《楽しみは 節度を守る 豊かさに》

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 昨年の出生数が68万人で9年連続の減少と報道され,新聞の社説でも急速な少子社会に備えよと問題提起がされています。人口減少を前提とした社会のあり方について,国は強い危機意識を持って取り組むことが求められています。
 少子化で若者世代が減少すると,現在の社会機能を維持するのに必要なマンパワーが枯渇して,生活や制度の活動が維持できなくなります。すなわち,国民生活社会の消費支出を生み出している現在の生産収入を維持できなくなることが見えています。社会収支が赤字になるという事態に向かっているのです。

 この社会の変動は,今に始まったことではありません。成るべくして成っていると受け止めることができます。かつて,「驕れる人も久しからず ただ春の夜の夢の如し」という後悔の言葉が,平家物語の冒頭に語られていました。思い上がってわがままに振る舞う人は(その態度は)長くは続かない。ちょうど春の夜に見る夢のようにはかないものだということです。
 「驕る」とは自分の地位や能力,財産などを鼻にかけて,それを根拠に思い上がり,いい気になる,増長した態度を取ることです。いわゆる調子に乗っている状態や、成功を収めたり褒められて天狗になることが「驕る」ことと言えるでしょう。
 豊かで便利になった社会は消費優先型であり,そこに住む人はいい気になって驕っている人です。ありがとうと感謝するばかりの人です。極言すれば,もっともっとと搾取に専念する人です。それは人の弱さなのかおもしれません。
 驕れるものが優勢になれば,その社会は久からずと衰退していきます。その顛末を反省し学習し,「衣食足りて礼節を知る」という智恵を獲得しました。特に,何事にも「行き過ぎない適度な程合い」となる節度を意識することによって,飽くなき消費へのブレーキを実践するようになりました。「礼節」とは「衣食」のように生命を維持するためではなく,地域や職場などのコミュニティで秩序ある人間関係を形成するために必要な文化的作法なのです。
 それでは,節度とはどのようなものなのでしょうか。節度を弁えるとは,行き過ぎないようにする,ほどほどにしておくという意味です。消費ということに対する節度とは,簡単に言えば,手持ちの資金が限度になるということです。その資金とは,生産という行動の指標になります。消費という支出は,生産という収入とバランスすべきなのです。
 日本という国の借金は1,105兆円だそうです。すなわち,国として節度を守れていない,驕れる国になっているのです。人々の日々の生活パターンが,ありがとうの消費行動に対して,どうぞの生産行動が少なくなって疎かになっているのです。結果として,社会の消費支出が社会の生産収入を上回ってしまっています。
 社会を構成する人の数については,高齢者が亡くなっていく人数に対して,赤ん坊が産まれてくる人数が少なくなっています。人間社会の構成は縮小し続けています。この地球上で,日本という社会は衰退しています。人として,私たちは一体何を驕ってしまったのでしょう。私という個人を大事にしすぎて,私たちという家族,社会への礼を疎かにしてしまったようです。

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(2025年07月06日:No.1319)