家庭の窓
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今週は今期最大の寒波が襲来という事象が日本で発生し,連日の報道で様々な注意が促されています。積雪の様子も全国各地から報告され,車や電車バスといった交通機関の運休も心配されていました。普段は当たり前にできていることが,天候不順で器物の機能が停止すると,お手上げ状態になります。
個人的には出勤日に折悪しく積雪の予報を聞き,冬タイヤの装着のない自家用車は使用できず,交通機関も運休となると,頼りにするのは自分の足です。もちろん時間が掛かるので,効率は悪くなりますが仕方ありません。それでも用事を実行ができれば事無しです。
子どもの頃の生活を思い起こすと,今はとても裕福な生活状況をしていることになります。薪を割り煙にむせる手間が必要なくなり,ボタンを押せばお湯が得られ,ご飯も炊くことができます。手間を肩代わりする機器がたくさん周りを取り囲んでくれています。もし停電したら,すべてが動かなくなります。その危険を回避するために,電気エネルギー一辺倒ではなく,ある程度の蓄えができるガスエネルギー系統も併置しています。
情報関係では,手で文字を書くことは署名などを除いてほとんど必要なくなりました。日常では使用機器に応じてキーボードをたたくか画面上をタップするようになりました。その環境の発達によって,漢字を読めますが書けなくなってきました。いわゆる雑用はなるべく減らされていくべきという省力化のほかに,スピード化も重ねて効率化が進展しています。
古くは産業革命の折に,新しい機器の登場で仕事を失うことになると恐れる人たちの反対が起こったそうです。その流れは今も見られます。なぜなら私たちが推進しているのは持続する社会なのです。子ども時代には鉄腕アトムの発想が現実になってくるロボットの登場で人が排除される恐れもありましたが,共存するという思考に導かれて収まっています。肉体労働をロボットに任せて,人は頭脳労働をしていくという分業化でした。ところが,AIの登場によって,頭脳労働の領域に人工知能が入り込んできました。そこでは,人は質問することしかできません。考えるのはAIで,実行するのはロボット。残されているのは,オンスイッチを手に持っていることだけです。
話は急旋回しますが,この頃車の走行で危険運転だけではなくあおり運転が出てきました。生身の人間が車という強固な環境に包まれると,生身の人間が持っている人間性が霧消し,暴走車というロボット化してしまうようです。前の車は邪魔ですがどうすれば?という質問に,排除しましょうというAIが登場することもあるかもしれません。
環境管理という言い方で,人が家畜化されていくという論がありました。今はスマホでほとんど用が済んでいますが,スマホがないと何もできないという状況が事例とされていました。省力化から効率化,さらに無人化が進んでいくと,自然を抱えている人類はやがて人工環境から逃れて自然界に戻っていくしかないのかもしれません。
日々の暮らしの中で私自身はどれほど自力で生活できているのか,人工環境に生かされているだけの家畜に成り下がっていないか,考えてみることも大切でしょう。
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