《楽しみは 自分を見る目 開くとき》

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 講義の帰り道を走っていると,方向転換する度に前の車が変わっていきます。前車が曲がって抜けていくこともあります。そうこうしているうちに,タンクローリーの後ろに付くことになりました。タンク部分がステンレスのつくりになっているのか,ピカピカというかキラキラしています。後ろに表示してある文字を読むと「液糖」とあります。甘いもののようです。
 食品だからきれいなタンクなのだろうと察して,ふと気付くとタンクの背面が凸面になっているので,凸面鏡のように背後の風景が映っているのです。すぐ後ろについてくる車の列が見えています。アクセルを踏む加減を変えて,少し離れてみたり近づいてみたりすると,その様子が鏡に見えています。自分の運転する車を前方から自分で見ているような感覚がして,奇妙ながら面白い光景を楽しむことができました。
 残念ながら,家のすぐ近くでしたので,脇道に逸れるしかなく,その画面ともお別れをせざるを得ませんでした。あのタンクローリーの後ろに付いた車はみんな同じ感じを持つのだろうと思います。初めての経験でしたので,とても印象に残っています。
 車に乗っている自分を客観視する機会があると,運転も優しくなるのかもしれないと思ったりします。何しろ運転者になると,近くのものがすべて邪魔者に見えてしまうという心の弱さが現れます。月を見るとオオカミになるのと同じに,車に乗るとトラになるご時世です。悲惨な事故は何もお酒のせいばかりではありません。運転者という立場が既に感覚を自分本位に切り替えさせています。人の振り見て我が振り直せ,といわれますが,自分の振り見て我が振り直すということもあるようです。あのタンクローリーは運転者に対する姿見になって走っているようです。
 連れ合いは姿見を見て自分の身なりを確かめています。こちらは全く我が姿には無頓着です。いい加減に着替えなさいと叱られてばかりです。着るものは上から順番にといった調子ですので,バランスなどお構いなしです。服は寒さを防ぐものといった認識しかないので,外に出るときは指導を仰いで,許可を得るといった手続を踏んでいます。見られる自分にもっと気遣いをした方がいいのかなと思ったりしています。それも案外と楽しいのかもしれません。

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(2007年03月11日号:No.363)