24 五段備(四段まで)

 去る程に三浦勢三千余騎、青野が原に押出して遙に向うを眺むれば、勝誇りたる楽岩寺
勢一千余人砂烟を立てヽ進み来る、道寸此体を見て味方を顧み「敵は小勢なりと雖も、今
長柄城を攻落して勇気日頃に十倍せり、此敵を防がんには我兵を五段に分けて堅固の備を
立つべし」と、戦馴れたる老武者なれば、忽ち五段の備えを造りける、第一陣の大将は菊
名左衛門重氏、第二陣は一色十郎兼忠、第三陣は大森越前守、第四陣は佐保田河内守、第
五陣の本陣には道寸と荒次郎精兵を左右に従えて厳重に控えたり、斯る処に楽岩寺種久は
小桜姫を先陣として此所まで押し来りけるが、小桜姫敵陣の様子を打眺め、優しくも五段
の備を立てたり、今生の思い出に畢生の勇を振って此五段備を打破り呉れんと、手勢三百
騎を真丸に纏め、自ら陣頭に馬を乗出して、三浦勢が先陣菊名左衛門重氏が備に攻め掛る、
小桜姫が其日の扮装には、新に造りし緋縅の大鎧に烏帽子形の兜を戴き、父より譲られし
黄金造の太刀を佩き、早風と名づけたる太く逞しき馬に跨り、目方十三貫目ある白柄の大
薙刀を水車の如くに振廻して、当るを幸い薙ぎ立つれば、小桜姫一人の勇気に辟易して、
菊名左衛門の備は崩れ立ちたり、左衛門重氏口惜しき事に思い、崩るヽ味方を励まし、自
ら槍を捻って小桜姫に立向う、姫は今日を最後の合戦なれば、死奮の勇気当り難く、左衛
門重氏槍を引いて逃げ出す、斯くて先陣破れたれば、小桜姫直に第二陣の一色十郎が備に
攻めかヽる、一色十郎兼忠此を破られては恥辱なりと味方を励まし戦いけるが、小桜姫面
倒と思いけん、疾風の如く馳せ来って兼忠が真甲を大薙刀にて打ちければ、兼忠血を吐い
て失せにけり、大将を討たれて此陣も支え得ず、右往左往に散乱し、第三陣の大森越前守
が備に崩れかヽれば、物馴れたる越前守、崩るヽ味方に備を乱されまじと兵を横に繰出し、
横際より小桜姫が兵に攻め掛る、小桜姫ニッコと笑い、討死を覚悟の合戦故、敵の多きを
厭わばこそと続く味方を励まして、真一文字に越前守の備に突き入ったり、此時越前守が
陣中より長井弾正正国と名乗り、大鉞を振上げて、喚き叫んで小桜姫に撃ってかヽる、姫
は薙刀取直し、冥途の供せよと斬り結びしが、二三十合打合える所に弾正正国胴腹薙刀に
懸けられ、二つに成って馬より落つ、越前守が陣中に須軽谷八郎と強弓の名人ありしが、
小桜姫の勇気、打物業にて叶うまじと五人張の剛弓に十五束の矢を番え、覘い定めて兵と
射る、小桜姫弦音に左知ったりと身をかわし、飛び来る其矢を薙刀にて払い落し、矢庭に
駒を馳せ着けて、二の矢を番うる八郎が首を打落す、越前守が陣は勇士二人までも討たれ、
再び小桜姫に近寄らんと云うもの無く、道を開いて通しければ、姫はさながら人無き所を
行く如く、此陣を馳せ抜け勢いに乗って第四陣に攻めかヽる、四陣の大将左保田河内守は
三浦家の老臣にて武勇国中に隠れ無し、今此にて喰留めずんば敵は本陣に攻め入らんと、
備を厳重にして此を先途と防ぎけるが、楽岩寺勢は勝に乗って其勢い猛虎の如く、殊に大
将種久が後陣の兵を繰出し、小桜姫を討たすな、道寸の旗本を斬崩せと狂気の如く下知す
れば、先陣・後陣の一千余人死物狂いに戦いたり、小桜姫は更に疲れたる体も無く、血に
染みたる大薙刀を打振って真先に敵中に突入れば、流石の左保田河内守も遂に堪え兼て敗
走す、斯くて小桜姫は三浦勢が五段の備を四段まで討破り、尚も進んで道寸が本陣に攻め
掛れば、本陣より一手の勢を従え崩るヽ味方を救わんと、姫が前に馳せ出たるは三浦家随
一の勇将荒次郎義意なり、