体を確保。同軸は片側のシールド部に半田を流しスリーブを作り反対側はシールド部を捲りあげる。両者の芯腺をフック状に引っ掛け半田を流し、その上にテープを巻き絶縁。捲り上げたシールドを元に戻し反対側のスリーブまで引っ張り、浸透するように十分に半田を流す。最後にテープを巻き完成。実はタワーを上る最中、ひょっとしたらとローテータの固定ボルトを診ると緩み。ラチェットで締めると随分とボルトが回る。これはラッキィだった、ブレーキはOKだった。写真は最後の半田を流す前のつなぎ目。ここから切替箱まで30cm。動きが殆ど無いことがこの補修の決め手になった。 |
表記工事が本日行われた。予定より早い8時半には工事屋さんが訪れ作業が始まったが、9時には終了し電話が通じた。そから先のInternetやLAN設定は自前だ。NTTから送付のIDとアクセスキー、そしてプロバイダIDとPWを操り順調にネット環境が整う。続いて無線LANも難なくクリア。と、ところがUSB接続したLAN-DISKが見えない。WEBメニューで装置(PR-400MI)を覗きUSB接続状態を見るとしっかりHDDが2個。なのに可笑しい!とサポートへ尋ねると即答できず。暫くして連絡があり「それは未だ使えない」。そりゃないでしょう!と苦言を呈したがどうにもならない。旧USB付き無線ルータ(WZR-HP-G300NH)を取り出しルータ機能を殺してHDDをつなぎ、これをPR-400MIのLANポートへつなぐ。しかしこれでも見えない。それではと、全てのLANケーブルをそこへ移すとこれがOK。結局PR-400MIの機能設定が目的に合っていない模様。これに至るまで膨大な時間を費やし気付くと24時。一体今日は何だったんだと苦笑。光端局・ルータ・VoIPの3箱は1箱に収まり200Mbpsになったが、USBのおかげで随分な回り道だった。写真右端がPR-400MI、その前が旧無線ルータ、左はHDDx2。カミサンが同窓会で不在が幸いだった。 |
8月5日、ノルウェイの御仁から妙なメール。日本のPCやゲームを集めて楽しむのが趣味らしい。ネット検索中に拙作PCサイトにヒットした模様。あのPC Engineがお気に入りだと続け、最後は何処かにPC-9821Na7ない?と図々しい。 お人好しはNEC_PCを扱う98Factoryを尋ね海外取引の可否を確認。やはり国内向け、そんな気が利く筈もなく思った通りダメ。購入し送ってあげても良いが、輸送中の事故が頭に浮かびつい弱気に。何しろ昔のHDD、クラッシュしてエライ目に何度も遭っているから。事情を伝えると半ば諦めの御仁。よせば良いのに、PC-9821Ne3があるけど?などと写真付メールを送ってしまったから大変。厳重な梱包、EMSで発送、便のトレース報告等のボランティア作業が始まる。9月1日に発送、8日に到着したときは感激のメール。ところがその直後から不具合指摘とこちらの考えを質す内容のメール。何か勘違いしてんじゃないの?こちらはボランティアで商売じゃない!と伝えるとようやく納得で逆に平身低頭。御仁も復旧に努め電池以外は正常動作の様相。人騒がせの一件だったが、これも国際親善か・・・勉強になった。写真は懐かしいMS-DOSでメニューソフト・エコロジーが立ち上がったPC-9821Ne3。 |
修理出しのIC-756が8日晩戻った。TL-922のエキサイタとしてテストするつもりだったが出力が出ず、テストはメイン運用するもう1台のIC-756出力を引き込んでいた。ところがこちらのIC-756、気付くとANT-1/2とも受信NG(Rx-ANTはOK)。2台共NGのため、不具合を片方に集めて修理出ししていた。受信NGは今から考えると、50MHzテスト中TL-922が寄生発振に陥ったとき、IC-756側へRFが逆流したものと推測している。横着してIC-756からTL-922へスタンバイ制御していなかったから・・・恥ずかしい話だが白状する。TL-922側が発振状態だからドライブ点は当然電位を持ち、それが最大感度で待つ受信機Topへ悪戯する。分かっていてもついやってしまう・・・反省しきりだ。まぁ1台にまとめたから修理代も膨らまなかったと自分を説得。 写真はTL-922+50MHzの最終局面。入出力リレーと入出力同軸&コネクタを交換しほぼ最終形態となった。8日深夜はJA2FGL相手に、これで初のテスト運用するがリポートは上々だった。 翌9日は、9月になのに気温35℃。田んぼのミカン畑へ農薬散布を試みるが、暑くてダメで陽が陰る16時からの作業に・・・。池の水の取水口の清掃や不用品の焼却、そしてRadioライフにPCingと忙しく時間が流れる。 |
連日30℃超の日照りが続くミカン畑は渇き、特にはるみの木は音を上げている。大川に水中ポンプを下ろし水を揚げる細工をしたのが先週29日。毎日陽が陰ると水を揚げ、はるみの根元へ水をかけるのがここ暫くカミサンの日課だ。雲が出ても雨に至らず、降ってもパラパラじゃ全く話にならなかったが、水を運ぶことに比べたら大分作業が楽になった。それが9月1日深夜から翌日未明にかけ、十分じゃないがようやく雨らしい雨になった。夜布団に入りながらスダレ越しに雨音を聞くとウキウキしてくるから面白い。一安心だ。 さて、2日朝のローカルニュースで遠州森町香勝寺のキキョウが紹介された。それを見たカミサンの一声で森町を家族で往復することになった。写真は小國神社鳥居前のスナップ。これ以外に香勝寺とコンニャクの久米吉を回る。親父はこの方面の地理に詳しいと自慢するが四半世紀前の話。やたらと呟くが主語が不明なので理解が大変。 オンマウスはTL-922の入出力コネクタを完全シールド型Nレセプタクルに変更した様子。同軸はテフロン製。この後入出力リレーにLY-4/DC100Vを投入する予定。一度手を着けると気になるヶ所が増え終わりの無い旅をしている様だ。 |