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「第 79-01 章」 |
『子育ちは 私が自分 生かすこと』
■子育ち12覚悟■
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『子育ち第1覚悟』
【自分で考えて決断しよう!】
《まえがき》
子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視座です。また,2つの領域とは,自分の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が羅針盤の基本的な針路構成となります。
この第79版では,子どもたちが育ちに向っていく上で持ってほしい覚悟について考えてみます。育ちたいという心積もりをどのような形で実践していけばいいのか,12の指標に整理をすることで,子どもたちの育ちの全体像を描いていきます。心豊かな子に育ってという親の願いに対して,子どもは自分はどうすればいいのと問いかけてきます。それなりに指導や助言をすることになりますが,それだけで十分か,他に言っておくことはなかったかと迷うことがあります。全体を見渡す指標として参考にしてください。
《自分で考える!》
新型コロナに対する自粛の要請がある中で,繁華街に出かけている若者がインタビューを受けていました。自粛してくださいと言われているが,それに対して自分は飲みに行きたいと言う。禁止と言われたら止めると答えていました。自分勝手でありながら,自分で決められないという育ちの欠落がみられます。人は考える能力を備えていますが,それはもう一人の自分が,周りの世界や人との関わりの中で自分を生かす方策を見つけるために使うものです。自分の言いなりになるのはもう一人の自分が考えていないことになります。
《自分で決断する!》
お母さんと一緒に近くのスーパーに買い物に行きます。欲しいものや必要なものといった購買目的を満たすために,たくさんの中から選ばなくてはなりません。どれにするかを決めることを迫られます。生きる営みは決めることの連続です。決めるためには,対象となるものやことを知らなければなりません。見て聞いて触って,そこから目的と適合するかどうかを判断して,選んで決めることになります。もし,与えられてばかり育つと,もう一人の自分で考えることがないので,もう一人の子どもが目覚めないままになります。
《親としての関わりは?》
子どもが「自分で考えて決断しよう」という覚悟を持ち続けられるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。子どもに関することを親が決めてしまわないことです。それは親の勝手だからです。もちろん,子どもの能力では無理なことを丸投げして任せてしまうのも無責任です。どうすればいいのかというと,無理のかからない準備として,親が選択肢を用意して,選ぶという決断の機会を提供します。日々の生活で,献立を決める前に母は何をどう考えているのか,話してやることも良い情報提供になります。
外国人労働者が言われて嫌だった言葉,「ロシア人は毎日ウォッカ飲むんでしょ」「さすがタイ人」など,出自でひとくくりにされることという人が少なくありません。ひとまとめにするのは考えていないからで,その手抜きをされることが嫌みを醸し出します。自分を日本人と括ることも同じです。うれしかった言葉は,「おはよう」「アリガトウ」と,その人,個人に思いを向けた言葉だというのもうなずけます。男は,子どもは,若者は,公務員は,政治家は,よそ者は,年寄りは,そういう口癖があれば,嫌みの種です。
★落書き★
はは。母。女親のハハは,成人のことのように思っています。その常識とは違って,「乳首を求める乳児の甘え声」が語源です。ハハは平安期や中世の発言ではファファであり,まさに乳児の甘え声です。子どものいる女性に相応しい語源です。中国語である漢字の「母」は,「女」の文字の真ん中に乳首を表す点を二つ付けた写実的な語源です。どちらも乳を母の象徴として共通して語源にしているのは,面白いというより,ごく自然なこととして納得させられます。
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