【生きる羅針盤の提案(8):悪口へ対応】
人権宣言等から導き出した「人権羅針盤」は,人権という言葉が目指すものに言い換えると人が穏やかに生きるための羅針盤と考えなければなりません。だからこそ,先に示した子どもの育ちを考える羅針盤としても有効になることができたのです。ここでは,「生きる羅針盤」としての様子を描き出しておくことにします。ふと立ち止まって,「生きるとは?」という疑問に出会った際に,その思考のお手伝いができたら幸いです。
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「私が生きる羅針盤」を考える第8版です。今号では人間関係における不都合である悪口への対応について見ておきましょう。前号の性格の悪さに対する向き合いにも通じるはずです。
まず,他者が私に対して悪口を言うことについて,その他者の立場を確認しておきましょう。
○他者は悪口を私に向けることによって私を思い通りに束縛しようと,決断しているはずです。そのことは私にとっては私の決断が侵害されることになるので,自由が奪われてしまいます。互いに自由に決断するという尊重の関係は破綻します。そこで,他者に対して悪口を止める,撤回することを求めようとすると,他者は私から決断の放棄を迫られる状況となり,逆束縛となり,受け入れることはできません。つまり,お互いを支配しようという膠着状況に陥ります。他人の要求にはおいそれとは従えないのです。その成り行きは,悪口には悪口を返すこととなり,やがてはけんかになってしまいます。
○他者は悪口を私に向けることによって私を差別して,安心しようとしています。そのことは私にとっては私の安心が侵害されることになるので,平等が失われます。互いに平等に安心するという信頼の関係は破綻します。そこで,他者に対して悪口を止める,撤回することを求めようとすると,他者は私から安心の放棄を迫られる状況となり,逆差別となり,受け入れることはできません。つまり,お互いを不安にしてしまう膠着状態に陥ります。他人の要求にはおいそれとは従えないのです。その成り行きは,悪口には悪口を返すこととなり,やがてはけんかになってしまいます。
○他者は悪口を私に向けることによって私を否認する思いを表現しようとしています。そのことは私にとっては私の表現が侵害されることになるので,真正が汚されてしまいます。互いに真正な表現を交わすという相互理解の関係は破綻します。そこで,他者に対して悪口を止める,撤回することを求めようとすると,他者は私から表現の誤謬を糾弾される状況となり,逆否認となり,受け入れることはできません。つまり,お互いを疑心暗鬼にしてしまう膠着状態に陥ります。他人の要求にはおいそれとは従えないのです。その成り行きは,悪口には悪口を返すことになり,やがてけんかになってしまいます。
○他者は悪口を私に向けることによって私を排除する意図をもった参画をしようとしています。そのことは私にとっては私の参画が侵害されることになるので,博愛が脅かされてしまいます。互いに博愛の参画を実現するという互恵の関係は破綻します。そこで,他者に対して悪口を止める,撤回することを求めようとすると,他者は私から参画の修復を追求される状況となり,逆排除となり,受け入れることはできません。つまり,お互いを回避してしまう膠着状態に陥ります。他人の要求にはおいそれとは従えないのです。その成り行きは,悪口には悪口を返すことになり,やがてけんかになってしまいます。
○他者は悪口を私に向けることによって私を否定することができればと希望しています。そのことは私にとっては私の希望が侵害されることになるので,美徳が失われてしまいます。互いに美徳を希求するという相互期待の関係は破綻します。そこで,他者に対して悪口を止める,撤回することを求めようとすると,他者は私から希望の放棄を要請される状況となり,逆否定となり,受け入れることはできません。つまり,お互いを絶望に追い込んでいく膠着状態に陥ります。他人の要求にはおいそれとは従えないのです。その成り行きは,悪口には悪口を返すことになり,やがてけんかになってしまいます。
○他者は悪口を私に向けることによって私を妨害することで自らの成長を図ろうとしています。そのことは私にとっては私の成長が侵害されることになるので,善行が封止されてしまいます。互いに善行しあう相互支援の関係は破綻します。そこで,他者に対して悪口を止める,撤回することを求めようとすると,他者は私から成長の停滞を齎される状況となり,逆妨害となり,受け入れることはできません。つまり,お互いを停滞に閉じ込めてしまう膠着状態に陥ります。他人の要求にはおいそれとは従えないのです。その成り行きは,悪口には悪口を返すことになり,やがてけんかになってしまいます。
以上のように,悪口を言われた際に,目には目を歯には歯をという対応は,出口を詰まらせることになり,その結果としては暴力による破壊状況に至ってしまいます。
その膠着のパターンは,ともに向き合うスタイルにあります。人ができることは,言われてすることではなく,自らしようと思うことです。自分の振る舞いは自分が決めて実行しているのです。その振る舞い変えるのは自分にしかできません。そこで,悪口を言う人に対しては,自分で変わるように,そっと放置する,離れていることが,周りにできることです。
悪口を言ってくる人とは,先ずは離れていくしかありません。逆に言えば,言われている私が,他者を変えることは無理なので,私が変わればいいのです。私は私が変わろうと思えば変われます。
悪口を言われたら,その人は悪口を言わなければならない状況にあるのだと察して,勝手に言っていなさいと,影響されないようにしておくことです。言われた方が何の反応もしなければ,言っても詮無いと,あきらめるしかありません。悪口は言っている本人が処理するしかありません。受け取りしたくないものは拒否してこじれるよりも,受取人不明でお返しすることが次善の対応です。
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関係の悪さと思われてしまう言動は,人は日々成長し続けているという生きている原則に気付いて,自らに気持の余裕を向けることができると,まず自分をまっすぐに見届けることができて,他者にも期待を持った言動を向けることができていくことによって,脱出できることでしょう。。
人としてすべきことから外れないようにすることは大事であり,それは誰にとってもできることであり,気持ちの良いものです。しあわせは誰かだけにあるのではなく,皆に同時にあるものです。権利を守る,言葉は堅く響きますが,人として生きていく自然な姿であればいいのです。
(2025年03月23日)