*** 子育ち12章 ***
 

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「第 82-02 章」


『子育ちは 互いを思う 経験で』


■子育て12心育■

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『子育て第2心育』

【子どもが自制できる心を育てましょう!】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視座です。また,2つの領域とは,自分の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が羅針盤の基本的な考察の構成となります。
 この第82版では,子どもたちの心の育ちがどのようなものかを,総括しておきます。つい日常の子育てに向き合っていると見逃しがちな目標を,再確認していただければと思っています。子育てという山道を歩んでいくとき,目の前だけを見ていないで,たまには目を転じて向かっている頂を確かめておくことが迷わないために必要なことです。 何となく成るように育てればいいというのではなく,あるべき育ちに沿っていくことができるように,親は子どもの育ちを見守りつつ支えてやらなければなりません。心豊かな子に育ってほしいという親の熱い願いが時として過剰に子どもに向けられることがあります。子どもは今の自分ではどうすればいいのと問いかけています。子どもの育ちのペースに寄り添った親の支援になるために,親は自分の子育てを検証することが必要です。今すべきことか,相応しい程度か,順序に沿っているか,子どもの育ちを見極めて,それなりに指導や助言をすることになります。子育ての全体を見渡したポイントになる12の指標を参考にしてください。

 《自制させる》
 自制とは日常の会話にはあまり出てこない言葉ですが,辞書を引くと「むき出しにしたくなる自分の感情や欲望を抑えること」とあります。最近は,自分の思いを素直に発揮することが個性の尊重とされていますが,少しばかり行き過ぎが出てきました。わがままと個性の尊重とは違うというけじめがつかなくなっています。道いっぱいに横並びで歩いたり,自転車で歩行者を避けようとしなかったり,気に入らないと友達にも悪口雑言を浴びせて相手が悪いとうそぶいたり,したい放題です。古い言い回しですが,慎ましさという自制が効いていないから,友達関係が悩みになります。

 《我慢させる》
 家庭の中では,大人の庇護の下で子どもはわがままが許されています。いつでも一番でしょう。そのまま友達関係に入ると,衝突が必至です。グループという小社会では,否応なく序列のような配置が生まれます。皆が一番というわけにはいきませんが,それでも少し我慢すれば自分の番が回ってきます。皆が少しずつ我慢すれば,皆が楽しむことができます。我慢し合うという共通体験が,仲間意識を作り上げます。苦労したから仲間になるということと同じです。家庭で親だけが我慢するのではなく,親も子も我慢するという体験を持つようにしてください。

 《弁えさせる》
 社会における最も基本的なルールは,公平であることです。平たくいえば,みんなが同じであることです。そこで勘違いが紛れ込むとややこしくなります。例えば,ごっこ遊びをするとき,誰もがヒーロ−・ヒロインになりたいからといって,皆同じであることはできません。役割の分担という考え方によって,全体の中の自分を意識する必要があります。自分のことではなく,仲間全体のことを考えなければなりません。我慢をすることの次に見えるもの,それは皆で楽しむという大きな喜びです。自分だけではなく皆がうれしい,その気持ちが社会を身近にしてくれます。

 《プライドが育つ》
 人は自分を大事にする自尊心を持っています。ただ,我独りのみ尊いということになると,敬して遠ざけられ,孤独に追い込まれます。人は社会の中で他者とつながっているから生きていくことができます。人間関係の中で自分を大事にするためには,自尊心と他尊心を併せ持たなければなりません。お互い様という関係の中にあるときだけ,充実した自尊心となります。家族というお互い様の経験を豊かなものにしないと,他者との関係を築くことが難しくなります。お互い様を受け入れるために,わがままを我慢する力が不可欠なのです。



 子どものゲーム遊びに悩んでいる親御さんの声です。時間制限しているが守られていない。使用制限の設定も変更されてしまう。宿題の後にと決めているが,宿題をしていてもゲームしたさに集中できず,いらついたりしている。殺し合うゲームの影響で現実に暴力を振るいやすくなるのでは。友だちと集まっていてもそれぞれゲーム機で遊んでいる。悩みは尽きないようですが,少し気になることがあります。ゲーム以外の親と一緒に出来る遊びをしてやる時間を持たないで,子どもを放り出しているのかもしれません。親の世界と子どもの世界が触れあっていないから,子どもはゲームに行くしかないのでは?

★落書き★

 思い通りにならないことがあると,どうしてだろうと相手の中に原因となることを見つけようとします。そうこうしているうちに,物事はしかるべき帰結に至ります。後の祀りになります。亡くなってしまった人に対する「後の祀り」が語源です。反省・後悔の意を込めて,手遅れの気持ちを表した言葉で,京都祇園祭と結びつける人がいますが,関係はないということです。後悔は,自分ができることをしなかったことに気づくからです。今,自分に何ができるか!と考える勇気が後悔しないために大事です。


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