《しあわせは 知り尽くすこと ほどほどに》

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 知らぬが仏という言葉があります。ヒッチコックによる「知りすぎていた男」というタイトルの映画もありました。昔のことはいいとして,今は情報社会です。知らなくてもいい余計な情報までが飛び交っています。マスコミやネットなど,情報を送り込む媒体があまりにも大きくなりすぎて,情報を飲み込んでいますが,手当たり次第です。関わっている人が,何かを入れ込まなければと,隠されていた方がよいものまで,白日の下にさらしていきます。報道の自由という御旗が一人歩きしています。
 少年よ大志を抱け,というクラーク博士の言葉があります。年配の方が,子どもたちに気楽に「大志を」と教え諭すことがあります。ところで,大志という大きなものを目指すためには,怖じ気づかないことです。いろんなことを知らないから,大志を持つことができるということがあります。
 男の子の好きなプロ野球選手になるという志も,才能がなければとか,努力や幸運などがあったからと,微に入り細に入り解き明かしてくれます。大志への道は遙かに遠いと,元気を萎えさせてくれます。一方で,いろんな病気が襲ってくるとか,世情が不安であるとか,経済状況が思わしくないとか,明日をも知れないような強迫状況もお知らせしてくれます。先行きあまり良くないことが起こるから無駄足になることを教えてもくれます。大志を持つことなどあり得ないという情宣がされています。
 大志などは思いもせず,そこそこの努力でそこそこの成果でそこそこに生きていけばいいのだろうという気にさせられて,暇つぶしの情報に吹き寄せられています。夢を語ることを茶化して,考えなくていい,無知であるままでいいという後退化が進められています。
 器が大きくなると中に入るものは良いものが増えていくのではなく,質の悪いものが紛れ込んでいきます。巨大な情報社会は玉石混淆になります。このような情報事情では,情報の質の選択が自己責任となるので,自分につながる情報ネットは注意深く選択して絞り込む方が無難です。昔は,どのような本を読んでいるかが人の品格の証明でしたが,これからは,どのような情報ネットにつながっているかで人の値打ちが見えてくるようになりました。
 情報という知恵の食材の質の良し悪しが,組み上げられる知恵の質を決めていきます。安普請の知恵か,重厚な知恵か,量の多寡よりも質の良し悪しが大事です。
 特に子どもたちへの情報食材の選択が問題です。昔は親が情報の中継機能を持っていたので,自然に選択がなされていました。しかし現在は,あらゆる情報が子どもに直接届けられるようになりました。質の良し悪しを選ぶ力もないままに,俗悪な情報にまみれてしまうこともあります。親がそのことに気付かないということも,状況を悪くしています。
 人として知らなければならないこと,知っているべきことを選び,知らなくてよいこと,知ってはいけないことは封印していく,そういう力を持つことが望まれています。

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(2010年12月19日号:No.560)