家庭の窓
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1999年に書店が2万2千店あったそうですが,2014年には1万4千店になって,令和7年現在1万店を切ったということです。書店が立ち行かなくなった大きな理由は回転のよい雑誌依存や流通網における特殊性があるということですが,一方で,本を買う人が減ったことであり,それは本を読む人が少なくなっていることもあります。
本,特に書籍はまとまった情報をじっくりと受け止めて,自分の知恵の一部に取り込んでいくプロセスを必要とします。本の世界に入り込むことで疑似体験することができる,それが学びになるのです。本を読む楽しさ,それは言葉が生み出す未知の世界への旅行ができることなのです。
ところで,本という言葉の世界が,言葉の伝達様式の変化によって,人の暮らしから遠ざかっているのです。それは言葉の洪水が押し寄せているせいです。かつては,言葉の受け取りは居間にあるテレビ,固定電話,手紙,人との出会いに限られていて,十分に理解や解釈,記憶という体験処理ができていました。それが,今ではスマホでの受信によって,歩いているときまでも言葉が押し寄せてきます。人の処理能力を超えているので,溺れている状況になっています。
言葉は発信者が伝えて,受信者に伝わるという,相互作用が基本です。言葉を媒介にして,両者が納得して世界を共有しようという合意の形成が必須です。発せられる言葉は発信者の意図によって選ばれて伝えられます。受け取られた言葉は受信者の意図によって解釈されて伝わります。両者の意図が一致すれば,結果は両者に満足のいくものとなりますが,意図がずれていると結果は一方的に終わります。例えば,詐欺目的の言葉は,一方的な結果をもたらします。受信者は安易に合意をしないという用心が求められます。言葉の洪水は濁った意図による言葉をまき散らしてもいるのです。
短い言葉では伝えても伝わらないということが起こります。そこで,言葉を重ねていくと説明という一連の言葉の集合になります。その手間と時間を費やすことが無駄という状況が蔓延してきました。まず結論を伝えよう,それで伝わるとしようというのです。それは同一世代内の感覚です。同じ世代では単語で共感し合うことができるので,説明は必要ないのです。言葉の世界が世代によって異質になってしまいました。
言葉の伝達環境が高密度の発信受信をもたらした一方で,一つ一つの言葉の意味が拡大していき,結果として言葉数が激減しています。例えば,味の多様さを表す言葉は使われず,激うま,やばといった単語だけで分かり合っているつもりのようです。感覚が刺激を受けたということだけで,どのように刺激を受けたかという詳細は必要ないのです。
本を読む楽しさは言葉が描き出す多様な世界に触れることですが,それはアナログの世界です。言葉少ないディジタルの世界では,楽しむという幅は存在しません。人間関係がディジタルになってきたのは,言葉のディジタル化が進んでしまったせいでしょう。この辺りの考察はしばらく進めて整理してみようと思っています。
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