*** 子育ち12章 ***
 

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「第 66-08 章」


『子育ちは 生きる縁に 寄り添って』


■子育ち12活動■

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『子育ち第8活動』

【身近に潜む価値に注目する】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第66版では,子どもの育ち12の活動として独自に選び抜いたものを,子育て羅針盤としてお伝えします。

《身近に潜む価値に注目する?》
 潜むということを二つに分けて考えてみます。一つは,自分が見つけていないという意味での潜んでいる価値です。育っている子どもにとっては,習うこと,学ぶことが,それまで知らなかった価値なので,潜んでいた価値になります。次に,注目するとは,「そうか」という感動と共に気付かされることです。知らなかったことに注目することは不可能です。知らされることの中から,今の自分が「そうか」と思えることを見つけるようにすればいいのです。授業の予習をするように・・。

 誰も見つけていないという意味での潜む価値があります。もちろん遠くにあるものは注目しようもありません。身近にありながら,誰もその価値に注目していないもの,それを確実に手に入れることです。誰も注目していない,それは面白くもなく楽しくもないものです。思いがけず見つかることがあります。失ったときです。例えば,熱を出して寝込んでしまうとき,日頃の何気ない健康がありがたい価値であることに気付きます。不幸な出来事の話を聞いたとき,身に替えて考えてみるのも・・・。

 生きるという灯火を絶やさずに燃やし続けなければなりません。自分は何のために生きているのか,生きたいということは? その問に対する答になるもの,それが価値あるものです。自分の思い通りにならない現実の中で,生きていく喜びを感じ続ける物差し,その価値観を確実に意識していなければなりません。たとえいじめにあったとしても,その苦しみを凌ぐ生きる喜びを持ち続ければ,生きたいという選択が可能です。信頼できる人が一人いる,そのような具体的な価値を見つけたいものです。



 情報社会の中で,もう一人の自分は行ったこともない場所を画面としてみることができます。それを自分の世界と勘違いしないことです。自分は画面の外に隔離されているからです。自分が生きている世界は身近な世界でありごく狭いものです。例えば,スマホの画面の中に生きていると勘違いすると,くだらない嫌みなメッセージを浴びせられたとき,落ち込むという偽病に苛まれます。生きているのは直接の関係が機能している世界であると,覚悟を新たにする強さを持たせたいものです。

★落書き★

 いじめるという不届きな言葉が日常の情報として現れる世情とは悲しい限りです。イジルとメルの合成語で,弱い者を指でもてあそぶように苦しめるという意味です。この言葉は比較的新しいようで,近世から使用例が増えているそうです。ところで,メルは次第にそのようにさせるという意味の造語成分です。アタタム+メルが温める,ナグサム+メル,ススム+メル,タシカム+メル,ユガム+メル,ホム+メル,キヨム+メル,ウスイ+メル,など,たくさんの造語があります。


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