5 花下の戦い(美しや)

 月に村雲・花に嵐、それは浮世の習いなれども、是は復情けなや、心合いたる勇婦と勇
士が互に招き招かれんと末を約する折柄に不意に起りし此合戦、荒次郎義意は気支わし気
に宝蔵山を打眺め「アイヤ小桜殿、某は御身親子に野心も無し、父を諫めて此島に来りし
程なれば、何とて御身を討取り候わん、一刻も早く向いの岸に御渡りあって種久殿と一手
になり給え、斯く敵味方と分るヽ上は、御身親子を救わんこと力に及ばざれども、御身が
此島の密事を漏し給わぬ誓いに対し、某一条の道を教え申さん、アレ御覧ぜよ、宝蔵山の
麓より東に当って一筋の路あり、彼の路を一里東に赴けば毘沙門堂の浜にて候、浜より舟
に召されなば追手の風に金沢まで唯一日の舟路ならん、構えて討死し給うな」と漏す言葉
は勇婦の為なり、小桜姫打悦び「忝なし荒次郎殿、此御情けは何時の世に酬い申さん、さ
らば御身も御機嫌好く」と例の大薙刀を小脇に掻い込み、荒次郎に別れて一散に山の麓へ
馳せ降れば、下には姫を待てる小舟あり、小桜姫其舟に打乗って、やがて向いの岸に渡れ
ば、宝蔵山は今戦いの央と見えて、矢叫びの音・鬨の声天地も崩るヽ計なり、されども味
方は数十人に過ぎず、敵は目に余る大勢なれば、父種久は八方より囲まれて何処へ遁れん
様も無し、小桜姫此有様を眺めて憤然と怒りを発し、敵が勢の後ろより例の大薙刀を以て
縦横無尽に薙ぎ立てければ、道寸の勢は大に驚き、扨こそ名代の小桜姫なり、近寄って二
つ無き命失うなと道を開いて左右へパッと逃げ散れば、小桜姫は韋駄天の如く桜の御所に
馳せ着いて「父上御心を安め給え、尉が島より小桜が戻りて候」と大音に呼わったり、父
種久は力を得「オー小桜か、遅かりし、三浦道寸入道が卑怯にも我が油断を見澄し、不意
に起って此合戦、味方は続く勢も無し、桜の御所を枕として此処に討死致さん、汝は一旦
此を遁れて、我が無念を晴して呉れ」と流石我子の不愍さに姫をば遁れしめんとす、小桜
姫は頭を振り「イヤ父上、軽々しく討死し給うべからず、此囲を破って麓に降らば国へ帰
るべき路の候、いで妾が先陣仕らん」と血に染みたる大薙刀を真甲に振り翳し、群がる敵
を前後左右に斬伏せ薙ぎ伏せ、やがて一条の血路を開いて麓の方へ降らんとしければ、三
浦道寸味方を励まし「ヤレ種久を遁すな、小桜を討取れ」と大音に下知すれども、最前の
手並に怖れて誰あって道を遮らんと云うもの無し、道寸口惜しがり「今此敵を撃たん者は
荒次郎の外にあるべからず、義意は如何致せし、尉が島に参って呼び来れ」と、従者一人
を走らせけるが、此時三浦勢の中より黒皮縅の大鎧を着したる武者一人、大身の鑓をリュ
ウリュウと打振りて、小桜姫の前に立塞がり「最前よりの御働き人々の目を驚かし候、斯
く申す某は三浦道寸が身内に於て、鑓の九郎と異名取りし津久井九郎義高なり、物の数に
は足らねどもイデ御相手仕らん」と小桜目掛けて突掛け来れば、相手は撰ばぬ小桜姫、大
薙刀を取直し微塵になれと撃下す、此方も聞ゆる剛の者、鑓の秘術を顕わして千変万化に
戦えば、鑓の穂先と薙刀の刃より火花の飛び散って四辺目ばゆき計なり、上には咲ける山
桜、闘いの烈しさに風も無けれど花散りて、小桜姫が黒髪にパラパラパッと落ちかヽる、
世に美しき姫君が大薙刀を打振りて桜の下に戦う有様、敵も味方も其姿に身惚れけん、茫
然として酔えるが如し、此時津久井九郎は如何なしけん、鑓を中程より斬り折られたれば、
走り寄ってムンズと組む、小桜姫打笑い、小手を伸して綿噛掴み、左の手に高く差上げて
敵勢の真中へ鞠の如くに投げ出せば、九郎義高眼口より血を吐いてこそ失せにける、力と
頼みし九郎さえ此の如くなりければ、三浦勢は最早誰向わんと云うもの無く、姫が薙刀の
光を見ると其侭四方へ逃げ散りければ、小桜姫と種久は茂れる森を潜り抜け、路を索めて
漸くに毘沙門堂の浜まで落ち延びたり、然るに浜には舟一艘も無し、後よりは三浦勢尚懲
りずまに追い来たる、