26 御生害(留り給え)

 それ憤兵は必ず敗るヽとかや、楽岩寺種久勇なりと雖も、一時の怒りに無謀の軍を起し
て三浦領に攻め入りしかば、青野が原の一戦に打負けて金沢城へ引揚げしに、敵の追撃勢
い強く、既に城門より付入にせられんとなしたるを、武勇の忠臣十余人木戸際に敵を防ぎ
枕を並べて討死し、其隙に漸く門を閉じて内より堅く防ぎける、此時城門前まで駒を乗寄
せたる三浦道寸入道は、嫡男荒次郎義意を顧み、汝の勇力を以て此門を打破れと命ずるに、
義意心得たりと例の鉄棒を扉の間に挿し込み、怪力を以てエイヤと押けるに、扉は左右へ
開きたれば、三浦勢我も我もと門内に乗込んで縦横無尽に斬り廻る、城兵は今朝よりの戦
いに疲れし上、其勢も至て僅なれば防ぎ兼ねて本丸に退く、三浦勢勝に乗て本丸をも囲み、
日の暮れたるをも構わず無二無三に攻め立てければ、遂に本丸の城壁を打破り、八方より
城内に乱入したり、城兵は最早是迄と敵中に斬入って討死するもあり、或は刺違えて死す
るもあり、下総守種久は自ら燭を執て殿中に火を掛け、其燃え上るを見てニッコと笑い、
心静に自殺せんと広間の中央に席を設けて既に刀を我腹に突立てんとせし時、昨夜抱えし
石橋雷太郎友房火の中を潜り抜けて馳せ来り「我君暫く御生害を留り給え、斯くまで散々
に三浦勢に打破られ、我君は御無念と思し召し給わずや」と自ら無念の顔色を為せば、種
久両眼をクッと開張き「何とて無念に思わざらん、今死するとて我魂魄悪鬼となり三浦家
を滅ぼさいで置くべきか」と髪逆立て憤怒の形相、友房前に畏り「恐れながら我君此に御
生害し給わば、誰か跡に残りて君の御無念を晴し候べき、一時此を遁れて再び会稽の恥を
雪ぎ給え、頼朝公の石橋・漢の高祖の七十余度の敗北も、遂には天下を取られし例しあり、
怨敵を前に置いて御生害とは口惜しく候」と諫める如く励ます如し、種久此一言に心迷い
「汝の言葉も理なれど、我には外に強援無し、此を遁れて何処にか身を寄せん」、友房「某
案ずるに小田原の北条早雲は義に勇む大将と承る、某小田原には知辺あり、是より我君を
御案内申して好きなに早雲へ申入れん、兎に角今の間に御立退きあるが肝要にて候」と言
葉巧に申しければ、種久漸く刀を斂め「早雲は聞ゆる智将なれども、素他国より来りし浪
人なり、我は累代当城の主にてありながら、城を捨て国を捨てヽ浪人者の早雲に身を寄せ
んことは心外ながら」、友房「そこが所謂忍ぶと申す事、頼朝公は朽木へ隠れて梶原に助
けられ給いたり、三浦家に怨みを酬いんものは早雲の外にあるべからず、疾く某と共に御
立退きあるべし、闇きに紛れて搦手より落ち候わん」と遂に種久を勧め、猛火の中を抜け
出して金沢城を立退きける、三浦道寸は本丸に入て火の手を消さしめ、隅無く種久を求め
しめたれども、影も無ければ死骸も見えず、扨は種久夜に紛れて当城を落ち延びたるか、
今種久を取遁がしては虎を千里の野に放つ如し、未だ遠くは行まじ、荒次郎汝は搦手の道
を追馳けよ、我は大手の道を探さんと、再び兵を八方に分ちて種久の行方を索めける、種
久主従は辛くも敵の囲みを破り、小田原差して落ち行きけるが、後ろより松明を振照し一
手の軍勢追いかけ来るを、種久後ろを振返れば、追い来る敵の大将は三浦家の鬼神荒次郎
義意なり、