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「第 100-06 章」 |
『子育ちは 道理に沿って 発言し』

■子育ち12賢愚■
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『子育ち第6賢愚』
【愚:発言を違えること】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第100版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。ただ構成上に変化を繰り入れます。奇数号では賢い育ち,偶数号では愚かな育ちという配置をします。育ちが望ましくない向きにずれていかないためには,避けるべきことにも目配りをしておくべきです。予め推奨すべきことと同時に注意すべきことを知っておくと,安心することができるはずです。
《愚について考える?》
「バカもん!」 カツオが波平父さんに怒鳴られます。かつての親は息子を人に引き合わせるとき,うちの愚息です,と紹介していました。親から見れば我が子はいつまでも子どもであり,頼りない愚か者に思われるのかもしれません。もちろん,本当はそうではないと思いたい,思っているのも親の情です。だからこそ,親は我が子の未熟な所だけがよく目に付くものです。悪い点はいくつでも数え上げます。子どもは愚かでいいのです。愚かだからこそ,育ちの楽しみがあります。なお,大器晩成というペースもあるようです。
言葉が幼いと,愚かな印象を与えます。愚かではないことを賢いというのなら,賢さとは豊かな言葉を駆使できることです。難しい言葉を覚えた子どもに,世間では賢いねと評価することがあります。物事を的確な言葉で表現するとき,知恵が生まれます。一面の花畑を見て,ヤバいと言うか,素晴らしいと言うか,美しいと言うか,その表現によって,他者への伝達力が違います。他者が正確なイメージを描くことができる表現であるとき,賢い表現になります。言葉が貧弱である,それが愚かさを示します。
物事が思うようにはかどらないとき,愚痴が出てきます。ときには,誰かのせいにすることもあります。あいつがしくじったからと,理不尽な言いがかりでけりを付けようとします。そんなことで状況は改善するはずもありません。ものの道理から外れているからです。道理を弁えていれば,愚痴が出ることはありません。現実をあるがままに見極めて,できることを正しく選択し,手順に逆らわずに取り組めば,愚痴の出る隙はなくなります。愚痴を言うのは,自分が物事を考えていない付けを払っていることなのです。
タブレットは子どもの学力を下げると,世界では低学年を中心にアナログ回帰をしているそうです。最大の懸念は,学力や読解力の低下です。デジタル教材に依存することで,子どもたちが文章を深く読み解く力が育ちにくくなり,集中力も低下する傾向が国際調査でも報告されています。画面上の文章は,理解や記憶の定着が浅くなるという研究もあります。多くの教員からは「紙教材に戻しただけで、子どもたちの集中力が明らかに回復した」との声も聞かれています。
★落書き★
日本初のキャラメルは森永製菓で明治32年(1899年)に発売が開始されました。なかなか普及しませんでしたが,大正3年に開催された大正博覧会で土産用に販売して人気が爆発しました。「禁煙を欲せらるる紳士淑女のために特性ポケット用」というキャッチフレーズで新聞広告が計されました。当時のキャラメルは「煙草代用」として利用されていました。
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