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「第 61-12 章」 |
『子育ちは 邪心を排し まっすぐに』
■子育ち12表裏■
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『子育ち第12表裏』
【邪】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
この第61版では,私の育ちの項では表の選択を,私たちの育ちの項では裏の選択を考えてみます。
《邪について考える?》
子どもの育ちでは,したことがないことはできないと言われます。見たこともない聞いたこともないことは,それがあるということが分かりません。赤ん坊は,まわりの人が歩いているのを見て,同じように歩こうとします。自分が歩くことができるかなど考えず,ただ,歩くという行動を真似をしようとして,歩く能力を引き出していきます。オオカミ少年は人を見なかったら,人の真似ができず,オオカミの真似をして育ったのです。子どもは自分が何ができるか,発見するまで全く分かっていません。
人は人の中で育ちます。目の前にできる人がいると,そんなことができるんだと分かって,そうしようとしますが,簡単にはできません。そのときに邪な心を持つと,できる人の邪魔をしようとします。出る杭は打たれるということが起こります。自らの能力開発の道を閉ざすことになります。もちろん特異な能力は個人の資質であって,皆が同じレベルとはいきませんが,普通の能力については,それなりには誰でもできるようになれます。素直に真似をする,それが育ちの基本プロセスとなります。
暮らしは大部分が共同作業になります。お互い様の頼り合いによって社会は成り立っていますが,そこに欲に駆られた邪心がわき上がると,欲を満たすことができるように思えるのは邪推でしかなく,人としての生き方の邪道になります。偽装といった社会的な悪事は,自らに邪な思いを紛れ込ませる未熟さがもたらします。人を騙す,いじめる能力が優れていたとしても,それは邪悪な能力です。正しいことができる能力を育てるには,邪心に惑わされないという信念を培うように努めなければなりません。
自分を大切にという思いが肥大すると,自己愛が強くなるでしょう。一方で,格差社会という現実が広がっています。思い描く理想と直面する現実のギャップが欲求不満となり,埋めるために嘘をつくようになります。夫に嘘をついて信じ込ませて,弁護士を痛めつけた猟奇的事件がありました。気持ちの隙間を埋めるだけの小さな嘘が,口から出たとたんにつじつま合わせに迫られて,拡大し続けます。身の丈の自分,等身大の自分を大切にする,そこに嘘は必要がありません。
★落書き★
お正月などの休みに,一時的に故郷に帰ることを帰省といいます。帰省と意味が似た言葉に,帰郷という言葉もあります。共に故郷に帰るということでは同じですが,帰省には省みるという行為が含まれています。故郷に帰って父母を省みる,親の安否を伺う,それが帰省の本来の意味です。単に故郷に帰るだけでは帰省とは言えないのです。故郷に帰って父母の懐でのんびり世話してもらいたいというのでは,帰省とは言えないのです。親を気遣う,それが子どもの役割です。
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