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「第 98-06 章」 |
『子育ちは 言葉の報い 見極めて』

■子育ち12宝語■
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『子育ち第6宝語』
【報】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第98版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。今現在それぞれの育ちの度合いに違いがあってもそれは個性になり,達成度の評価ができるなら,幸せに育っていると考えることができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたら幸いであると思います。
《報とは?》
報とは,知らせであり,行為に応じて受けるむくいです。情報とは情に報いることであり,情けのある知らせであるはずです。日常的な会話というレベルでは,お互いの意思の疎通が目的であるはずの情報交換が,人を騙して金を巻き上げる道具に使われています。オレオレ詐欺と言われている情報犯罪が蔓延している現実は,情報を危険視する動機になっています。個人情報の保護も,情報の悪用を警戒しなければならない社会という背景があります。情報社会は危険なので用心しなければなりません。子どもたちが馴染んでいるネットも,要注意という声が聞かれます。情報が情けないものに変わり果てることもあるのです。
情報に対する責任を考えることが必要です。情報を悪用できる条件は,匿名性です。電話であれネットであれ,情報それ自体は匿名です。「金よこせ」という情報からは,誰が言ったかということは不明です。情報だけが行き交う現在の社会は,匿名社会なのです。子どもたちがいじめに使うネット,匿名という自らを消去した発言,責任を逃れた情報を生み出す卑怯さを恥じないことは,やがて自尊心をじわじわと蝕んでいきます。個人が責任を持つ情報,対面情報が本当の情報であると教えておきましょう。
学生が論文を書くとき,ネット検索をして他人の著作から部分を切り取って,自分の論文として張り付けることがかなり蔓延しています。もちろん大切な部分を参考にすることはあり得ることですから,引用をきちんとすればいいのです。この部分は自分の発言であるという責任を明らかにしようとすれば,必然的に引用を明瞭にしなければなりません。著作権という責任のある情報を確保するルールは,自分を大切にすることにつながります。受け売りだけの情報は,自分を育てることに無益です。言葉の使い道によって,その報いは正邪に逆転してしまう覚悟が求められます。
子どもたちならず若者たちを見ていて感じることは,自分は自分という覚悟がなさ過ぎということです。自分が周りからどう見られるか,どう思われるかということを気にしすぎです。もちろんどう思われても構わないという勝手気ままも困ります。いずれにしても,極端は生き辛くなります。個性を大切にと言いながら,個性を消そうとしているようです。個の独立,それが育ちであることを見落としてはなりません。人の思惑に左右されて育つというのは,もう一人の自分の消滅を意味します。
★落書き★
カレイやヒラメなどの白身魚は改訂を住処にしています。赤身魚の筋肉には多くの血管が走っているため,酸素をたっぷり補給できて動く元気があります。一方,白身魚の筋肉は血管の本数が少ないために,身が白っぽくなり,酸素の補給が効かないので,ちょっと筋肉を動かすと酸素切れで疲れてしまいます。そこで,ここぞというときにしか筋肉を使わないという生き方を選び,普段は海底の砂に隠れ,餌をつかまえるときだけ瞬発的に動くようにしているのです。
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