1246年 (寛元4年 丙午)
 
 

6月1日 戊子 天晴
  今日入道修理の亮従五位下平朝臣時幸卒す。

[葉黄記]
  去る月二十二日以後、関東頗る物騒の事等有りと。今日披露す。
 

6月6日 癸巳
  深更に及び、駿河四郎式部大夫家村潛かに諏方兵衛入道蓮佛の許に入来す。相談の事
  有り。蓮佛即ち左親衛の聴に達す。家村を座に置きながら、蓮佛御所に参入すること
  両三度に及ぶ。御問答の事有るか。暁更家村退出すと。

[葉黄記]
  今日関東の飛脚到来す。入道将軍の御所警固の後、近習者定員召し籠めらる。越後の
  守光時出家し、伊豆の国に配す。その舎弟修理の亮(時幸)自害す。また秀胤本国に
  追い遣わす。その外降を請うの輩、或いは召し籠めると。これ等時頼の沙汰か。衆口
  嗷々、天下紛々。
 

6月7日 甲午
  前の佐渡の守基綱・前の太宰の少貳為佐・上総権の介秀胤・前の加賀の守康持等、事
  有り評定衆を除かる。康持は問注所執事を止めらると。
 

6月8日 乙未 [百錬抄]
  関東騒動の事風聞す。明日飛脚参洛す。入道将軍叛逆を発さるる間の事なり。
 

6月10日 丁酉
  左親衛の御亭に於いてまた深秘の沙汰有り。亭主・右馬権の頭・陸奥掃部の助・秋田
  城の介等寄り合う。今度は若狭の前司を加えらる。内々御隔心無きの上、意見を仰せ
  らるべきが故なり。この外諏訪入道・尾籐太平三郎左衛門の尉参候す。

[葉黄記]
  世間物騒、衆口日を追って嗷々す。今朝東山殿の御所の辺怖畏有るの由その説有り。
  仍って尋ね申すの処、別事無し。皆以て天狗の所為か。
 

6月13日 庚子
  入道越後の守光時(法名蓮智)配流。伊豆の国に赴く。越後の国務以下所帯の職これ
  を収公す。また上総権の介秀胤上総の国に追い下さる。相度る事有るの由露顕せしむ
  に依ってなり。
 

6月15日 壬寅 晴 [葉黄記]
  東山殿に参る。重時の使い泰盛、昨日関東より上洛す。入道将軍来月十一日上洛有る
  べしと。人以て是非に迷う。衆口いよいよ嗷々す。但し頗る落居の躰なり。
 

6月20日 丁未
  鶴岡臨時祭なり。但し将軍家御参宮の儀無し。また奉幣の御使を立てられず。宮寺一
  向沙汰す。
 

6月27日 甲寅
  入道大納言家入道越後の守時盛の佐介の第に渡御す。これ御上洛有るべき御門出の儀
  なり。近習の輩多く以て供奉すと。御上洛の間、駅家の御雑事等下知を加えらると。