*** 子育ち12章 ***
 

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「第 59-07 章」


『子育ちは 私らしさを 追いかけて』


■子育ち12省察■

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『子育ち第7省察』

【個】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。

《個とは?》
 個とは,オンリーワンであることです。個性とは私らしさです。個性を大切にという勧めは,私らしくあれ,あなたらしくあっていいのですということです。もう一人の自分が私はこうありたいと思っていいのです。「ありのまま」という言葉が共感を得た背景には,ありのままでいたいという欲求が十分に満たされていない状況があります。KYという記号が空気を読めないという意味の略語であるとのことですが,空気を読んで合わせなければという過度のストレスは,個性の発現を抑制しかねません。

 情報社会の中で,若者・子どもたちは孤独化されることを怖れているようです。ネットいじめで仲間はずれになるのを怖れて,メールの返事をすぐに返すために機器を外せないということも聞きます。個とは孤独とつながっています。人の思惑から独立して孤立することもあるという覚悟が必須です。人からどう思われるかを気にしていると,自分が失われます。この人の思うように,あの人の思うように,あっちの人の思うように,そうではなくて,私が思うようにあるということが基本です。

 私らしくあるとは,私はこれができるという自立状態が必要です。乳児がすべてのことを保護者に委ねているのは,人が早産であるためです。その後の成長によって徐々に自立していかなければなりません。人はたくさんの可能性を持っています。その可能性の一つを成長によって実現していけば,私らしさが備わっていきます。生きていく能力を身につけていくなかで,人はいくつかの成長選択をします。私はこれを選択する,それが人の履歴となり,その人らしい自立になっていきます。みんなちがってみんないい。



 人をつなぐネット社会が,人のつながりを薄くし危うくしているようです。匿名であるという要素が,個としての人を排除しているからです。私らしさとは,私はどこの誰であるという宣言によって現れるものだからです。誰であるかを秘した社会は,個のいない社会であり,そこでは人のつながりを結ぶことは不可能です。子どもが育つ場として,ネット世界は不適当です。ただの情報利用としての本来の関わりに留め,人とのつながりに利用することは避けるべきです。つながりを枯らす作用に感染します。

★落書き★

 地域には季節ごとにお祭りがあります。春の祭りは豊作を願い,秋の祭りは収穫を祝う農業の祭りです。では夏の祭りはどういう祭りなのでしょう。祇園祭は,平安時代から始まっていますが,怨霊のたたりを鎮め,追い払う祭りです。夏は疫病が流行り,死者も出たことから,これを何らかの怨霊のたたりであると思っていたのです。荒ぶる怨霊を鎮めることを願って,祭りをしているのです。衛生的な現在では,その意味は消えてしまったようです。もちろん,仏教での盆踊りは別です。


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