朝8時より尾羽畑総で恒例の草刈り。8時からの全体ミーティングのあと、各地区ごとに分散して約2時間草刈りに汗を流した。まさに草刈十字軍。草刈りは道路の周辺と法面で行うが、法面を全て刈ろうとすると膨大なため、道からせいぜい2〜3m程度の範囲。作業は畑の総合整備に関わる地主によるがその数50〜60人位だろうか。山切地区は10数名程度だった。我が家は急斜面の頂上付近が総合整備で平地になったが、猫の額程どの面積にミカンの苗木を植えている。真夏に比べれば快適な作業環境と言いたいが、日差しは結構強く、草刈り機を手にするとそれなりに汗をかく。地区代表の宣言で始まり、そして終わるのかと思っているとそうではない。皆さん慣れているため自然に始まり自然に終わるってしまい締まりがない・・・郷に入りたら郷に従えか。草刈後、たんぼのミカン畑で摘果中のカミサンと合流。青島の摘果で育ちの悪い実を落とし、生りのバランスを取る。摘果研修に参加してきたカミサンの講釈を聞きながら1時間。昼までに120Kg余のミカンを摘果。それを廃棄する様は、農業って一体何なんだろうと呟いてしまう。晩は隣組の月一の寄り合いで19時半から報徳訓の読み合わせの後、23時半過ぎまで盛り上がる。 |
先週八百津BBQで供出した無線グッズが、姿を変え量を増して帰ってきたことに苦笑したが、今週はその他オールドグッズが続けざまに届き家族は目を白黒。 写真は職場の先輩だった高岡のJA9JX小島OMから届いたグッズ。ご依頼の管球HPA用のDCブロッキングコンを送ったら、大切に保管されていたと思われる大小様々のドアノブコンと東芝7T40(1000T)が2本も届いた。また中津川のJA2HKB安藤OMは八百津BBQの戦利品FT-401Sの提供者。予備球があるからと6JS6をはじめとする真空管を専用ケースに詰めて送ってくれた(オンマウス)。現用に供さなかったとしても長年手元に置いたモノとの別れは、思いが馳せ一抹の寂しさが込み上げたに違いない。 これはオールドグッズではないが、広島のJA4BUA繻エOMからはCI-V⇒バンド情報変換ボードのCPUが届いた。28MHzバンドを28と29の2バンドに分けた全12バンドのバージョンだ。更に長野ハムセンターに依頼した5グリッド7極電池管12GE6も2本到着(オンマウス右下)。 毎日の様に荷物が届くと、89になる親父は毎回「なんだ!」となる。いちいち説明が必要で苦慮しているが、分かるように説明するには大変で時間がかかるから…結局「部品だよ!」と言うと納得するから可笑しい。 |
5時過ぎ起床。6時に家を出て6時半出社。伊豆の遠笠山で所用があり東名高速と伊豆中央道、更に伊豆スカイラインをつないで赴くと9時半。下界の気温が27℃晴天なのに山頂は12℃霧。予想はしていたが、長袖を持参して行って良かった。約2時間の作業を終え帰路に就く。再び下界に戻ると気温は29℃程に上昇、振り返ると山頂はさしずめ自然の冷蔵庫の様だった。
往路と同じルートで静岡へ戻ると14時半。事務処理して帰路に就くと15時。 これで今日は無線三昧かと思いきや、カミサンから声が掛かり買い物のアッシ。そして夜は10月12日に行われる東久佐奈岐神社豊年祭りのPA機材チェック。自治会館2Fへパワードミキサーやスピーカーを運び込み、音だしチェックを1時間半程度行う。35年振りにSL美唄を大音量で聞く。1Fで踊りの練習中だった婦人部の皆さんには煩かったに違いない。しかしこれも人助けだと思うと力が入る。 写真は自治会館2FでのPA機材チェック風景。なるべくシンプルにまとめ必要最小限のシステムにした。これでもミュージックパワーは1KW超だから昔とは違う。オンマウスは霧に包まれる遠笠山山頂付近。中央にタワーがあるが50m程離れると全く見えない。 |
相変わらずのウィークエンドファーマーはミカンの農薬散布。21日午前は田んぼで散布するが、午後からはカミサンに任せ八百津BBQへ出発。13時に家を出て清水ICから東名西走、豊田JCTから東海環状で土岐ICを経由し可児御嵩ICで降り八百津に着くと15時半。走行距離230Kmで所用時間は2時間半。BBQは8年ぶりの参加だった。30余名の参加があり24時頃まで盛り上がった。Hamってコールサインを見るだけで親近感がわき話が弾む・・・不思議な世界だ。恒例のジャンケンポン大会も大盛況。翌朝は6時に八百津を発ち三ケ日からは新東名で8時半に帰宅。この日は彼岸で和尚さんを出迎えお経。その後、舞台・伊野・寺山・屋敷の農薬散布に汗。
写真はBBQ翌朝6時前の八百津の主催者宅周辺。マイカー泊まりで冷えるかと思ったが19℃だった。良く見ると7MHz5エレ八木のエレメントが曲がっている・・・台風18号でやられたらしい。オンマウスはジャンケンポン大会でゲットしたグッズ(一部寄贈品あり)。倉庫整理とばかりレストア途中のFTDX-400や真空管用実験電源にノートPCx2を供出したが、持ち帰った物が多く倉庫整理にはならず苦笑。主催者と御家族、BBQを支える地元スタッグの皆様にはただただ感謝。 |
写真は帰宅すると縁側にカミサンがセットしたススキと萩に団子(饅頭?)。供え物越しに眺める月は煌々と輝く満月。何時も伊野のススキを採ってくるらしいが、先週草刈機で払ってしまい何故か不評・・・家の周りに一杯あるのに。ところで中秋の名月が満月になるのは、次は8年先らしい。中秋の名月=満月じゃないんだって・・・勉強になるなぁ。 オンマウスは今まで仮ケーブルだったプリセットチューンのIC-V制御に専用ケーブルつないだ様子。マルチコア(15芯)ケーブルを探したが入手できず結局フラットケーブルを使った。片側はフラットコネクタの差込式でバイスで押し込んだ。もう片方は写真の如くD-Sub15Pinコネクタ。ICOM機のCI-VデータをJA4BUA繻エOMのボードでデコード、バンド情報をリレー接点で制御箱へ入力している。エキサイタのバンド切替えに連動してチューニングする真空管アンプの環境はもう手放せない。またHFに50MHzを組み込んだ改修版のTL-922の動きは「現在に蘇った」印象を与えてくれる。 ところで繻エOMには当初、28MHzは単一バンドでプログラムを書いて頂いたが、結局2バンド(28MHz帯と29MHz帯)で制御箱を製作したため手直しをお願いした。 |
14日、カミサンは実家ミカン山の草刈り支援。自分は伊野借地の草刈り。今春から耕作放棄したミカン畑につる草が覆い被さり、街道から見上げると目立つからとカミサン。鎌を持って出掛けて行った。こちらは草刈機とチェンソーを手に、来春改植予定で耕作放棄のハッサク畑へ雑木や雑草を刈り取りに出た。5m余に伸びたハッサクに複数種のツルがまつわり付き状況は殆どジャングル。風も抜けない。気温が上がる日中は避け、午前と午後合わせて5時間程汗を流す。その甲斐あって何とか風が通る状態になった。山間の畑は放置しておくと、雑草木のタネがこぼれて飛び、鳥や獣がタネを運び排泄すると、数年で雑木林と化してしまう。人出が要る温州ミカンならたちまち枯れてしまうが、ハッサクは意外と元気に共存するから面白い。 15日は敬老の日。89の親父は自治会主催の敬老会に出掛けた。自分は前日から時折入電する会社メールに警報が続くため、いよいよ出向となり朝から三ヶ日を往復。今回も協力会社のN君と同行だが、またしても鍵を忘れ引返す失態。しかも静岡ICへ入った後に気付き、次の焼津ICでUターンするオマケ付だった。無事対応して帰宅すると15時。それから伊野で待つカミサンと合流しポンカン畑で草むしり。 |
写真は1970年台に東芝EMIが発行した「PROFESIONAL SERIES Vol.1 HEARING TEST RECORD」。この録音にSL美唄の収録があって、35年程前は屋外PAシステムのテストによく使った。非常に良く出来た録音で、私的にはこれ以上のSL録音は無いと思っている。その音を遠くで聞いた地区の人々は、「伊野川原(当地の字名)に機関車が走っている」と言って、ちょっと話題になったことがある。友人には松下電器のSB-7000をフルパワーで鳴らし、その間に寝転びSL音の迫力を体感する者もいた。当事を知る先輩からこの話を聞かされていたが、その音源が何であったか全く記憶から消えていた。ところが最近になって再び違う先輩から同じ声が掛かった。気になり、ひょっとしたらと家のレコードケースを漁るとあった!。35年振りの再会だ。しかしこのレコード、何処のショップで購入したか今や記憶にない。販売品だったか試供品だったか・・・。 早々にSL美唄をSoundEngineでデジタイズしてWAVファイルで保存した。来月の豊年祭りで流してやろうか・・・。そういえば35年頃の青年団時代、この録音を地元の東久佐奈岐神社の豊年祭りで流したら大好評だったことを思い出した。 |
今週は仕事の関係で外勤が多かった。 9日(月)は由比の秋葉神社付近で仕事があったが、人には言えない忘れ物が発覚。何と静岡から2往復もしてしまった。同行した運転担当の協力会社N君と私だけのヒミツだ。その後14時約束の焼津まで東名高速で移動したが、昼食は車中のコンビにオニギリだった。 また12日(木)は急きょ、7月31日で営業を停止した西伊豆町堂ヶ島のらんの里を往復した。こちらは移動時間を稼ぐために駿河湾フェリー(清水港⇔土肥港)を利用した。静岡へ出社すると時間もったいないので最初からマイカー利用し8時清水港発。友人のJA2AYH(清水区)と50MHzの伝播テストを兼ね眠気覚ましの交信を試みた。伊豆の西か海岸なら安定な交信ができるかと思っていたが、意外と場所を選ぶことが分かり有益だった。スパンが40Km以上あり、駿河湾の水面が見通し外伝播を作っていると思われる。 写真は9日12時半頃、清水区由比の秋葉神社からの眺望。空は澄み秋の雰囲気が漂う。オンマウスは12日11時半頃、伊豆市の土肥港に入港する駿河湾フェリー(県道223号線)。これに乗船し12時土肥港を発った。ちなみに所用時間は60分、運賃は\3K。 |
先週はMFJとSUPPORT_TICKETで数回のやり取りを行った。12ヶ月補償を受けるには販売店が発行するPurchase Receipt が必要らしい。日本流に言うと製品保証書になるのだろうが、そんなものは届いていない。米国の友人から送られてきた時の記憶は余り定かではないが、ファイルには取り扱い説明書と輸送会社の送り状に通関時の資料くらいしかなかった。それで友人へヘルプメールすると即行返事が届いた。送られてきたもので補償が叶うかは返事待ちだがTICKETサイトへUpした。そして本日、本体にそのコピーと返信料を添えEMSで発送。果たしでどうなるか楽しみだ。しかしEMSは失敗だった。返信料は$40なのにEMSは\9.6Kもかかるからだ・・・普通のエアメールで良かったのではと反省しきり。さて、甲府の御仁が持ち込んだ50MHz/SSPA。TE SYSTEMS のMODEL 0550Gと称するものだ。開けてみると終段はMRF492x4で前段に同じMRF492x1の2段構成(オンマウス)。ところがこれ前段を切り離して直接終段へ入力する改修が施されていた。現状は外から50MHzを 放り込むとまるでATT状態。初段は生かすとそれなりの増幅をしている。依頼人は終断がNGと東芝の代替Trを4個用意してあった。さてどう料理するかこのSSPA。 |
写真は4日、甲府組みが運んでくれたIC-780。一杯つまみがあって使い方も十分把握しないまま電源を入れマイクを差し込むといきなり送信状態に。VOXのDELAY時間が長すぎることが分かり通常設定して問題解決すると今度は出力が出ない。周波数は7.1MHz台。3.5MHzへ移るとここも同様で周波数は3.6MHz台。使い方の問題かとマニュアルを漁ったが良く分からない。半分壊れているのではと思い込んでいるとふと拡張バンドであることに気が付いた。それで上蓋を外し、モード選択基板の裏にあるジャンパーW10をカットすると見事に解決。受信ができるものだから、つい送信も問題ないだろうと思い込んでいた。ついでに24時半頃、10.104MHz/CWでLA1MFAとベアフット+OCFアンテナ(ATU無し)で交信。 オンマウスは清水区庵原町の通称「高山」から望む庵原町方面。中央の野球場は清水庵原球場。遠くは清水港と駿河湾。ここはカミサンの実家のミカン畑。お昼前にミカンの木にまつわり付いたツル草刈り。残暑厳しくやたらと暑い。御両親は高齢のため今シーズンから耕作を停止していた。世話をしなくなったミカンは数年でダメになる。遠くから見ると耕作放棄地に見えるとカミサンの一声で山に入った。 |
先週の8月27日(火)に設定したものの所用でドタキャンのFL-2100B引渡し。相手方の都合で本日午後決行となった。 13時40分、仕事にひと区切りつけ午後半休を頂き帰路に就く。途中御指定の433.60MHzでダメモトでJA1KAWを呼ぶと何と応答があった。新東名の小河内トンネル辺りを走っているらしい。まだ途切れ途切れだ。暫くすると和田島トンネルを抜け新清水JCT。東名方向へ下り清水いはらICを降りたところで谷間に入り無感。次に連絡がとれた時は既に現着だった。こちらは10分遅れ帰宅だった。 早速FL-2100B/50MHzスペシャルのデモ。出力電力・ALC動作・波形(CW/Keying/2Tone)・IMDなどを披露する。オリジナル572Bx2の環境とは雲泥の差に満足の様子。 その他巨艦IC-780や動作NGのUSA製半導体HPAの持込がありった。後者は代替Tr付きで、要するに修理依頼だった。マジックバンド50MHz談議を中心に約2時間盛り上がり、16時半頃帰路に就かれた。 写真は工房でFL-2100B/50MHzスペシャルを前に談笑するJA1KAW黒瀬氏とJE1CCD望月氏。オンマウスはカミサン撮影の母屋シャックでのスリーショット。 |
9月4日はHP開設12周年。2001年のこの日、初めてBiglobeにHTMLファイルをUpした。実はそれより以前、東京単身赴任時代の初期、自己流でHTMLを作りローカルでHP制作を楽しんでいた。したがって正確にはHP公開12周年とする方が適切かも知れない。振り返るとアッと言う間で、良く続いているものだと感心する。ちなみにBBSは2002年6月の開設で11年目に入った。右はTopPageアクセス数12年の変化をグラフにしたもの。9月4日朝のカウントは227759だった。HP全体のアクセス回数はGoogleの分析だとこの5倍程度に達し驚く。 閑話休題・・・工房のIC-756がNGで母屋のIC-756を取り出そうとした。背面配線は窓外からの作業になるのだが、実は外にはアシナガバチの巣。軒先から何かの拍子に窓外の木箱の上に落ちた。カミサンがどうしたものかと親父に尋ねるとそのままにしておけ!。この夏場に成長し滅多に遭遇しない大きさになった。窓を開けておくと家の中に侵入し、カミサンはたかっているのを知らないで布団をたたんだら刺され大騒ぎ。そんなこんなでIC-756の裏側は手が出せない状況が続いていた。そういう事情があり工房のIC-756は是が非でもFL-2100B引渡し前に直したかった。オンマウスは木箱上のアシナガバチの巣。我が家はおおらかでこの程度の事では驚かない。 |
5時半に家を出て清水いはらICから新東名で富士へ。6時丁度、今泉のJA2FTL井上氏を訪ねμPC1678Gを頂戴する。ご厚意に甘んじ何と4個も。数分の歓談の後、来た道を戻り6時半帰宅。その後朝食前にIC-756のRF基板を突きμPC1678を取り外す。そして頂戴したICを実装。Pinピッチは1.24mm、視力も落ち手も震えがちで作業はやりづらい。専用のハンダゴテは無く、1Pinずつ騙し騙しコテを当てICを浮かす。実装も厄介。慌てていたせいかPinの半田メッキを失念、上からコテを押さえ付ける半田付けが出来ない。まぁ何とかそれなりの出来で完了し通電。見事一発で復活だった。
井上氏との歓談で、ひょっとしたら原因は雷かもと雷説が復活。耐雷試験でスタンガンで装置筐体に落雷させたときに、とんでもない場所がやられることが良くある。半導体デバイスはこれだから難しいし面白い。井上氏は電源にはツェナー!と言っておられたが全く同感だ。雷無縁説を撤回しなきゃいけないか…。
これでIC-756(01090)が11日振りに復活した。4日に予定しているFL-2100B/50MHzスペシャルの引渡しデモでエキサイタとして使える環境になった。写真はIFボード上のμPC1678G。 それにしても早朝から走り回る姿は未だ「ラジオ少年」そのものだ。 |
今日は昨晩23時前後に降った大雨の影響で畑もミカンの木も露で光っている。ウィークエンドファーミングをするとあっという間にびしょ濡れになるから今日は久し振りの無線三昧を決め込んだ。またカミサンは午後から近所の友人と連れ立って留守、そして親父は午後尋ねてきた叔父さんと談笑と滅多にない好条件。 昨日動かなくなったMFJ-998RTをタワートップから下ろしてきた。早々にカバーを外し中を覗いたら仰天。SWR検出基板の後ろ辺りから発火した模様で激しく黒化。そして、その周辺は黒いススに包まれ、どう見ても修復のレベルを超える状況。 さてこの事態をどをうするか。MFJでは12ヶ月補償と大々的に謳っている。慌てて基板を洗浄して復旧作業を始めてもいいが、これは補償を打診する方が件名とMFJのHelpDeskサイトの門を叩いた。ネット上にあるシートに状況と補償を願う意を記し、象徴的な写真を2枚添付して送信すると、受理した旨伝えるメールとsupport ticket numberが早々に送られてきた。今後はこのticket上でやり取りや写真や資料添付が行われ、それが記録されるらしい。生憎USAも週末なので実際の作業は週明けになる模様だ。 |