家庭の窓
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多様性という視点が,社会観に結びついています。裏返せば,個の集まりとしての社会観です。もう少し厳密に言えば,社会ではなく集団です。言葉は状況を切り取って表現してくれますが,その状況が持ち合わせている特徴はその言葉が使われる場面で揺れ動きます。多様性とはそこに居合わせる個人が皆違っているという状況を表します。そのような個の集まりは社会になるかといえば,少し違ってきます。社会は何かの共通性が存在する集まりです。例えば,それぞれが違った言葉を使う人の集団は社会にはなりません。人は多面性を持つ存在であり,それぞれ皆どこかが違っているが,一方で皆同じ何かを持ち合わせている,それが多様化した社会というものでしょう。
個を大事にしたい,それは自分らしさの主張です。私は私であり,他の誰とも同じではないという思いです。私を意識しており,それを認知してほしいのです。今の時代に生きている人は強弱はあるものの,私第一主義であるのでしょうか。トランプ大統領のようにアメリカ第一主義といった主張をすることが人気のようです。私を大事にする最も基本は,自分の名前を主張することでしょう。私は○○という者である,これこそが個の大事さでしょう。かつて,我こそは○○であるという宣言をしていたのです。
今の暮らしでは,個人情報が流布することは抑制されています。世間から隠れようとしています。個を大事にするから,ということです。個をさらすことは裏の世界からの入場券になりかねないのです。一方で,表の世界では,自己紹介から関係が始まります。業界では名刺交換,個人的にはメール交換という名前のアピールです。個人情報の保護が必要な社会は,人を直接に向き合う存在ではなく,記号化してしまうために,人として相互意識が欠落して,機械的な情報に変質してしまっているためです。
ネット社会は,人の世界ではなく,記号と映像の世界です。意図的に発信される記号と映像だけが伝えられます。普通の人間世界では,本人が発する情報以外に,誰かに見られたり聞かれたりする,本人が意図しない情報が伝わっていきます。例えると,映画で見た主人公と,実際世界での俳優の違いがあります。ネット世界での人は匿名という出演名で登場しているので,映画の登場人物と同じなのです。映画館から出たら,現実に戻らなければなりません。
従って,ネット世界で私らしさを作り出したにしても,それは私が想像して作り上げた虚像でしかありません。テレビの世界で名の通った人が実世界では違った面を見せていることからも,虚像と実像の勘違いが,本人に起こってしまう怖さに注意しなければなりません。匿名の私,それは私が作り出した作品であり,私ではないのです。ということは,ネット世界でお見かけする方々は,仮の姿であるとお見受けする方が良いようです。(執筆している私に向けて)。
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