71 天神が原(睨み合い)

 花待てば雲も桜に紛うとかや、荒次郎義意が一図に待つは弟虎王丸の消息なり、初声太
郎の帰りしも其消息を伝うるかと庵室の門にて行重を迎え「汝が俄に帰りしは虎王丸の行
方知れたるか」と問うに、行重「イヤさにあらず、只今旅人の申して通りつる事を聞き候
に、岡崎城は北条早雲に攻落され、道寸公には三浦小壺の住吉城まで御引上げありしと承
る、住吉城は要害堅固の城ならず、彼の処に於て北条勢を防ぎ給わんこと覚束無し、此上
は本城新井に立籠り給うか、それとも秋谷大崩れの険阻を支えて有無の一戦を為し給うか、
何れにもせよ此度の合戦、早雲めに油断を見透かされ不意に領内へ攻込まれたれば、防御
の手当届かずして、道寸公には頗る御難儀の体と覚え候、我君が兼て御企てありし小田原
征伐、今こそ屈強の折柄にして、一つには御父道寸公を救い参らせ、二つには我君の武威
を関東に輝かさん、此儀を言上致さん為取って返して候」と孰れも変らぬ忠義の武士、菊
名左衛門を始め厚木・大森の両勇士も共に口を揃えて御出陣をと勧めける、荒次郎慨然と
して嘆息し「義理ある弟は行方を失い、本国の父君は敵に苦しめられ給う、孰れに背くも
我が罪なり、此上は弟の詮議を後になし、是より小田原を征伐して余所ながら父君を救い
奉らん、如何に面々、一の宮を守る大将は北条家の嫡男新九郎氏綱と承る、氏綱の武勇は
如何に」、大森蔵人頼親進み出で「さん候、氏綱は父早雲に劣らぬ智勇の大将、悔るべき
敵には候わず、さりながら我君の御武勇を以て攻め給わば、彼の城を落さんこと、よも一
時を過ごすまじと覚え候」、荒次郎頭を振り「イヤ左様に敵を軽んずれば不覚を取るべき
基なり、我が聞く処にても早雲が子息二人の内、氏綱は武略父に勝れ、氏時は暗愚の将と
承る、然るに此度早雲入道氏時を小田原の本城に置き、氏綱に一の宮を守らせしは一の宮
こそ大事の要害と覚えしならん、されば小田原を攻むるは易く、一の宮を攻むるは難し、
一の宮だに撃破らば小田原に攻め入るの道は開くるなり、我は今兵を尽して一の宮に攻め
掛らん、此城を攻め落さんこと唯面々の武勇に在り、必ず後れを取らるヽな」と味方の兵
を励ませば、勇兵すぐって三百余騎、何れも此君の馬前に功名手柄を現わさんと勇気日頃
に十倍して見えける、
 此時厚木大膳は予て用意せし鎧一領・馬一匹を薦めければ、荒次郎手早く取って物の具
取り着け、今迄の姿に引かえて世に勇ましき武者振の御大将、悠然として庵室を立出で給
えば、待ちに待ちたる三百余騎が歓び勇む其声は谷谺に響きて物凄じ、荒次郎兵を三手に
分け、厚木大膳家忠を先陣となし、大森蔵人頼親を二陣に備え、其身は菊名左衛門・初声
太郎の両人を左右に従え精兵百騎を引率し、隊伍整々として鳶尾山を降りける、折しも秋
の末なれば峰の紅葉は風に散り鎧の袖に落ちかヽる、行手は何処、一の宮、送る木枯し風
強く、三浦家の定紋打たる中黒の大旗翩翻として敵城に靡きかヽる有様は、如何なる堅固
も溜るべしとは見えざりけり、斯くて厚木を過ぎて天神が原に来かヽれば、北条勢凡そ八
百余騎一の宮の渡しを渡って川の此方に陣を取り、敵勢来れと待ちかけたり、此方は三浦
家の鬼神と呼ばれし荒次郎義意、彼方は北条家の嫡男新九郎氏綱、孰れも劣らぬ智勇の名
将、互に暫く睨み合いてぞ控えたり、