阿弥陀寺 |
第七十八番 寺名 東大寺別院 阿弥陀寺 山号 華宮山 宗派 華厳宗 所在地 山口県防府市牟礼
SPOT 仁王門(山門)
紅葉撮影の時は大変な混みようとのこと。ほんの少し前のようでした。2008.11.29
治承四年(1180年)に焼失した奈良東大寺復興の大勧進職を務めた俊乗坊重源上人により、阿弥陀寺は東大寺の周防別院として、文治三年(1187年)に建立された。
阿弥陀寺の住職は周防国の国司の任にあたった。1484年(文明16年)に焼失したが、大内氏の援助を受けて再興された。
東大寺はここ。
Snap shot
仁王門の金剛力士像
快慶一派の作と言われている。地方には珍しいが、これも東大寺の縁だろうか?仁王門の金剛力士像
金網があって写真は撮りにくいが、誰がやったのか、うまい具合に(笑)ところどころ金網が破けている。山門を裏から
裏から見ても、いい感じです。鉄大湯釜(仁王門の中にある) 右側が鉄湯舟(仁王門の中にある)
口縁部とわずかに上部が残っている湯屋 今も入れるようです 石風呂
重源上人が東大寺用の木材の切り出しの人たちのために作ったと伝わる。水車小屋 水車が本当に回ってるのに感動。 観音橋
前後に参道が続くが、小雨のせいもあり、薄暗い。ここら当たりの明るさに救われる。石段の向こうに、中門が見える 中門
明治4年に、国庁寺(東大寺所管)の惣門を移設したもの。本堂 本堂内陣 板絵は秩父三十四所観音霊場 本堂 横から 境内風景 境内風景 宝物庫
小雨の中、お寺の奥様が私達の為に開けてくれた。後で知ったことだが、要予約らしい。お手数をかけました。
ここに保管されている
重源上人坐像は、ここ宝物庫
左が、鉄宝塔 国宝:鎌倉時代 高さ3m
塔身部には、昔は扉があった。その中に、右側の 水晶三角五輪塔(国宝 高さ14cm)が入っていた。展示は、写真と違い別に脇に置かれています。案内の奥様が丁寧に説明してくれます。
ご子息は、東大寺で修行中とのこと。でも灌頂を受けたとのことで、いずれ後を継ぐのでしょう。開山堂
元は、ここに重源上人坐像が安置されていた経堂 念仏堂 銅造六葉鐘 旧参道
帰りは、こっちを歩いたが、歩きにくい(笑)ふと見つけた、ユリの花
朱印
五木寛之の一言 重源は、国家とコラボレーションし、すぐれた宗教者であるだけでなく、一流のプロデューサーであり、才能あるオルガナイザーであり、独創的なアイデアマンでもあった。マネジメント能力、人心掌握力、実行力、決断力。
その像と対面して、全身からあふれ出るような力強いエネルギーが、こちらの体に少し伝わってきたような気がした。
kazu_sanの一言 阿弥陀寺の重源上人坐像(重要文化財) 東大寺 俊乗上人(俊乗坊重源)坐像(国宝)
年に2回公開される。12月16日は東大寺を参照左は70歳頃。右は80歳代と言われている。
東大寺再建の任を受けたのが、すでに61歳。再建へのエネルギーが素晴らしい。
東大寺再建が完了したのは、1203年。その三年後に見事に役目を果たした重源は亡くなった。享年86歳であった。
五木さんに倣って、当方も、このエネルギーにあやかりたいものだ。