1208年 (承元二年 戊辰)
 
 

4月2日 辛丑
  恩沢の事その沙汰有り。人々多く以てその恩に浴すと。
 

4月13日 天陰、微雨時に灑ぐ。夜に入り甚雨 [明月記]
  青侍等見物の者云く、日来風聞する院の御鞠の負勝の事、今日大炊御門(大相国の亭)
  に於いて行わる。南庭に新屋を造り御所と為す。その東に公卿の屋・殿上人の屋・北
  面西面に至るまで各々その屋有り。風流の過差口に宣ぶる所に非ず。皆金銀錦繍に非
  ずということ莫し。鞠足の輩の給物皆これ金銀なり。按察召しに依って参入す(成通
  卿の子息の古老に依ってその座に接なる)。言語の及ぶ所に非ず。入興の輩定めて委
  しく注さんか。また尋ね問うべし。午の始めに御幸と。
 

4月23日 癸亥
  小野大夫判官義成京都に於いて時行を煩い、獲鱗するの由風聞するの間、親昵等鞭を
  揚ぐと。
 

4月25日 乙丑 晴
  鶴岡宮の傍らに、始めて神宮寺を建てらるべきの由その沙汰有り。今日その地を曳か
  る。大夫屬入道善信惣奉行たり。盛時・仲業等相副えらるる所なり。
 

4月27日 丁卯 晴
  坊門前の亜相の使者参着す。来五月の南山御幸に供奉せしむべし。龍蹄を賜るべきの
  由これを申さる。また去る十三日、日来風聞する仙洞の御鞠これを遂げらる。大炊御
  門(太相国の御亭)に於いてその儀有り。南庭に新造の屋を構え御所と為す。その東
  に公卿・殿上人の屋有り。按察卿(按察は成通卿の子息の古老たり)召しに依って参
  上す。凡そ北面・西面の輩に至るまで、鞠足等の給物皆金銀なり。