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管理人のつれづれ13

 

管理人は結構文章を書くことが好きである。
そしてつまらないことをとってもつまらなく書くことが大好きである。
そして私的なこと、思ったことを書きたいが為にこのページを作ってしまいました。
書くことに自己満足する為だけのつまらないページです。
おそらくどうしようもない事を書いていると思うのでここで引き返されることをお勧め
します。

 

インターネットの功罪  (2002/11/4)

 

インターネット社会と言われて久しい。今では毎日覗かないと不安になる位に冒されている。いわゆる
中毒のようなものである。私は一時期パソコンが見れない状況が続いたが、最近になってようやく画面を
短時間ではあるけれども見る事が出来るようになったのである。さて、インターネットの効力は一番に
知りたいことが何でも判るということである。例えばスズムシの飼い方やスイカの作り方といったものから
自分の飲む薬の副作用なんかも簡単に検索サイトで調べることが出来るのである。また、インターネットに
よって全国の会ったことのない多くの方々とも交信できるし、自分の趣味にあったホームページなんかにも
簡単にアクセスすることが出来る。お蔭で私も、顔の知らない多くの友人が作れたようでとても嬉しい。
またADSLの普及によって重い画面や映像なんかも見れるようになっているようだ。(私は未だISDN
です。)光ファイバーが普及することで更なる進化と用途の広がりを続けていくことだろう。
その一方で、問題点も多い。いたずらの無記名のメールやウイルスを含んだメール、こちらが頼んでも
いないのに送られてくる広告用メールを受けざるを得ない。(幸いなことに、ウイルスチェッカーのお蔭
でウイルスでの被害には遭ってはいない。)また、誹謗中傷を受ける危険性もある。(私も何度かひどい
メールを送られた。)また、インターネットを使ったオークションや購買で泣かされている方が多いと以前
にテレビの特集で見た。考えてみれば、相手を知る手がかりはほとんどといってないのだから、そうい
った場合は泣き寝入りするしかないようである。また、これは自身にもいえるのだが、だんだんと漢字
を忘れてしまっているように感じる。今はキーさえ叩けば、どんな漢字でも探して使用することは誰でも
出来るのだから。最近は小学校からパソコン教室があるのは普通になっている。それでも書くことの大事さ
を子供達に忘れないでもらいたい。とにかくインタ−ネットほど便利で怖いものはないと思う。

 

 

タクシー (2002/10/31)

 

現在はタクシーも自由化により、価格競争が激しくなっているようである。ワンコインタクシー(2km
まで500円)や長距離での割引額も大きなものとなってきている。利用客には喜ばしいようだが、
乗務員の方々は大変だと思わずにはいられない。というのも営業の仕事をやっていた当時にはよく
タクシーを利用して、いろいろな生々しい事情を聞いていたのである。(注:自由化になる前の話)
運転手さんでも話好きな人と、苦手な人がおられるので、私は最初に「いい天気ですね」等の天気の
話題で声をかけ、反応が無ければ強いてしゃべらないようにしていた。しかし、タクシーというものは
エレベーターの他人と乗り合わせる状況に似ていて、結構沈黙は辛い。また、私は興味心旺盛な
人間なものだから、どちらかというと話してみたい。タクシーの運転手さんにもいろいろな人がいるが
、話し好きな運転手さんからはいろいろな情報を仕入れることができて楽しかった。一カ月の給料
や勤務形態、子供を持って生活するには正直しんどい商売だといった話しや、以前にどんな仕事を
していたとか、タクシーは何万キロ走れば廃車にするとか、様々なお話を聞かせてもらった。私は
特に京都で仕事をしていたものだから、観光についての穴場情報もよく教えてもらったものである。
そう言えば怖いタクシーにも2回乗った。ワンメーターで乗った時だが、急発進や急ブレーキで嫌が
らせされたこともある。(だからその2つのタクシー会社の車には以降、絶対に乗らないようにした。)
今はタクシーも使うことはないが、自由化によってますます職場状況が厳しくなっていることは間違
いないであろう。最近、子供さん持ちの運転手さんが言っておられた言葉を思い出す。「お客さん、
タクシーで子供を持って生活するのは苦しいでっせ。水揚げがいい日もあれば、悪い日もあるんやし
今後どうなるかほんまに不安ですわ。」あの運転手さん、まだ京都で走っているんだろうか。

 

 

懐かしさ  (2002/10/29)

 

この不景気な世の中で、大事なキーワードは「懐かしさ」ではないだろうか。我々の世代の人間が
当時購入できなかったり、思い出すたびにいろいろな商品を購入しているとのこと。例えば仮面
ライダーやウルトラマン、イナズマンといったテレビのヒーロー物から、音楽で言えば80年代の
ポップスやアイドルの特集CD等々。書き出したらきりがなくなるくらいあると伺った。
私でいえば現在は断然、当時の80年代洋楽のビデオクリップの収集に余念がない。そうした当時
を懐かしむ気持ちは誰もが持ち合わせている。小さい頃に自転車で通える場所で日本万国博覧
会が催された。あの当時の万博写真集を持っているが、太陽の塔から日本館や各国のテーマ館
、企業のパビリオンも懐かしい。当時の私達は決して裕福ではなかったけれど、誰もが大きな夢を
描いていたような気がする。ところが今は、若者に聞いても何も夢を持たない割合が増えていると
のこと。この不景気のど真ん中で、くだらない政治家や倫理観の全く存在しない企業や、氷河期に
入った就職状況。そんな現実を目の当たりにした彼らに夢を持たせること自体に無理がある。私
達の世代はそういう点で幸せだったといえるのではないだろうか。どんなに貧しくても夢を持つこと
が出来たからである。結局、ほとんどの人が夢をかなえることもなく、一般の一人とでしか形容され
ない方ばかりであろう。もちろん、私もである。私の小学生の頃の夢は新聞記者になることであっ
た。夢はかなわなかったが、それでもそうしたはっきりとした夢を持てたことが、今考えれば素晴ら
しいことだったと思う。そういった同年代の人々が当時を懐かしむ様々な商品を購入し、大きな
購買層となっているのであろう。今の子供達が大きくなって、昔は良かったなどと思わせることの
出来る社会を我々は現在作って、そして残せてやれていると胸を張って言えるのだろうか。
「懐かしい」と心底から思える、最高の贅沢を彼らにも味合わせてやりたいんです。先日、家の近く
でかくれんぼをして遊ぶ子供達の声が聞こえたのが何故かとても嬉しかった。そしてこう思わずに
はいられなかった。それが子供達の大切な懐かしさの一つになりますようにと。

 

 

天気予報  (2002/10/27)

 

週末が近付くと天気予報、特に週間天気予報が気になってくる。例えば月曜日に土日が雨だと予報
されれば、心底落ち込んでしまう。その週間天気予報は実に曖昧である。それに毎日少しずつ変化
していくだけに、こちらから見ればやきもきしてしまう。撮影、特に野鳥撮影する者には死活問題で
ある。とにかく前日の天気をチェックし、翌日の朝も再度しっかりと確認する。実は夕方に予想される
天気予報と翌朝一番の予報が変ることがままあるのである。それで今まで何回泣かされたことか。
一番腹が立つのは午前中に雨が降りますといいながら、結局降らなかった場合である。こちらは
泣く泣く撮影に出向くのを踏みとどまったというのに、「もつなよ!」と芸人のようなツッコミを入れてし
まう。そういう日は必ず雨が降ってくれないとイライラしてしまうのである。雨がポツリポツリとき出すと
、いやあ本当に行かなくて良かったとホッとする。
天気予報の番組は昔から比較すると本当に進歩したものだ。午前・午後に分けて予報したり、温度、
降水確率等さまざまな状況を提供してくれる。1日の天気の移り変わりが見れる番組もある。さて、
我々にとって一番気になるのは降水確率である。個人的には30%以内の場合は出かけることにし
ている。雨にたたると、気象庁の野郎たちめ!と怒りをぶつけてしまう。特にカメラは元来、水に弱い
ので困るのである。今週末の天気予報はまた先週に引き続き悪いようである。本当にイライラする巡り
会わせなのだが、これだけは何処にも文句の持っていきようがないのである。天気予報が外れたら
気象庁の責任者がグラウンド一周走るくらいのペナルティがあっても良いのではないだろうか。  
当るも八卦当らぬも八卦では週末を楽しみにしている我々カメラマンには本当に困るのである。

 

 

恐竜  (2002/10/24)

 

先日、久しぶりに映画「ジュラシック・パーク」を部屋で見た。映画の内容はつまらないのだが、CGに
よって作られた恐竜のりアル感には今見ても身震いする。映画でやっていた琥珀に閉じ込められた
蚊の体に含まれた恐竜の血から、彼らを実際に復元するということは実際には不可能とのこと。私
はホッとした。この映画のように金目当てに恐竜ランドなるものが作られたとしたら、生命を悪戯に
もてあそぶことになりはしないか。そして映画によって描かれた管理の失敗や人間の欲望ということ
から、生態系に大きな影響を及ぼす可能性が大であるからである。特に日本人はブラックバス等の
外来魚や外国産の昆虫がどんなに危険を及ぼすのかを知ろうともしない愚かな人間が多い。(中途
半端タレントの清水国明、おまえのことだ!)もし、本当に恐竜がこの世に復元する可能性が出たの
なら馬鹿な日本人は一番先に喰いつくことであろう。私が小さい頃、やはり恐竜が好きで、親に恐竜に
ついての本をよくおねだりした記憶がある。私はどちらかというと、おとなしい草食恐竜が好きで、
ブロントザウルス、ステゴザウルス、トリケラトプスなどが好みである。ティラノザウルスといった肉食
恐竜は美しくない。ところで映画の中でも論じられていたが、恐竜の血縁は細々と続き、それが鳥類
であると言われている。以前から、私もそうでがないかと考えていたのだ。それは鳥達の足を見れば
判るような気がする。シジュウカラやヤマガラといった小さな野鳥の足から見ても、結構グロテスク
な印象を持つのは私だけなのだろうか。その一方で私達が愛する野鳥達がその血縁だとしたら、
嬉しいような気もする。だってそのことを想像するだけで楽しいではないか。あの十数センチの彼らが
発掘された骨からめっちゃ大きいと推定される恐竜達の生き残りということになるのだから。
映画でも失敗していたが、生きた恐竜を管理することなど、人間には不可能である。今まで通りに発掘
調査によって、死んで行った恐竜達の姿を想像することが一番楽しいと思うのだが。

 

 

秋刀魚(サンマ)  (2002/10/20)

 

秋はやはりサンマが美味しい。私のような庶民クラスの人間にはサンマはごちそうである。やはり
食べ方はコンロで焼くだけである。しかし、テレビ大阪でよく放送している現地に行って食べ歩く番組
を見ていると、刺身や寿司のにぎりにしたりと、鮮度が良くなければ普通では考えられない食べ方を
見せてくれる。残念ながらそういった旅行にはとんとご縁のない私には絵に書いた餅である。確か
ウナギ丼ならぬサンマ丼といったものも何かの番組で紹介していて、食べて見たいなと率直にかつ
真剣に見た覚えがある。
ウチの親父は徳島生まれなので、サンマにスダチがついてこないと凶暴になる。スダチ+サンマは
親父にとって、当然あるべき姿なのであろう。私は酸味系(酸っぱい)のが苦手なので、大根おろし
に醤油をかけて、じっくりと時間をかけて食べることにしている。結構この魚は小骨が多い為に注意
を要する。弟なぞは全てを解体し、身を別の皿に移してから食べている。サンマの顔を見ないで
食べるのは失礼じゃないかと、「釣りバカ日誌」の浜チャンには怒られそうな食べ方である。
せめて一度くらいは漁港で取れたてのサンマを刺身にして食べに行ってみたいものであるが、何せ
出不精の人間なので、テレビで落ち目のタレント達がさもうまそうに食べる姿を指をくわえて見るのが
精々なものである。秋はサンマでなければいけない。ちなみに冬はブリでないといけない。

 

 

ヘルスメーターと献血  (2002/10/18)

 

昔からの私の必需品である。コンディションが悪くなり始めてからはや8ヶ月にもなります。一時は
体重が10キロほども一気に落ちましたが、最近ようやく以前の体重に戻りつつあります。小さい頃
からヘルスメーターを使うのが好きで、いつも家には、昔の針で体重を示すタイプの体重計が置いて
ありました。数年前からマイ・ヘルスメーターを購入し、毎日風呂に入った後に調べるのが日課と
なっています。身長は高校生当時から変わりませんが、体重はもの凄い勢いで増えてきました。
私の身長は181センチで最軽量の時で59キロしかありませんでした。今は・・・・・・中年太りで。(泣)
最新のヘルスメーターは脂肪計付きなのでなかなか楽しいですね。しかし、足の裏で体脂肪を計る
のはちょっとどうかなと思い、余り数字は信じてはいません。
私の場合、体重の増減により体の体調を確認することにしています。それと体の中は献血センターに
定期的に行って調べてもらっています。今の献血センターは凄いですよ。一度近くにあれば行ってみ
てはいかが。何か高級サウナにいるような不思議な感覚になります。いろいろな商品やチケットは
もらえるし、更に血液内の検査までしてもらえるのですから、たかが400mlくらいの血を抜かれる
くらいはへっちゃらですよ。昔から注射されるのは結構好きな変わり者でして、小学校の時など幾度と
なくあった予防接種など平気の平左でした。泣く子がいるのが不思議でたまりませんでした。さて、
献血はバスに来てもらうよりも、最寄の献血センターに行くことを御薦めします。それは何故かというと
圧倒的にセンターの方が時間が短くて楽チンということなんです。本当にあっという間に終了です。
そんなヘルスメーターと献血さえあれば今までは何もいらなかった私が、薬漬けのボロボロ状態に
なろうとは思ってもいませんでした。人間って判らないものですね。それでも毎日マイ・ヘルスメーター
に乗る事は変りありません。献血も本当は行きたくてしょうがないんですが・・・・・・今は無理やろね。

 

 

ボウリング  (2002/10/16)

 

学生時代にはまっていたのがボウリングであった。だからと言ってうまいことはなく友人と黙々と
投げていた。特に大学の駅前にあり、かつ学生料金で1ゲーム250円という安さから毎日のよう
に興じていたのである。投げ方は私がどちらかというと力まかせのストレートで、友人は変化球
で投げていた。どっちもちょぼちょぼで200を超えたのが各一度きりということからも限界というも
のが見えてくる。特に私の場合は力まかせで投げるものだから、最後の方は爪が割れてきて
まともに投げれないことも度々あった。当時はまだ自分でスコアを書き込む時代であったから、
面白かった。今のように全てが機械で結果がでるというのも何か空しいきがする。友達とワイワイ
言いながら、かつ点数を計算するというのが逆に良かったと思うのだ。
私が小学生の頃がボウリングブームのピークであった。近くに104レーン所有というボウリング
場があって、家族でよく出かけたものである。その当時は順番待ちが当然といった状況であった。
またテレビ番組も多くて、私は中山律子さんの大ファンであった。シャンプーか何かのコマーシャル
で、律子さん、律子さん、中山律子さん〜♪という歌が今も何気に口から出てくることがある。
須田さんや、並木さん、野村さんなど、どちらかというと女子プロに人気が集中していた記憶がある
のだが、定かではない。最近になって静かに人気が持ち返しているようである。1ゲームの料金は
えらく跳ね上がったようだが。あの104レーンのボウリング場はなくなった。私ももう投げることは
ないかもしれない。結構、体力のいるゲームだから。本当に学生時代が一番面白かった。

 

 

マスコミ  (2002/10/14)

 

今日、「日本の黒い夏 冤罪」という映画を初めて見た。そして深く考え、反省させられた。この
映画は社会派の第一人者熊井啓監督の作品で、某狂気団体が引き起こしたサリン事件で、
長野県松本市にてマスコミと愚かな警察により容疑者に祭り上げられた方の実話である。今では
誰もが知っている某狂気団体による仕業が判明するまで、容疑者にさせられた方と地元テレビ
局の行動を中心にしている。私も当時は新聞やテレビといったマスコミによってこの方を容疑者
と信じていた一人である。マスコミという物は一方的に情報のみを我々に伝えてくるものであって
、そして人間は信じて受け取るしかない馬鹿な生き物である。アフガニスタンでアメリカが数千
人以上の人間を誤爆で殺しているのに、すでにマスコミの視点は対イラクに注目が移っている。
そして我々日本人は北朝鮮の拉致事件や株安、ノーベル賞、更にアジア大会やプロ野球とい
った幅広い情報に翻弄されている。そして1ヶ月もすれば、それらのことも忘れられてまた違った
情報に踊らされるのである。話を元にもどすが、あの事件を覚えておられる方はどのくらいの比率
でいらっしゃるだろうか。映画では主人公の苗字は変わっていて、当然のように今私の頭の中から
この方のお名前さえ消えてしまっている。(確か、田中知事に何かの委員を委託されていたとの
記憶はあるのだが。)正直、当時のマスコミの報道は100%がこの方を犯人と決め付けて報道
していた。新聞は謝罪記事を掲載したというが、テレビは全くなかったように記憶している。私も当
時その情報に怒り、その方を他の人間と同じように非難していたと思う。しかし映画の中にも出て
くるのだが、脅迫電話や手紙など個人的な嫌がらせが凄かったとのこと。思わず寒気やともすれ
ば戦慄さえ覚えてしまった。市井の中にそういった陰湿で汚らしい行動を起す人間が存在すると
いうことがである。だがそれは100%マスコミの情報を信じればこそ、そういった安易で愚直な行動
を起すのであって、彼らもマスコミに踊らされる哀れな人間なのだろう。私は以前から新聞やテレビ
は斜めから見ることにしている。決して100%信じるものではなく、情報を個別に慎重に取捨選択
すべきであると思う。この映画は被害者でありながら、冤罪を被らされる一歩手前まで追い詰めら
れる怖さを強く感じさせる力作であった。しかし某狂気団体があれだけの事を引き起こしていながら
、未だにのうのうと生存していることに憤りを感じずにはいられない。
最後にそうやって誰もがそういった立場に置かれて、マスコミや警察によって容疑者に吊るし上げら
れる可能性があることを再度肝に銘じたい。本当にマスコミは怖い生き物である。

 

 

かきとかき  (2002/10/10)

 

私の大好物とどうしても食べられないものである。名前が同じなのに両極端な結果である。
先ずは柿(かき)。秋はシーズンなのでもう食べ始めているが、あの食感が私にはたまらなく
好ましいのである。ちょっと固めの方が気にいっている。また、柿は必ず自分で剥くことに
している。口の中に入ることを想像しながら皮を剥くことの楽しさは最高である。実は隣の
家に柿の木があり、半分以上が私の家を領空侵犯をしているので、時期になるとほとんどが
私の胃袋に収まることになっている。但し、柿を食べ過ぎると便秘になりやすい傾向がある
ので、その点が少し困ってします。
一方の牡蠣(かき)。広島や宮城出身の方には本当に申し訳ないのだが、私には食べること
ができない。小さい時から食感が嫌いだったこともあるが、ある日どうしても食べなければ
ならない事情に陥り、その結果食中毒になって数日寝込んでしまった。それ以来匂いを嗅ぐ
ことさえも嫌になってしまった。ところが、両親は大の牡蠣好きで土手鍋にしたり、フライに
したりと時期になると一週間に一度は目の前で見せ付けられる。その姿さえ見るのが怖い私
にとっては苦痛である。本当に美味しそうに食べるのだが、やはり私には口に入れることが
出来ない。他の貝類は大好きなのだが、牡蠣だけはそうした事情もあって食べることが不可
能なのである。柿と牡蠣。同じ発音なのに私にとっては両極端な食べ物である。
追伸:柿については一度書いておりました。覚えていないとは本当に情けない!

 

 

色(いろ)  (2002/10/6)

 

雨上がりの虹は本当に美しい。自然が作りたもうた傑作である。アーチの型にも惹かれるが、
それよりも七色である。その環境や条件によって色合いが微妙に違ってくるのがまたいい。
色について我々はいつも選択を迫られることが多い。例えば服装である。スーツを着る際で
も、ネクタイ・シャツ・スーツのバランスを考える。女性は特に色を大事にされている。
四季それぞれに毎年のように人気のカラーアイテムが変わり、その購入費用はバカになら
ないと思う。女性の一番美しく見えるのがやはり春の装いだと私は勝手に考えるのだが、皆
さんの意見はどうであろう。もちろん文房具からバッグ、靴、椅子等に至るまで色は我々に
宿題を与える。最近はテレビでリフォーム番組が多いが、その中心の課題も色となる。壁や
家具の色合い、使い方によって全く印象が違ってくるものである。先日、とうとう折りたたみ
自転車を購入するに至ったのだが、やはり色で迷いに迷った。結局個人的に好きな黒を
選択した。ちなみに私の好きな色は緑と黒である。青空のようなブルーにも結構惹かれる。
どちらかというと原色に近い色が気に入っている。しかし、植物や野鳥、昆虫のような自然の
色合いが最高である。あの地味なスズメやカワガラスにしてもその美しさは格別と言えよう。
私は撮影だけではなく、生活全般に色にはとても神経質である。カジュアルな服装については
長考を要する人間である。(下はジーンズのみではあるが。)
マンウオッチングする時には、必ず頭の上から足の先まで見てしまう。服装や小物でそれぞれ
の方の個性や考え方が見えてくるからである。究極の色は虹や青空だとは思ってはいるが
あの色を服等に再現することは永久に無理なのではないかなどと色々と考えてしまう。
そう、考えにも色があるのだ。色は人の全てを見せてくれる。だから難しいものでもある。

 

 

CM(コマーシャル)  (2002/10/2)

 

最近のコマーシャルは特に面白くない。出ている芸能人の奴らも好きになれないし、作品自体
も面白くない。傾向としては消費者金融の出る割合が増えている。仕事が仕事だけにやたら
めったらにさわやかな雰囲気を持たせている。キャッシュ・ローンやアット・ローンなども結局は
銀行系の消費者金融である。あの銀行系で安心させるコマーシャルが気にくわない。金貸し
なら金貸しと堂々と開き直った方がいいと思うのだが。(銀行は今、貸し金庫でしかないが)
昔の大阪地域限定のコマーシャルは面白かった、特に好きだったのが関西電気保安協会と
サンガリアのコマーシャルである。どちらも今もコマーシャルは続けているが、全く面白くない。
関西電気保安協会の昔のものは、協会の御本人達がでて来て大ボケをかます。彼らは至って
真面目に演じようとしているだけに、余計に面白かったのだ。素人を使った究極のコマーシャル
であった。サンガリアはタイガースの岡田や川藤選手を甲子園球場で撮影されたものである。
両人共に本当に棒読みで商品を紹介するものだから、本当に面白かった。今のタイガースには
そういった愛すべきキャラがいなくなった。(ちなみに家の父はオロナミンCのコマーシャルで
巨人の選手が画面に出てくると、鬱陶しいと言いながらすぐにチャンネルを変えたものである。)
地方に行くと、これがまた面白い。画面が動かないコマーシャルが異常に多い。チャンネルの
少なさもそうであるが、動かないコマーシャルの連打にはびっくりしてしまった。
歌で思い出すのはケーキ、洋菓子のパルナスである。そっと抱きしめてご覧、ママの〜♪といった
悲しげな歌が妙に印象的であった。ラジオCMではやはりぼんち揚げのコマーシャルソングである
が、製品と歌のコマーシャルのギャップが好きである。(今も流れている。)とにかく面白くないCM
は許せない。最近のCMディレクターはそういった才能が皆無なのであろう。残念である。

 

 

マヨラー  (2002/9/30)

 

最近は若い人たちを中心に、何にでもマヨネ−ズをかける方々の総称らしい。メインの料理から
味噌汁や果てはご飯にまでかけて、平気で食べているのを見てウゲとなってしまった。はっきり
言うと私はサラダにても何にしても一切かけない主義である。ドレッシングも一切使わない。野菜
はそのままでバリバリと虫のように食べてしまう。そう、エビフライに何とか親戚のタルタルソース
をちょっとつけるくらいであろうか。
野菜とくれば小学校の給食を思い出す。小学校1,2年の頃は給食に出る生野菜が食べられな
くて、よく最後まで残された思い出がある。こそっとビニール袋に持って帰ろうとして、先生に
見つかり、家まで来て注意された暗い思い出。しかし、ある日小さいながらも思いついた。いつも
ドレッシングがついていたが、それをつけるのではなくあるものと一緒に食べればいいと思いつ
いた。生野菜のメニューには鯨のノルウェー風が100%ついてきた。私はこの料理が大好き
だったので一緒に食べることによって、この苦境を脱することができたのである。今は好き嫌い
がなく食べることが出来る。(ただ、納豆だけは死ぬまで喰わないであろう。家族も一人も食べな
い。)マヨネーズはどうも油が多いイメージがあり、体重を増やしたくないので食べなくなってしま
った。コマーシャルでやっていたが、油が75%を占めるとのこと。まずくは決してないのだが、
使うことはない。しかし客観的に見ると彼らマヨラー達の恐るべき食文化は一種の脅威である。
おいおいカキ氷にまでマヨネーズをかけて食べるなよ。口に含むことを想像しただけで怖い。
野菜をバリバリ好んで食べるようになった虫のような私には、マヨネーズは主張が高すぎて困る
のである。でも人それぞれの食へのこだわりがあっていいのだから、マヨラーは公認したい。

 

 

ぶらんこ (2002/9/27)

 

先日、ウンテイに首を挟まれて宙つり状態になり、亡くなった小学生がいる。まずはご冥福を
お祈りしたい。しかしながら、この事故はウンテイの上を歩いたのだから、子供の責任であり
ウンテイには何の落ち度もない。なのにそこの街では街中のウンテイを使用禁止にしたとの
こと。笑止である。(ウンテイとは猿のようにつかまって遊ぶ道具で、上を歩くものではない。)
小学生の頃はぶらんこでよく遊んだ。今から思えば怖いほどの遊び方をしたものである。何
せ子供故にケガをすることに無頓着である。遊び方は@どれだけ大きく振って乗っていられ
るか。A靴を片方ずらして飛ばせるようにして、距離を競うBぶらんこを思いっきり漕いで、
そこから1回転して着地する距離と芸術点を競うというものであった。今のうるさい親たちに
はとんでもない遊び方かもしれない。しかし、ぶらんこの面白さ、新しい遊び方を創造する力
は子供にしか持ち得ないものである。あの一種麻薬的なぶらんこのスピード感と酔い加減
は今では味わえないかもしれない。風を切るように思いっきり漕ぐときのたのしさは言葉に
ならないものである。ジャングルジムや棒のぼり、すべり台や回して遊ぶ遊具を持つ保育園
が家から1分のところにあったので日暮れまで遊んでいた。ぶらんこ曲技の中で特に面白い
のはBであった。ぶらんこを加速させて、一気に飛び降りてその際にひねり技を加えるので
ある。判定は遊び友達で、飛んだ距離も大きな得点対称になる。夕方まで数十回も繰り返して
遊び、あきることはなかった。当時は、室内ゲーム機などなかったから外が遊びの全てであっ
た。ニュースによると最近都市公園の数は急増しているとのこと。遊具にも安全性が問われる
のは当然だが、無茶な遊びをする子供に親が注意する義務を忘れていないだろうか。
今では、乗ることもないだろうが、ぶらんこを始めとする公園の遊具は本当に面白かった。

 

 

カレンダー (2002/9/26)

 

写真を始めて5年を経た1995年に深泥池というテーマで机上に置けるスタンド式のカレンダーを
作成したことがある。100部で15万円程度の値段だったと思う。今から考えればどうしてあんな
無駄遣いをしたのかと考える。ほとんどがお客さんや知人に配った為に手元には1部があるのみで
ある。このカレンダーは使用後にポストカードとして使えるようになっていて、とても好評だったと
思うことにしている。2ヶ月に1枚だから計6枚。ということは1枚の写真で2ヶ月見るに耐えうる写真
でなければならない。今から考えるだにその低レベルなカレンダーを平気でお客さんに配る無神経
さが、今では羨ましいかぎりである。(もちろん、すべて無償で配布しました。)
野鳥のカレンダーで今まで1ヶ月または2ヶ月間見るに耐え得る作品を見たことがない。プロの写真
でも日本野鳥の会のカレンダーでもである。写真集を去年作成した私(究極の無駄遣い)ではある
のだが、明かに写真集とカレンダーでは全く作成する企図が異なるのである。
カレンダーはその該当月が過ぎれば無用の長物となる。その一方でその期間を使用する人間に
対して、一時の喜びや楽しさを与えなければならないのである。もちろん、写真付きのカレンダーで
である。今、私はカレンダーの第二弾を考えている・・・・だけである。はっきり言って2ヶ月見るに
耐え得るカレンダーを私なら作る事が出来る・・・・と想像するだけである。考えるだけでも結構楽し
い。今年は野鳥の会のカレンダーを部屋にかけてあるが、残念ながら1枚として一瞥しただけで
二度と見ようとは思えない作品ばかりである。確かにクリアな写真ではあるが、それ以上の魅力
が全くないのである。ああ、今私にカレンダーを作らせてくれる馬鹿なスポンサーはいないだろうか。
等と、世界一の馬鹿がどこまでも空想を広げている。

 

 

お月さん  (2002/9/22)

 

他の地域ではどのように呼ばれるのか判りませんが、家では必ず「お月さん」と人のように親しみ
を持って呼ぶことが通常です。「今日のお月さん、綺麗やなあ。」「ほんまに雲が少のうて綺麗に
よう見えるわ〜。」これが大阪では通常の会話だと勝手に思っております。
小さい頃は宇宙に興味があって、お月さんや火星には何かが棲んでいるということを真剣に信じ
ておりました。(火星人や金星人の想像図が掲載された本を買って、毎日眺めていたものです。)
結局、火星には生物が棲める状態ではないことがNASAによって発表され、お月さんについて
はもっと昔に現実が提示されました。現実を知ることがこんなにつまらないものだと初めて知った
瞬間でした。知らない方がかえってよい場合もあります。(そういえば、最近ありました。そんな事
が。知らない方が良かった事が・・・・合掌)
20日の夜に屋上に上がって、一人で月見を楽しんでおりました。丁度、雲もきれていい塩梅で
した。私はお酒を飲まないので熱い緑茶を持って行き、お月さんへの感謝の気持ちをこめて一人
乾杯しました。お月さん、どうしてそんなに綺麗で暖かい光を私達に与えてくれるのと独り言なん
か言ったりして。やはりお月さんはまん丸がよろしいですね。そう言えば私の小さい頃、縁側で
ススキと団子を飾ってお月見を毎年やっていた記憶があります。その当時はお月さんよりもお団子
さんの方が好きだったと思いますが。もういい年齢になってこんなにお月さんに魅せられてしまう
なんて思いもしませんでした。コオロギの声がまたお月さんによく合っていたので、思わず涙が
ポロリと頬をつたいました。人間も年をとるとこうまで感傷的になってしまうものでしょうか。
いつまでも仲良しでいて、そして地球のみんなを暖かく見守ってやお月さん。

 

 

ギャンブル  (2002/9/20)

 

何も前が「裏目」だからつながりで書く訳ではありませんので。とにかく私には全く縁のない世界だから
という訳であります。パチンコを初めに競馬・競輪・競艇や賭け麻雀(おっと、これは捕まる賭もので)
といった類に全く興味が湧かない。湧かないというより、初めからあたる運はもっていないと信じてい
るからである。宝くじだけはジャンボの時のみ購入するが、3000円以上当ったことがない。ちなみに
上の弟は10万円を2本当てている。このように、幸運を知らない私にとってギャンブルは単にお金を
減らすだけのものでしかない。ただでさえ、撮影の為に湯水のように金を使っている私にとってそう
いったリスクの高いものには投資できない。パチンコについては店の裏側の実態を知っている為に
絶対やらないであろう。(致命的なのはタバコの煙ではあるが。)正直にいうとパチンコは儲からない
ように裏側で操作されている。一部の人間には大当たりさせて、その他大勢にギャンブル欲というか
夢を見させるのである。事務所にはいくつものスクリーンがあり、絶えず監視されている。もちろん、
不法行為を監視する意味もあるが、「○○番出るように変更しろや」とあからさまな話も聞いたことが
ある。競馬や競輪・競艇にしても選手や馬達の獲得賞金にどうして寄与しなければならないか、理解
に苦しむところである。だから私は一生ギャンブルをしないままだと思う。ただ宝くじだけはジャンボくじ
だけは買っていくつもりだ。それは、夢を見せてくれるからだ。もちろん、高額賞金が当ったなら残りの
人生を全て撮影に充てるつもりである。ま、夢は叶わずであろう。どうせおいらは裏目の人間だから。
追伸・宝くじってギャンブルの範ちゅうに入ってしまうのでしょうか。どうも違うような、それでいて当らな
い限りにおいては損となるのですから、ほんの気持ち程度のギャンブルと呼ぶべきでしょうか。

 

 

裏目  (2002/9/18)

 

ある人間が、幸運と悪運は最後にはトントンになるとの説を私に話した。ラジオドラマでも同じよう
なシチュエーションを聞いたことがある。でも私は全く信じていない。人間は幸運から見放されると
とことん悪くなる。そうでなければ死刑囚になった人間はどうなのだろうか。例えば強盗殺人等
を繰り返した人間が、その金を湯水のようにギャンブル等に充てて楽しんだとしてもそれは決して
幸運とは呼べないのである。人間には性善説と性悪説とを唱える場合があるが、幸運に恵まれた
人と、そうでない人間とでは捉え方が違ってくるのである。自身としては性悪説を優勢と見てしま
うのである。私のような人間の形をした惨めなハタネズミのような奴には、いつまでとっても幸運
が訪れることはない。私はことごとく見事に人生裏目を歩んできたのである。もちろんその責任の
大部分は私にあると思うのだが、判ったところで後の祭りである。今までの人生で良かったことを
数えてみると、本当に寂しいものである。一方悪かったことは両手から溢れてしまうほどあるのだ。
こういけばいいなあと思うことが、ことごとく裏目に出て絶えず落ち込んできた塊が私である。
人生を謳歌されている方々を見ると本当に羨ましい限りであるが、それは手に入れることができ
ない人間のひがみであろうか。今の体の調子では冬にもどこへも撮影に出向けないかもしれない。
私の唯一の楽しみであり、心のよりどころである撮影さえ出来なければ正に生きる意味が無くなっ
てしまうであろう。私の場合は、とことん死ぬまで人生裏目のままで終了しそうである。
これを見て頂いている方のほとんどが人生表目を歩まれているように感ずる。それは私にとって
とても嬉しいことである。だからこそ、このHPは保たれているのだと思っている。

 

 

エレベーターの沈黙 (2002/9/16)

 

エレベータ−の沈黙はどうしてあんなに発生するのか。和気あいあいとしたエレベーターの空間を
経験したことがない。特に複数の見も知らぬ人間と乗り合わせた時のプレッシャーは極めて大き
なものとなる。最初に乗っていた人間が「何階ですか」と聞くのが普通とは思うのだが、一向に
反応出来ずに乗降することも多々あります。特にあの小さな空間内で夜間に二人きりになること
は怖くてしょうがないであろう。話すことがないのは当然なのであるが、あの数十秒の沈黙は何物
にも耐えがたい。もちろん、知り合いならともかく全く知らない人間と一緒のエレベータの時間は
とても怖いと私は感ずる。あの箱の中で、犯罪も多々発生している。だからといって乗ることを
拒否することは出来ないであろう。今の新しいエレベータには防犯カメラがつくようになってきて
いる。犯罪者割り出しの手がかりになっているのだから、特に戸数の多いマンションにはこれから
必需品となるであろう。話は戻るが、エレベーターに乗るときの沈黙は怖い。特に一人が先に乗って
いて、こちらが後から乗る場合であり、特に高層マンションではその思いが顕著である。こちらは
何もする気がないのに、意識されていることが伝わってくる。あるシチュエーションでのあの狭い
空間で思いっきり対角線に後から乗った方(特に女性)が立ってしまわれるとこちらに大きな重圧
を感じてしまう。大きなエレベータに詰め込まれた環境も怖い。多人数であればあるほど、沈黙の
プレッシャーがとても大きい。エレベーターは一種怖い乗り物である。そのエレベーターが故障で
止まってしまうと考えるだけに恐ろしい。幸い未だにそうした経験はないが。最後にホームエレベ
ータ−はこれから普及はするだろうが、いらちの人間には絶えられないスピードの遅さである。

 

 

 

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