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「第 96-08 章」 |
『子育ちは 人それぞれと 分かり合い』
■子育ち12視標■
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『子育ち第8視標』
【寛容あり】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第96版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,見えて感じることができる視標という面から育ちを考えていきます。それぞれの完成度に違いがあってもそれは個性になり,一応の評価ができるようなら,幸せに育っているということができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたらと思っています。
《何が育つのか(私たちの育ち)?》
子どもたちの関係はとても脆く頼りないもののようです。いつも一緒にいた友だちが,ある日突然に自分以外の友達と仲良くし始めて,信じられなくなり,不安な気持ちに落ち込んでいきます。どうすればいいのかという,子どもたちからの相談を受けることが多くなっています。子どもの関心は移ろいやすく,それに付随して友達関係も変化をしていきます。置き去りにされた方の子どもは,自分が嫌われていると思い込まされ,そのわけが見つからずに悩むことになります。
人の関係には濃淡があるものです。クラスのように多人数の中では,組合せの多様さが可能なので,付き合い関係は容易に変動するはずです。その変動を受け入れる余裕を持つようにしなければ,人への信頼を保つことが難しくなります。関係を切られたと極端に受け止めてしまうと,友達を信じられなくなります。くっついたり離れたりする関係というものもあります。家族の濃くて切れない関係,いつも一緒にいるような関係,ときどき一緒にいる関係,なんとなくの関係,それぞれの濃淡を弁える寛容さが求められます。
例えば,好きか嫌いかという判定では窮屈になります。好きでもないが嫌いでもないという関係が普通です。同じように,全面的な信頼から,半分の信頼,最低限の信頼と,段階があります。子どもにとっては,仲良しという尺度が使われるでしょうが,誰とでもいつまでも仲良くすることは無理です。仲良くすることに拘ると,仲良しではないから嫌いという風に評価が極端に振れてしまいます。ときどき仲良くすればいいということも知るべきです。
勉強ということに対して,どうせ分からないからと逃げている子どもがいます。分かるように教えてくれないと訴える子どももいます。自分を変えようという発想を持っていません。自分を変えていく,それが成長ということです。できるところまでやってみようという意欲が,育ちを推進する力を引き出します。人はスイッチを入れたら上手く動き出す機械とは違います。鍛錬を積み重ねなければ完成しない精緻な構造物なのです。経験という糧を取り組んで育っていく,日々少しずつ進化していくのです。
★落書き★
11日は山の日でした。山に分け入るときは,どの道をきたかを確認しておかないと,帰り道が分からなくなります。そこで,昔の人は道すがら木の枝を折って,帰りの道しるべにしました。あるいは,枝に紙や草などを巻き付けて目印にしていました。木の枝を折ることを「枝折る」と書いて「しおる」といい,帰路の目印をしおりと呼ぶようになりました。やがて,ここまで辿り着いたという到達ポイントを意味する言葉になって,本を読んだ目印も枝折りと呼ぶようになりました。
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