Child

「ねぇ、ディー、あれ、何だろう?」

 助手席のリョウの言葉に、そちらを見た。

 アパートの玄関から、子供がが1人、酒でも呑んでいるのかおぼつかない出てくるところだった。

「ガキ。だろ。」

 はっきり言って、今日のディーの機嫌はよろしくない。

『刑事は走ってこそ刑事なのだ!!』

 これが彼の持論であって、張り込みなんていうものは、つまらないものだ。

 しかも、隣りに座っている人物も、精神衛生上よろしくない。

 仕事中とは言え、人通りの少ない道の上、止まっている車(別名、動く密室)の中、しかも暗闇で、指一本すら

だしちゃいけないのだ。

 最初の頃はそれなりに、意気込んでやっていた。

 しかし、相手は中々外に出てこないし、人の出入りすら、殆どない。

 そろそろ、疲れてきた。

 これで、正常な思考回路を保てと言う方が無理ではないか。

 中々キス以上に進まない二人。

 そろそろ、あ〜んなコトや、こ〜なんコトをして、何が悪い。

 すまして助手席に座っている恋人を隙をついて、唇でも、奪ってやろうかと目論んでいた時、

リョウの方から話しかけてきた。

「誰も、そんなこと聞いてないよ。・・・・何も着ていないみたいだし・・・・それに、様子が変だ。」

 街頭の明りの範囲まで来ると、人影の身体はゆっくりと倒れた。

 2人は、急いで車を降りると、駆け寄った。

 その褐色の肌に、リョウの同居人であるビッキーの姿が重なる。

 年齢も、同じくらいだろう。

 そのビッキーは、友人たちとその恋人であるキャルの家に遊びにいっている。

 近寄って見ると、少年の身体は、街灯の明りだけでも分かるほどに傷つけられていた。

 両手手首に、ロープのようなもので縛られた痕。

 背中に幾筋もつけられた、切り傷。

 首には、しめられた痕。

 足の付け根から、ひざの辺りまで流れている黒い筋は・・・血・・・。

 そして、何よりも、焦点の合っていない、瞳。

「ちょっと、君、どうしたんだい?」

 抱き上げたリョウに抱きついて、がたがたと震え出す。

 青ざめた唇が、何かをいわんと動く。

「た・・たすけて・・・・。」

「何だと?」

 息をのみ、ディーとリョウは顔を見合す。

 二人の脳裏を横切ったのは、現在捜査中の少女の失踪事件だった。

 アンナ・ティン12歳。

 父親が中国人、母親はアメリカ人。

 アンナが、友人の家に泊まりに行くと家を出てからもう3ヶ月になる。

 だが、その友達は彼女とそんな約束をしたことがないという。

 捜査によると、時々彼女が小遣い欲しさに身を売っていたことも判明した。

 普通は、中々腰をあげようとしない警察も、最近少年少女の失踪事件が続くこともあって、この事件として

扱うことになったのだ。

 失踪した何人が、この周辺で見かけられたのが最後となっていた。

 犯人の見当はついていた。

 ジェイク・バーンズ、35歳。薬剤師。

 先ほど少年が出てきたマンションの住人である。

 理由は以下の二点のみ。

 バーンズは以前住んでいた、カリフォルニアで子供達をナイフ等で傷つけたり、性的いたずらをして幾度か

警察に厄介となっている。

 もう1点は、近所より、彼の部屋より異臭・・・腐臭がしているという苦情が届けられている。

 だが、きちんとして証拠もないので、参考人とすらすることができないのが実状だった。

 そのとき。

「あ、すみません。そのこ、僕の知り合いなんです。」

 まさに、そのバーンズがマンションから出てきた。

 慌てて出てきたのだろう。

 トランクス一枚に、サンダル姿だった。

 二人は、ポケットから警察手帳を出した。

「こういうものです。」

 一瞬、表情が硬化したのを見逃さない。

「さぁ、部屋に帰ろう。」

 優しい声を出しながらも、どこかぎこちない動作で、少年の腕を取る。

 あらかさまに、少年はおびえる。

 必死にリョウの足にしがみつこうとする。

「いや・・・ころされる・・・」

 無理やり立たせようとしたバーンズの腕を、ディーがとめる。

 その手を、ちらりと見て、小さく舌打ちをすると、二人に向かって、好青年風の笑顔を作る。

 トランクス一枚で、その笑顔は、どこか滑稽ですらある。

「あの、僕たちは・・その・・・同性愛者っていうやつなんですよ。ちょ〜っと、今回は激しすぎちゃったかな?」

 途端に、リョウが赤面する。

 現に彼は、一般常識では正常と言いがたい熱愛を、一身にうけている最中なのだ。

 隣りのディーはと言うと、平気な顔をしている。

 バーンズは、無理やり少年を立たせた。

「お騒がせして、すみませんでした。」

 あくまでも、好青年風の笑顔を張りつけている。

「ちょっと、すみません。」

 立ち去ろうとしたところを、ディーが呼びとめる。

「何か?」

「念の為、お部屋を拝見させていただけますか?」

 再び、バーンズの表情は硬化する。

「お手数はとりませんから。それとも・・・・」

 人の悪そうな笑みを浮かべて、のぞきこむ。

 目をそらそうとしたバーンズを、なおも覗きこむ。

「何か、ご都合の悪いことでも?」

「い・・・いいえ・・・・」

 もとの表情に戻り、視線を受け止める。

「いいえ、そんなことはありませんよ。どうぞ。ただし、散らかってますよ。人を迎えられる状態がどうか・・・」

 目配せして、リョウを先にいかせると、一応、署に連絡する。

 応援が行くまで待機していろという、部長の命令はもちろん無視して、バーンズの部屋まで向かった。

 バーンズの部屋からの異臭は、廊下まで臭ってくるほどだ。

 ハンカチで鼻と口をおおいながら、二人は入った。

 キッチンには、電子レンジと冷蔵庫と吊り棚。

 ダイニングには、テレビと大きなソファーがある。

 奥の引き戸があることから、もう1部屋あるようだ。

 「臭くてすみません。」

 少年にバスロープを着せると、二人用のソファーに腰掛ける。

 続いて、自分もおそろいのパスローブを身につけて、腰掛けた。

 脱ぎ散らかされたらしい少年の服には、無理やり脱がされた形跡はない。

 足元のロープには、茶色のしみが少しついていた。

 しかし、『そういうこと』が好きなカップル目だといわれれば、反論の仕様がない。

「冷蔵庫が壊れてるわ、排水溝が詰まるわで、困っているんですよ。」

 普通の人間であれば、だまされたかもしれない。

 たが二人はNY市警の警察官。

 確かに、ゴミが積み上げられたキッチンの排水溝は詰まっているようだ。

 緑色に変色した水が溜まっている。

 しかし、冷蔵庫が、1人暮し、少年と二人暮らしにしても、大きすぎる。

 子供であれば、人1人ぐらいは入れそうな冷蔵庫のコンセントは、きちんとプラグに入っており、静かな室内に

低く作動する音が響いている。

 水の腐った臭いと、生ゴミの異臭の中で、強烈な腐肉の臭い。

 ざっと見たところ、キッチンには腐肉の類はないようだ。

 どこから臭いがするか。

「気がすみましたか?」

 一瞬、バーンズの視線が、奥のドアの方に向けられた。

「ここか・・。」

「そ、そんなことは・・・」

 ディーの左手が右脇に差し入れられ、そこにあったものを取り出す。

 それと同時に、リョウがドアを開いた。

 どうやら、そこは寝室らしい。

 真中に、大きなベットがひとつあるのみで、他には家具らしきものは見あたらない。

 だが、そこにあった『もの』は・・・。

 薄明かりの中、ベットの上に少女が横たわっているのが見えた。

「君・・・」

 慌てて駆け寄ったリョウは、顔をしかめずにはいられなかった。

 彼女がすでに息をしていないことは、火を見るようも明らかだった。

 なぜなら、彼女の肌はすでに茶色に変色しており、周囲には無数の虫がたかっていた。

 開かれた、瞳であった場所は空洞になって、白いぷよぷよとした幼虫がうごめいている。

 大の字に寝ていることから、彼女がどんな『用途』に使われたかは想像に固くない。

 お尻のクッションの下に入れられたこと思えば、拳銃をこちらに向けていた。

 枕元には、二人が侵入しなければ、彼女の将来なったであろう未来が5つ。

 皮と肉を失った、白いそれらは、あやつり人形のように糸で天井からつるされている。

 薄明かりの中、少女の目の中と、それらは白く発光しているように見えた。

 壁にところせましと貼られた淫猥なポロライドの数々は、生きていた頃の彼らだろうか。

「・・・うぐっ・・・・」

 唇と胃の辺りを押さえて、リョウがよろめいた。

 ディーの注意が、リョウの方に向く。

 自分から銃口が外れたその一瞬を逃さず、バーンズはソファーの下から拳銃を出した。

 ディーの意識が、バーンズに戻ったその時には、すでに腕は少年の首に回され、銃口がそのこめかみに

当てられていた。

 カチリ・・・

 冷たい音を立てて、安全装置が外される。

「さぁて、刑事さんたち、持っているそれを、こっちにくれないかな?」

「き・・さま・・」

 だが、人質の命には代えられない。

 まず、ディーの手から拳銃が、床を伝ってバーンズへと投げられた。

 続いて、リョウの拳銃が床を転がり、ディーの拳銃にぶつかって止まる。

 足元まで来たディーの拳銃を、サンダルで踏みつける。

「形成逆転だね。僕だって、本当はこんなこと、したくはないんだよ。こ〜んなに綺麗な頭蓋骨に穴をあけちゃう

 なんて、さ。」

 うっとりとした表情で、少年を引き寄せると、ほお擦りをする。

 少年の身体がこわばる。

「大丈夫。恐くはないよ。素敵なお薬を使ってあげるから。夢の中で死ねるような・・・」

 なめるように、二人を頭からつま先まで見渡す。

「本当は、子供しかいらないんだけど、刑事さんたちは素敵な骨格をしているから、特別に僕のコレクションに

 加えてあげるよ。」

 きっと、素敵だろうなぁ・・・・。

 くっくっく・・・

 くぐもった笑いが、室内に響き渡る。

 狂ってやがる。

 二人の脳裏に、その言葉が浮かんだ。

 バーンズの狂気にあてられたリョウの全身に鳥肌がたつ。

 そして、ディーは。

 こぶしを握り締め、小刻みに肩を震わせている。

 泣く子もだまるように、ディーの視線を受けても、自分の世界に酔ったバーンズには届かない。

「とりあえずは、これで奥の刑事さんを縛ってくれないかな。」

 足もとのロープを蹴り、指し示した。

 ディーは、ゆっくりと、1歩1歩、ロープに近づいていく。

 ロープを取ろうと、腰をかがめたかと思うと、バーンズの右手を掴み上げた。

 人間のとっさの反応で、引き金がひかれた。

 弾は、少年のすぐ目の前を通り過ぎ、壁にのめりこんだ。

「いまだ。逃げろ。」 

 ねじりあげ、ディーが叫ぶ。

 その言葉に反応して、少年は走り出した。

 逃げた先は台所。

 冷蔵庫の横で、うずくまり、がたがた震えている。

 ディーとバーンズが拳銃の取り合いをしているうちに、リョウは自分の拳銃を拾った。

 しかし、もみあっている為に、なかなか標準が定まらない。

 決着はすぐについた。

 もつれてソファーから落ちたバーンズの上に、ディーが馬乗りになる。

 右手で胸倉を掴んで、ディーは左のこぶしで殴る。

 ついに、バーンズの手から、拳銃が落ちた。

 間髪入れずに、リョウがバーンズに標準を当てる。

 力なく、バーンズの腕が落ちた。

「ジェイク・バーンズ。殺人未遂及び、誘拐、殺人、死体損壊の容疑で逮捕する。」

  ポケットに入っていた手錠を、ディーはバーンズの手首にはめた。

「何で、何で、どいつも、こいつも、僕の邪魔をするんだ。僕はただ、子供が好きなだけなのに・・・」

 泣きじゃくるバーンズを、ディーとリョウが立たせる。

 窓の外に、サイレンの音が響き渡る。

 ようやく、応援がついたようだ。

 ホッとしたのもつかの間、リョウの胃が、一気に上がってきた。

 口を押さえたまま、キッチンへと走る。

 胃の中のものを、緑の液体の中に出したリョウが見たのは、浮かび上がってきた髪の塊。

「うわっ。」

 驚いて後ずさり、少年が床にもどした液体に足を取られる。

 転びかけて、掴んだものは、冷蔵庫の取っ手。

 勢いあまって、冷蔵庫が開き、中から、黒い塊が落ちてきた。

 それは、行方不明だったアンナ・ティンの・・・首だった。

 アンナが、うらめしそうに、少年を視線に向ける。

「・・・・あ・・・・」

 目が、あってしまった。

「うわぁあああぁぁああーー」

 かろうじて保たれていた、少年の最後の一本が切れた。

 髪の毛をわしづかみにすると、壁に向かって投げた。

 何本かが、指の間に残った。

 アンナは、壁に当たって、瞳のどろりとしたものを付着させると、バウンドして少年のもとに戻ってきた。

 額の部分も裂け、茶色のどろりとしたものがゆっくりと流れ出して行く。

「うへ?うへへへへへへへへ?」

 だらりと、少年の口からよだれがこぼれでる。

 指先が何かを求めてさまよい、冷蔵庫の横にかけてあった、肉叩きを手にした。

 腕が、高く振り上げられる。

 目標は、少女の顔。

 腕が振り下ろされる寸前に、リョウが少年を抱きしめた。

「・・・・うぁ・・・・あ・・・」

 めくら滅法に腕が振りまわされ、リョウの背中にも幾度もあたった。

「大丈夫。大丈夫だから。」

 その細い肩を、必死で抱きしめる。

 暴れても、力いっぱい、抱きしめた。

「もう。大丈夫だから。」

 少年の手から、肉叩きが落ちた。

 リョウの肩に、少年の涙のしみが広がって行く。

 サイレンの音がやんだ。

 ようやく、ついたようだ。

「終わった。」

 少年を抱きしめたまま、リョウは意識を手放してしまった。

続く

           

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