1229年 (安貞3年、3月5日 改元 寛喜元年 己丑)
 
 

8月4日 己亥 晴
  大慈寺に於いて、武州御願の如法経・十種供養の儀有り。
 

8月8日 癸卯 旱天、夜露無し [明月記]
  或る山僧書状に云く、西塔の三村庄の事、関東申すに依って栗本郡(十九郷)は寄せ
  替えらるの処、衆徒猶騒動す。離山を企つべきの由申すの間、貫首房領平方庄(彼の
  御房領の中宗たる所なり。江州)は寄せ替えらるべきの由その聞こえ有り。西塔一院
  に於いては落居するかの由と。また栗本十九郷の地頭分、三塔の惣領に寄せらるべき
  の由沙汰せらると。これ将軍家御祈供料に擬せらるるか。件の郡は新地頭を補せらる。
  山門の訴えに依って皆以て止めらる。而るにまた件の地頭分、山門に付けらるるの間、
  一郡の百姓殊に以て愁歎す。件の郡の中、また私領相伝の衆徒多しの間、この事を受
  けず。連日大衆発せんと欲す。彼の門徒これを妨ぐと雖も、他門徒等の私領相伝者並
  びに百姓数百人登山し、合力訴訟す。更に落居し難し。
 

8月15日 庚戌 晴
  鶴岡放生会。将軍家御出で。相州・武州参り給う。助教・駿河の前司・出羽の前司・
  伊東判官祐時(布衣・冠)・後藤判官基綱(布袴)等供奉す。竹の御所・武州の室参
  り給うと。
 

8月16日 辛亥 雨降る。終日休止せず。夜半以後大風
  今日また将軍家御参宮。馬場の流鏑馬以下の儀例の如し。御不例余気有りと雖も、抑
  も以て両日御出で。これ厳重の神事たるに依って、武州申し行わるが故なり。
 

8月17日 壬子 暴風甚雨、巳の刻休止す。
  稲の花悉く枯れると。
 

8月20日 乙卯 朝天晴 [明月記]
  西塔猶静まらず。本三村庄の事と。義村数多の勢を卒い入洛すと。これ何料か。得心
  せず。出行の間、八條三位長清門前に来たり、この由を示し帰ると。