大阪みどりの百選

72.千早城址 南河内郡千早赤阪村
まずは「千早赤阪村郷土資料館」て゜お勉強
ジオラマ模型とビデオで説明がある。
千早赤坂村は、後醍醐天皇の勅命を受け鎌倉幕府を倒し、建武の中興を成功させた、楠木正成の生誕地である。
千早赤阪村のキャツフレーズは「一冊の絵本のような村」である。
資料館の中には、こんなのもあります。
水車の歯車
楠公誕生地の石碑 楠公誕生地の石碑
楠公産湯の井戸 楠公産湯の井戸
楠木正成の城としては3つあった。
今回目指す「千早城(詰城)」と「上赤阪城」「下赤阪城」
これは「下赤阪城」城跡の石碑。
倒幕の挙兵をしたのはここの城。
「下赤阪城」城跡の石碑の近くは、日本棚田百選にも選ばれている地域。
見事な棚田だが、棚田を撮すのには、この時季(4月)は、今一つのようだ。
千早赤阪城跡に行く、金剛登山口からの道。
登山道が続く。
ここで、右折する。左に行けば金剛山山頂。
千早赤阪城跡に行く、もう一つの道は、千早神社の表参道を行く道。いきなりこんな石段... さらに続く石段....。最後までこんな感じ。
どっちから行く?
千早神社に到着。
この社殿の奥が千早城の本丸跡。
千早城跡の石碑。
鎌倉幕府の大軍を僅か千人足らずの小勢で100日に及ぶ千早城籠城戦を行ったことで有名だが、
当時は石段がなく急な山道だったろうし、背後は金剛山への山道。攻めにくい城であったことが実感出来る。
千早神社からの眺め 千早神社からの眺め
千早神社参道からの眺め。妙に気になる木。 みどり百選の石碑は表参道入り口にあった。
楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての河内の武将。
建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。別名 大楠公 と呼ばれる。
河内国石川郡赤坂村(現大阪府南河内郡千早赤阪村)の出生。
正成の息子の楠木正行は小楠公と呼ばれる。
大楠公首塚 観心寺にある。ここ
観心寺には、楠木正成の銅像、藍革威肩赤腹巻がある。
神霊(祭神) 湊川神社。ここ
墓所、楠木正成ご殉節地がある。



戻る