3月9日 己亥
酉の刻、窟堂の辺の民居数十宇災す。
3月22日 天晴 [玉蘂]
今日内裡木造始めをはんぬ。その儀先ず仮屋に於いて勧盃有り。一献は右中弁成長、
次いで居粉熟(史これを居ゆ)、次いで二献(右中弁頼資)、次いで居汁、次いで三
献(これを略さる)。上卿は源大納言宰相経通卿と。その後大工等殿舎に向かい木造
り始めの事有り。この外別儀無しと。
[皇帝紀抄]
造内裏木作り始めなり。
3月26日 丙辰 [百錬抄]
亥の刻、清水寺本堂並びに塔・釈迦堂等焼亡す。放火と。観音堂余焔を免がる。霊□
他に異なるの至りなり。