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「第 51-07 章」 |
『子育ちは 思うあれこれ できるよう』
■子育ち12因子■
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『子育ち第7因子』
【主体的行動】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。2つの領域にそれぞれ6つの視点を重ねると,12の論点が生じます。
第1の誰が育つのかという問には,鏡に映っている自分を見ているもう一人の自分が育つと考えます。しっかりしろと自分を励ましているもう一人の自分が育たなければならないのです。これまでの子育て羅針盤の形式に添って,奇数章では,もう一人の自分の育ちを考えていきますので,この版では特別に分かりやすいように「主体的」という言葉を冠します。偶数章では,人は社会生活が必至なので,自分は他者と対等な関係を持つことができるように育つと考えて,「社会的」という言葉を冠します。他の5つの視点についても,同様とします。
《行動》
朝起きてから夜眠るまで,人は何かしらの行動をします。したいことばかりしているわけではありません。したくなくてもしなければならないことがあります。面倒だから止めておこうという選択をしがちです。しかし,面倒だからしよう,そういう決断をする道もあります。そして,その方が真っ当な生き方,真っ直ぐな育ち方になります。物事に真面目に取り組むためには,もう一人の自分がしようと決める必要があります。言われて嫌々している姿は,不貞腐れて見えるので,次は相手にされなくなります。
○お子さんは,自分の勉強に心から打ち込んでいますか?
食べたいおかずを調理するために冷蔵庫から材料を取り出します。材料が不足していると,おかずはできません。ところで,子どもが成長して自分の道を選ぶときに,自分には何ができるかということが条件になります。できる力が備わっていないと,道の選択は不可能です。材料がないのにおかずを作ろうとしても無理なことと同じです。できる力は勉強をすることで身につきます。勉強した内容そのものではなく,問題への対処の仕方を勉強することが,できる力を育ててくれているのです。すすんで勉強すべきです。
○お子さんは,自分の足りない部分を認め,補い高めようとしていますか?
能力を備えようとするとき,できないことが何かを見つけなければ,始まりません。できないことが見つかれば,そこをしっかり学べばいいのです。問題の解決は,問題を発見することで可能になります。自分に足りないところはどこか,それを見つける方法の一つが試験です。できないところがどこかをはっきりと教えてくれます。子どもが勉強で,どこが分からないか分からないと言うことがあります。迷って地図を見る時,現在地が分からないとどうにもならないことと同じです。現在の足りない部分の認知が大事なのです。
○お子さんは,いったん決めたら最後までやり通すことにしていますか?
生きていく中では,がんばる場面が付きものです。子どもは能力を身につけるために,できそうでできないところでがんばることが求められます。なんとかできそうな状況では,がんばれという励ましの声が掛けられます。そのがんばるということは,止めようと思うときに,もうちょっとだけ続けようとすることです。3回やってできないから止めようと思ったとき,もう1回やってみようとすること,それが最後までやり通すことにつながっていきます。子どもがもうちょっとと言っているときは,続けさせましょう。
人は暮らしていく中で,いろいろな役割を果たしています。向き合う人によって,その役割は変わってきます。親の前では子どもであり,子どもに向き合うときは親になります。夫に向き合うときは妻であり,妻に向き合うときは夫になり,仲間であり,上司であり部下であり,隣人であり,同窓生であり,ときには旅人になります。それぞれに役を演じているとつらくなります。誰にも真っ直ぐに向き合うためには,してほしいことを,先ず自分からしてあげようとすることです。ただし,してあげたのにとは思わないことです。
★落書き★
ランドセルは幕末期に軍用として輸入された布製の鞄ランセルが原形といわれています。明治時代には,リュックサックに近い形で使われていました。明治20年,内閣総理大臣であった伊藤博文が,学習院初等科に入学する大正天皇のために,特注で作らせたのが,今の箱形のランドセルでした。背負うことで,両手が使える,負担が減るという利点が認められて,小学生向けの鞄として普及しましたが,都市部に限られていて,全国的に広まったのは,昭和30年代以降ということです。
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