1217年 (建保5年 丁丑)
 
 

8月15日 庚申 霽
  鶴岡の放生会、将軍家御出例の如し。還御の後、明月を望み庚申を守り、当座の和歌
  御会有り。
 

8月16日 辛酉 晴
  御出昨日に同じ。尼御台所並びに御台所、御見物の為馬場の桟敷に出でしめ給う。
 

8月25日 庚午 雨降る
  山城廷尉京都より帰参す。院御悩の事、七月十日より連日御瘧病なり。有智の高僧面
  々修験を励ますと雖も、御減の儀無し。而るに同二十五日前の陰陽博士道昌、赤山に
  於いて泰山府君祭を修す。翌日御平癒。仍って道昌勅勘を聴さると。これ去る二月廣
  瀬殿に於いて、白虹出見するの由、道昌奏聞するの処、傍輩等これに同ぜざるに依っ
  てか。白虹に非ざるの旨言上せしむに依って、所職を止めらると。