3月1日 壬戌 晴 [玉葉]
関東より先日の返札を送る。座主辞退、専ら然るべからずの由なり。
3月3日 甲子
鶴岡の法会恒の如し。将軍家御出で。
[玉葉]
宗頼朝臣を以て座主の辞書を返し遣わす。密々に頼朝卿の書状を見遣わす。その上條
々子細を仰せ遣わす。夜に入り宗頼来たって云く、総て辞書を留められをはんぬと。
尤も神妙なり。衆徒重ねて申状同じく遣わす所なり。
3月5日 丙寅
三嶋社千度詣での為に、女房上野の局を差し進せらる。殊なる御願なりと。
3月9日 庚午
掃部の允藤原の行光、政所寄人に加うと。
3月13日 甲戌
甲斐の国武河御牧の駒八疋参着す。御覧を経られ、京都に進せらるべしと。
3月15日 丙子
将軍家若宮の別当坊に渡御す。これ別当法眼京都より垂髪を招き下す。尤も郢律の舞
曲に堪えたり。その芸を覧玉うべきの由申請せらるるが故なり。勧盃等有り。兒童芸
を施す。僧徒延年に及ぶ。御共の壮士等、仰せに依ってこれに相交わる。自然の壮観
なり。この間故祐経今に存命せしめば、定めて興に入らんかの由仰せ出だされ、頗る
御落涙の気有りと。
[新相模国風土記稿津久井縣石楯尾神社縁起]
建久五甲寅年三月十五日、鎌倉将軍源頼朝公当御山御信仰に付、武運長久の為め、御
山本宮前社とも御造営あり。三浦津久井二郎高行これを勤む。また同国東長竹に於て、
御旅所地百町余御寄進これ有り。
3月16日 丁丑
巳の刻に若宮より還らしめ給う。而るに朝日光無く、偏に蝕の如し。これ敢えて煙霧
の掩映に非ず。また春天の景色と称し難し。人々奇異の思いを成す。
3月17日 戊寅
諸国の守護人国領を煩わすの由聞こし食すに依って、宜しく停止せしむべきの旨仰
せ下さると。
3月22日 癸未
砂金を京都に奉らる。これ東大寺大佛の御光料なり。佛師院尊の支度に下さる。二百
両を進せらるべき旨御教書有りと。
3月25日 丙戌
伊豆の国願成就院に於いて如法経十種供養を修せらる。これ祐親法師・景親以下の没
後を訪われんが為なり。