《楽しみは 違い見つける 感覚で》

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 地球温暖化という環境変化が日本周辺の海水温の上昇を来し,海藻や魚介類といった海洋資源の変化として顕在化している報道がされています。冷房の効いた部屋でその映像に接しても,そうなのかという受け止めで終わり,知識の一部として記憶されるだけです。都市化した人工環境における情報社会は,意識が機能する世界です。
 人を表す言葉に心身があります。心と身の一体が人ということでしょう。心と環境の関わりは識ることであり,身と環境の関わりは感じることです。心は言葉によって意識が機能して,身は五感による感覚が機能します。その上で,生きるとは心身が連携していることです。
 人工環境に身を置いて遠隔情報に接していると,感覚が視聴覚に限定されていて,五感は不完全な働きに据え置かれます。その結果,意識偏重の世界把握に留まることになります。前述の自然環境の温暖化を識っていても,実感できないのです。心身が分離しているのです。
 意識を生み出す言葉は,現実を定義づけて,切り分けて整理し理解をしていきます。例えば,リンゴとミカンを分けています。人間と犬を分けています。一方で,リンゴは青くても赤くても同じリンゴであり,人間は男も女も大人も子どもも同じ人間です。
 そこで,私は人間であると意識すれば,子どものときの私も大人になった私も,常に同じ私です。しかし,年齢を考慮に加えると,私は年ごとに変わっているし,さらには日々違った私なのです。五感を働かせると,動いて体温が上がった,お腹が空いた、足が疲れた,話をした,時々刻々変化している自分がいます。それでも名を名乗れば意識する私は同じなのです。
 自分の前に立つ人を感覚で見届けて,私とあなたという言葉を使えば,違う存在です。しかし,今ここにいるという何らかの同じさを意識すれば,私たちという同じ存在になります。感覚は違いを,意識は同じを生み出す機能を持っています。
 都市化した環境に馴染んでいると,感覚による違いの認識を共有しなくなり,同じであるべき意識に捕らわれていき,違いを排除する選択をするようになります。その表れの一つが,同じでないものを糾弾する衝動であり,いじめやハラスメントなどに現れていきます。野菜や果物の規格品でないものを遺棄することもしていきます。
 意識では価値観に基づいた単一のあるべきことを求め,感覚では人間を超えた自然に基づいた複数のありように向かいます。ところが,人の意識空間が拡大する一方で,自然環境が変わってしまい,動植物との共存が不能になり,絶滅を招き,地球が暑くなってしまいました。心身といういのちは,自然に育まれるものということを忘れないでいたいと思っています。

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(2025年09月14日:No.1329)