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「第 98-09 章」 |
『子育ちは 心地の良さに 導かれ』

■子育ち12宝語■
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『子育ち第9宝語』
【快】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第98版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。今現在それぞれの育ちの度合いに違いがあってもそれは個性になり,達成度の評価ができるなら,幸せに育っていると考えることができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたら幸いであると思います。
《快とは?》
食べたいと思っていたものを食べたら心地よい満足感があります。したいことを実際にすることができたらやったという達成感があります。そういう感じとは違う大切なものがあります。機能快と呼ばれるものです。幼児が意味もなく走り回ります。走るという機能を使うことに快感があるからです。声を出す機能を使うと心地よいので,歌います。手を使って字を書くことができる,それが快感になります。五感を使い五体を使うことが快感であるから,子どもは育ち,人は生きているのです。
じっとしてぼんやりしていると,何かしたくなります。機能を発揮したいのです。じっとしていられない,動いているから動物であり,人も動物なのです。何故人は山に登るか?という問に,そこに山が在るからと答えられます。本当は,人は登るという行為を通じて自分の持っている機能を発揮する快感を味わいたいのです。外で体をいっぱいに使って遊んでいた昔の子どもは,あらゆる種類の機能快を味わっていました。それに引き替え,今時の子は指先と目だけを使う片寄った機能快に耽溺しているようです。
勉強しなければいけないからしているのではなく,理解する機能を使えて心地よいから勉強するのです。ところで,そこにちょっとした時間差があります。はじめからいきなり勉強が心地よくはなりません。しばらくはなんともないか苦痛を感じるはずです。その不快さを我慢することによって,理解する快感が目を覚ますことができます。冬の寒さがあるから春に花が咲くのと同じです。しばらくの辛抱ができなければ機能快に目覚めることはできません。育ちは眠っている機能を解放させる根気によって進んでいきます。
母は強しといわれてきました。女ではなく母であるところに意味があります。母とは子どものいる女です。保護者である母は,子どもを守るという機能快を発揮するから,強く生きることができるのです。守る人がいると,人は強くなります。独身者より家族持ちの方が強く生きようとしていました。虐待やストーカーやオレオレ詐欺などの事件を聞いていると,そうではない,機能快に目覚めることができなかった人もいるようです。人を愛する,そういう社会的な機能快の極致を人は目覚めさせることができるのです。
★落書き★
食卓にはいろんなお肉が上がってきて,おいしい食事が楽しみですね。ところで,1キログラムの肉を作るために,家畜に食べさせる飼料の量はどれほどでしょう? 飼育技術によって違いはありますが,ニワトリ1キロの肉を得るためには飼料は2〜3キロ,豚では4〜5キロ,牛では7〜8キロの飼料が必要になります。牛肉の価格がニワトリや豚に比べて高いのは,飼料コストが掛かっているからです。肉食は膨大な穀物消費の上で成り立っています。いただきますという言葉を忘れないようにしたいですね。
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