1232年 (寛喜4年、4月2日 改元 貞永元年 壬辰)
 
 

9月1日 戊寅
  畿内近国並びに西国の境相論の事、共に以て公領たらば、尤も国司の成敗たるべし。
  庄園に於いては領家の沙汰と為す。奏聞を経て聖断有るべきの由定めらる。且つはこ
  の趣を以て六波羅に仰せらると。
 

9月3日 [百錬抄]
  中宮皇女を誕す。
 

9月11日 戊子 晴
  武州五十箇條の式條以て、和字の御書を相副え、六波羅に送り遣わさる。駿河原左衛
  門の尉御使たり。
 

9月13日 庚寅 雨降る
  去る三日午の刻中宮御平産。皇女の由、大相国より将軍家に申さると。
 

9月18日 乙未
  未の刻地震。
 

9月28日 乙巳
  御台所御方違えの後幕府に入御す。相州・武州参らる。故に盃酒・椀飯等を献らしめ
  給うと。