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「第 64-09 章」 |
『子育ちは 明日にはできる 楽しみを』
■子育ち12教則■
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『子育ち第9教則』
【希望を懐こう】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
この第64版では,あるお店のスタッフに向けた注意すべき心の持ち方25箇条の中から,子どもの育ち12の教則として選び抜いたものを,子育て羅針盤風にお伝えするつもりです。
《希望を懐こう?》
子どもや若者に希望を目指す気持ちが育っていないのでは,と感じることがあります。情報社会が当たり前になって,子どもたちは分かったつもりにさせられています。ひとりよがりの独断で決めつけているので,あらゆることが予定調和に思い込まれています。明らかであることは諦めとつながります。努力しても何も変わらない,というところで立ち止まっています。一方で,先が見えないことには踏み込まない,逃げる姿勢が窺えることもあります。
何かしら不都合なことが起こったとき,そのことをよってたかって責めるだけで,何の代案を提示しない風潮が勢いを持ち,世間がビクビクと守りに入っています。子どもたちも,失敗を責められないように,臆病になっています。もう一人の自分が人間関係を怖がって自分を閉じこもりがちにしていると,育ちという希望の道も閉ざすことになります。思い通りにことが運ばないことを怖がるのではなく,そこに新たな展開の可能性を見つけようとすることが希望を懐くことなのです。
今日分からないことでも,明日になれば分かるようになることがあります。何をどうすればいいか分からない閉塞状況になっても,周りの状況が動いていくと,一条の明かりが差し込んでくるように,見えてくるものがあります。その不思議な采配を信じることが,希望というものです。なんとかなるという確信ではなくて,なんとかなるかもしれないという希望です。自分にできることをあきらめずにやっていけば,景色が変わるように,状況が変わって,見えないものが明らかになっていくはずです。
埼玉での殺人事件では,主犯の少年は「電話やメールを無視されたので殺した」と容疑を認めているそうです。この少年の心得違いは,「電話やメールを無視するのは相手の勝手であり,自分がとやかく言える事柄では無い」という自他の峻別を弁えていなかったことです。自分のプライドを,別の人間に被せることは不可能である,人は自分の思い通りにはならないという事実を学び忘れた結果が,事件の元なのです。親が子どもを思い通りにできない経験を,子どもに教えていなかったのでしょう。
★落書き★
姓を苗字といいます。なぜ苗という字なのでしょう。日本人は農耕を中心として生きてきて,家族が一致団結しないと稲作がままならず,血族のつながりが重視されるようになりました。家族は,協力して稲作をし,収穫した稲も分け合いました。同じ苗代で育てた苗を植えることが社会の単位になりました。この単位の屋号が苗字というわけです。同じ苗でつながる一族ということです。
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