*** 子育ち12章 ***
 

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「第 91-05 章」


『子育ちは 話のできる 人が居て』


■子育ち12反転■

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『子育ち第5反転』

【対話と指示!】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第91版では,子育てと子育ちが反発してしまう心配をを考えておきます。子どものためを思って良かれと作用をしても,子どもからは良くない関わりになってしまうということです。親はしつけのつもりで関わっていても,子どもからは虐待となっていることがあると言われるようなことです。保護するのが親の務めですが,過ぎると過保護となって,育ちを疎外してしまいます。どんな点に注意をすればいいのか,羅針盤の12の視座から考えてみましょう。

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《対話》
 子どもが外から帰ってきます。「どこに行っていたの?。暑かったでしょ」「うん」。「汗をかいた?」「うん」「脱いで」「脱いだものは洗濯機に」とたたみかけていきます。子どもとの対話をして,身の回りの世話もちゃんとできています。ところで最初の語りかけ「どこに行っていたの?」に,子どもは答える暇がありません。ポンポンと母親のペースで進んでいきます。母親の都合に沿った言葉掛け,すなわち指示になっていて,子どもの言葉などは全く聞くつもりなどないようです。
 汗びっしょりになったので着替えようと思って帰ってきたのに,それを先取りされてあっという間に事が運んでしまいました。幼い子どもは,お母さんはすごい,私のことをなんでも分かっている,どうして着替えようと思っていることが分かっちゃうのかな,と感動することでしょう。保護者としての気配りは大事なのですが,少しずつ子どもの自立に任せていくために手控えていく必要があります。その保護程度の見極めをするためには,子どもとの言葉の交換,対話が必要になります。

《指示》
 親や先生からあれこれと指示されているうちに,指示されないとどうしてよいか分からなくなります。「何でも自由に写生をしなさい」といわれて,「○○を描いていいですか?」と確認を求めます。指示命令に対しては「はい」という服従の発言しかできません。自分がどう思い考えるかという表明は,言い逃れなどとして却下されます。対等な意思・思いの交流はあり得ません。余計なことは考えずに,言われたことをしていればいいの,という言論統制は,弾圧そのものです。言葉が死んでいきます。
 指示は,守備の選手に向けてボールを打ち込んでいくシートノックのようなもので,ボールを打つ者,投げる者が固定し,受けにくい場所をめがけてボールが打たれます。対話は言葉のキャッチボールと言われており,言葉を受けて言葉を投げ返し,受けやすいように相手の胸にめがけて投げます。「暑かったでしょ?」「うん,暑くて汗をかいちゃった」「着替えなくちゃ」「着替えた服はどうするの?」「洗濯機に入れておいて」。対話は2人で物語を紡ぎ出すように言葉が絡まっていくことです。聞く姿勢が対話のポイントです。



 スーパーなどに買い物に行ったとき,父親は目指す買い物に一直線ですが,母親は途中の道筋で見るだけという買い物擬きをします。これは男と女の脳の構造の違いによる特性だそうです。子どもはこの男女の違いを父親と母親との姿から学び取らなければなりません。もし母親の姿しか知らないと,男の振るまいが理解できずに,付き合いができなくなります。男女差別という次元ではなく,現実の性差を正しく認識することが男女睦まじく生きていく上で大事なことです。男の姿を見せるのがお父さんの役割なのですが?

★落書き★

 男性の中に女性が一人混ざっていることを「紅一点」といいます。でも,元々は女性をさす言葉ではありません。中国の詩人王安石が作った詩に出てくる言葉で「万緑叢中紅一点」が由来であり,「一面の緑の草原の中に一つだけ赤い石榴(ざくろ)が咲いている」ことを表す言葉です。草原の中でポツンと咲く赤いザクロの美しさを詠っている詩ですが,現在ではこの意味が転じて,ひときわ目立つ存在の女性を指すようになったのです。

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