《本当の 正しい話 節度から》

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 子どもは叱って育てるよりもほめて育てる方がいいといわれています。この件に関して,ある哲学者が連載コラムの中で異議を唱えています。
 「ほめて育てる」と,よく言われる。確かに,ほめられるとやる気が出る。だから,子どもを伸ばそうと思ったなら,ほめることはとても効果的である。しかし,「ほめて育てる」という方針は根本的に間違っている。
 その主張は,ほめられるためにがんばるようになり,そこから抜け出せなくなるというのです。たとえば,誰もみていない部屋の掃除はしないようになり,ほめてくれる人のご機嫌を取ることに終始するというのです。上から目線でほめてやるというのではなく,子ども自身が自分をほめるように,共感することが大事であるということを述べていました。
 叱るよりほめる方が・・・という文脈は,叱ることに比べるとほめる方がましであるということです。次に,ほめるということに焦点を当てると,ほめ方に注意すべきことがあるという筋書きになります。後続の論があるから前述の論が正しくないというのは,推論の段差です。話は詳細に向かって深まっていくに過ぎません。話の土俵を自分の庭に引き込んで咎めてみたところで,それは我田引水,揚げ足取りに見えるだけです。相撲は同じ土俵で取るのがフェアです。学者が指摘しているように,ほめてもらおうと思ったとしても,そこから抜け出せないとは限らないのです。育ちというステップを考えると,不連続な成長によって,あっさりと抜け出すことも十分に可能なのです。
 おにぎりの話があります。近所の知っている人が握ったおにぎりなら食べられるが,どこの誰が握ったか分からないおにぎりは食べられないという子どもの話です。この話を読んだ人が,ペットに口をなめられて喜んでいるような世の中で,矛盾していると言います。ペットの舌の方がよほど汚いのに,ということのようです。この場合の子どもとペットの飼い主は同じ土俵にはいません。全く違った世界のことを強引に結びつけても,その推論には意味はありません。極端な例ですが,似たような話しぶりは,日常茶飯事です。
 2点間の最短距離は直線であるという公理があります。その公理が成立しない世界もあります。例えば地球上では,2点間の最短距離は円弧になります。トンネルを掘れば,直線にはなりますが。一つの正しいことは,適応できる土俵の種類や広さに限界があります。絶対的な正しさはないと思うことで,推論に節度が生まれます。分かりやすい話をする一つのコツです。

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(2015年05月24日号:No.791)