1195年 (建久6年 乙卯)
 
 

6月3日 丙辰
  将軍家若公(万寿公、歳十四、布衣)御参内。網代車に駕し給う。左馬の頭隆保朝臣
  相具す。扶持を加えんが為なり。
  供奉人
    相模の守惟義   伊豆の守義範   左近将監能直    左衛門の尉義盛
    [榛谷]重朝   [梶原]景季   左兵衛の尉清重   [千葉]常秀
    [梶原]景茂   右京の進秀時(各々布衣、騎馬)
    小山の五郎宗政  佐々木中務の丞経高(各々直垂、御車の左右に候ず)
  弓場殿に於いて御劔を賜らる。宰相中将忠経これを伝うと。
 

6月8日 辛酉
  将軍家六條殿に御参りと。
 

6月13日 丙寅
  故院の法華堂に御参りと。
 

6月14日 丁卯
  下河邊の庄司行平、平氏家人桂兵衛の尉貞兼を召し進す。日者西郡辺に半面すと。凡
  そ彼の與党等捜し求めらるる所なり。
 

6月18日 辛未
  御台所・姫君等、密々清水寺以下の霊地を巡礼せしめ給うと。
 

6月21日 甲戌
  祭主神祇大副能隆朝臣六波羅に参る。将軍家御対面有り。御談話に及ぶ。これ去る文
  治元年十一月祭主に補されて以来、御祈祷の事等殊に仰せ付けらるるの間、頗る快然
  と。自ずから劔を取りこれを授け給うと。
 

6月23日 丙子
  御使いを方々に廻さる。明後日関東に赴かしめ給うべき由仰せらるるに依ってなり。
 

6月24日 丁丑
  将軍家御参内。若公(織物狩衣)同じく参り給う。関東御下向の暇を申せしめ給うに
  依ってなり。
 

6月25日 戊寅 時々雨降る
  将軍家関東御下向なり。供奉人御入洛の時に同じ。但し畿内・西海の間宗たるの輩多
  く以て扈従すと。また中納言律師忠快(門脇中納言教盛卿の子)・中納言禅師増盛(新
  中納言知盛卿の息)等並びに前の美濃の守則清が子息これを相伴わしめ給うと。これ
  皆平氏の縁坐なり。

[愚管抄]
  ほどなく下りにけり。
 

6月28日 辛巳
  美濃の国青波賀の駅に着御せしむ。相模の守惟義駄餉を献ず。相州は美濃の国の守護
  なり。爰に稲毛の三郎重成が妻(北條殿息女)、武蔵の国に於いて病脳太だ危急の由、
  飛脚到来す。仍って馳せ下らんと欲す。将軍駿馬一疋(黒)を賜り、重成則ちこれに
  駕し鞭を揚ぐと。
 

6月29日 壬午
  尾張の国萱津の宿に着き給う。当国守護人野三刑部の丞成綱雑事を進すと。