*** 子育ち12章 ***
 

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「第 98-08 章」


『子育ちは 違いと同じ それぞれに』


■子育ち12宝語■

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『子育ち第8宝語』

【和】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第98版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。今現在それぞれの育ちの度合いに違いがあってもそれは個性になり,達成度の評価ができるなら,幸せに育っていると考えることができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたら幸いであると思います。

《和とは?》
 和とは,それぞれお互い様であることです。まず,和が求められる訳を明らかにしておきます。聖徳太子による17条憲法に,「和を以て貴しとなす」とあることが有名です。仲良くすることがいいということで,子どもにも分かることと思われているようですが,実際にはもっと厳しいものです。人は違っています。特に聖徳太子の時代には,いわゆるインテリ層は外国からの帰化人でした。そのような違った人と和を結ぶことは喫緊の大事であったのです。同じ人の和ではなく,違った人の和,それが貴い和なのです。

 人は自分らしさという個性を大事にしようとします。それは時にはわがままにもなります。一人で生きているのならそれも構いませんが,社会生活をするのであれば,無制限の個性化はあり得ません。それぞれ違っている人が多少の譲り合いを覚悟し,お互いの個性化を目指すという納得が成り立つようにすべきです。それがお互い様という和になります。違いは違いとして認めながらも,お互いに共有できる社会を作っていく,それが社会の進化です。

 お互いの違いを言い立てたり,拒否するところで止まれば,それはハラスメント,いじめになります。最近はセクハラ,モラハラなどハラスメントの広がりがありますが,子どもたちのいじめはクラスハラスメントと言ってもいいでしょう(スクールハラスメントは別の意味で使用済みのようです)。違いはそれぞれの個性と認め,その上で同じであるところを意識化して和と認識する能力,それが安心な社会を自ら創り出す方策です。同級生の間での差違は,年長の者からは些細なものに見做される,そういう大きな社会を子どもに与えてやりましょう。



 講義をしているとき,きちんと目を向けてくる学生と,眠って聞くことを拒んでいるような学生に出会っていました。いわゆるやる気があるかないかという態度によって,すべての育ちの程度に差が出てきます。やる気の素は何でしょう。例えば,学習に関しては,分かる喜びを知っているかどうか,それがやる気の有無になります。生きる歓びといわれます。それを子どもに持たせることが大切ですが,どうすればいいのでしょう。思い通りにさせておくことでしょうか?

★落書き★

 冬を越すために渡り鳥が訪れてきます。遠路はるばるナビもないのに,よくも間違えないで再来します。ただ大移動をして時差ぼけをしないのか心配ですが,大丈夫のようです。渡り鳥は北から南,南から北へ移動して,東西に長距離を飛ぶことはありません。したがって,昼夜逆転というひどい時差ぼけに出会うことはないのです。さらに数時間くらいの時差では全く問題になりません。鳥は休み休み時間をかけて移動しているので,身体が変化になじんでいます。


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