1236年 (嘉禎2年 丙申)
 
 

9月1日 乙卯 天晴
  子の刻螢惑星輿鬼星を犯す。
 

9月3日 丁巳
  去る承久三年合戦の間、本領を給うべしと称し、勲功の賞に漏れるの輩の事、愁い申
  すに就いてその沙汰有り。但し当時然るべきの地無し。追って御計有るべきの由申さ
  ると。
 

9月5日 己未
  今日、近江入道虚仮評定衆を辞し、俄に以て上洛す。これ潛かに遁世の企て有りと。
 

9月7日 辛酉
  戌の刻月建星を犯す(相去ること一尺の所)。
 

9月8日 壬戌
  螢惑鬼積尸星を入犯す。
 

9月9日 癸亥
  京都の使者参着す。これ去年七月二十三日日吉の神輿下洛の時、防ぎ留め奉らんと欲
  するの武士右衛門の尉遠政、並びに喧嘩の本人近江次郎左衛門の尉高信等の事、宣下
  の上、関東の御計として、山門の欝陶を慰めんが為、流罪に処せられをはんぬ。山徒
  の張本に至りては、またその身を召し出し後昆を誡めらるべきの旨奏聞せらるるの間、
  七社の神輿造替の後、その張本を召さるるの処、去る月八日新造神輿を中堂に振り上
  げ奉り訴え申すに依って、同二十八日勅免の綸旨を下さるるの由これを告げ申さると。
 

9月10日 甲子
  遠江の守朝時朝臣評定衆に加うの後初めて出仕す。この事庶幾せざるの由、内々難渋
  すと。
 

9月13日 丁卯
  天変の御祈りとして七壇の北斗護摩を修せらる。弁僧正・功徳院僧正・鳥羽法印以下
  これを奉仕す。大膳権大夫奉行たりと。
 

9月28日 壬申
  亥の刻風雨甚だし。西南方雷電。