ー美濃・大和を周回 1.Ⅱー
  Ⅱ.円空館から鎧塚古墳まで (岐阜県)
  (関市・岐阜市)
11.弥勒寺官衛遺跡群・円空館  12.琴塚古墳(岐阜市)  13.柄山古墳(各務原市)
14.岐阜市歴史博物館  15.鎧塚古墳(岐阜市)


日本書紀・景行紀にヤマトタケルに関連して、大碓皇子に美濃国を任し、これが身内津(ムゲツ)君・守君二族の先祖であるとの記載がある。
日本書紀・天武紀には、村国連男依、和邇部臣君手と身気君広(ムゲツノキミヒロ)を美濃国に行かせ、安八麿郡の湯沐令(ゆのうながし)の多臣品治(オオノオミホムジ)に機密をうちあけ、その地の兵を集めさせる。多臣品治は将軍として活躍する。天皇が不破に到着する頃には、尾張国司の小子部連鉏鉤(チイサコベノムラジサイチ)が二万の軍を率いて帰属する。鉏鉤は戦勝後、自殺する。

柄山古墳と琴塚古墳
は、4世紀終りと5世紀中葉に1km内で築かれた大前方後円墳である。鎧塚古墳は5世紀はじめに眉山山頂に築かれた前方後円墳である。

11.弥勒寺官衙遺跡群 みろくじかんがいせき (国史跡) 岐阜県関市池尻   円空館 えんくうかん 岐阜県関市池尻185
壬申の乱の巧臣としての身毛(ムゲツ)氏は、律令体制下の郡領としての地位を固め、氏寺(弥勒寺)の建立とともに役所(弥勒寺東遺跡)の整備を押し進め、西の谷(弥勒寺西遺跡)で盛んに祭祀を行なった。
正面に現在の弥勒寺がある。その南面一帯が弥勒寺官衛遺跡。Click;|全体図
白鳳時代に建立された弥勒寺の跡 法起寺式伽藍配置(金堂を左に、五重塔を右に、奥に講堂を配す)、川原寺式の複弁蓮華文軒丸瓦の使用が解明されている。写真は、南門辺りから。 現在の弥勒寺 現在の達人による円空仏が境内・堂内に多数あり、自由に拝観できる。
円空館は、弥勒寺西遺跡の”水の祭祀”遺跡(奈良時代)の上に建てられている。
円空館には、白山神社の16体の円空仏が常設展示されている。白山信仰の中心となる御内神阿弥陀如来像、十一面観音像、御本地聖観音菩薩像、文殊菩薩のほかに、弁財天、護法神など多岐に亘っている。阿弥陀寺所有の天邪鬼を踏みしめた144cmの聖観音菩薩像は、光背と一体化して見応えがある。
円空館の西側・池尻山の西南山麓に池尻大塚古墳がある。ムゲツ氏の奥津城と考えられている。一辺26mの方墳と見られ、石室が露出している。
円空の墓(最上段の三基の右端)は、弥勒寺跡から円空館に抜ける道を山上へ迂回した所にある。 長良川近くの道路沿いに円空入定塚がある。円空は弥勒寺跡の南側に廃寺になっていた弥勒寺を再興した。元禄2年から6年間ここに僧籍を置き、元禄8年盂蘭盆の日に入定した。
長良川

12.琴塚古墳 ことづかこふん (国史跡) 岐阜県岐阜市琴塚3-5-37
古墳時代中期・5世紀前半の前方後円墳で、全長115m、前方部幅72.2m(高さ7.5m)、後円部径68.6m(高さ10.5m)の規模をもつ。前方部を南西に向ける。二重の周溝を持ち、内濠の幅10.5m、外濠の幅7.2mである。前方部幅が後円部径より広くなる典型的な5世紀の古墳である。造り出しは、元々はなかったと考えられている。出土品はほとんど見つかっていない。東1km内に、同時代の柄塚古墳、高塚古墳(消滅)がある。坊の塚古墳とともに、5世紀の美濃を代表する古墳で、坊の塚につづく豪族の墓と考えられている。
岐阜市教育委員会の説明板が南側と北側にある 前方部正面から
前方部から後円部へ 東側 墳丘部は立入り禁止 後円部の北側 周濠が取囲む
造り出しのように見えるが、元々は無かったと言われる。 柄山古墳(先方の山の右下の森)が西に見える

13.柄山古墳 からやまこふん 岐阜県各務原市那加柄山町152
古墳時代前期末・4世紀後半~5世紀前半の前方後円墳で、坊の塚古墳より先行する。全長82m、前方部幅38m(高さ4.9m)、後円部径54m(高さ8.4m)の規模をもつ。後円部に比べ前方部が小規模で、初期の前方後円墳の特徴を有する。前方部を西南に向ける。前方部二段・後円部三段の構成で、葺石や埴輪の存在が確認されている。鶏を模した形象埴輪の頭部が出土している。主体部については不明である。この地の有力豪族の墓と考えられる。周濠も存在したと思われるが、開拓が進み確認されていない。。
各務原市教育委員会の説明板 前方部先端(西側)に石段の登り口がある。
東側から見る古墳全景(南側から) 独立丘柄山の山頂にある。左が前方部で、右が後円部
前方部に登り、後円部を見る 後円部より前方部を見る

14.岐阜市歴史博物館    岐阜県岐阜市大宮町2-18-1
金華山・岐阜城の麓にある。「ぎふ歴史物語」と「伝統と技と美」を紹介する総合博物館。

「ぎふ歴史物語」では、戦国時代を大きくとりあげている。斉藤道三・織田信長、美濃刀と美濃彫、焼物のワンダーランドである。

先史から古代の展示物にも見るべきものが多い。縄文時代の日野遺跡や寺田遺跡などが紹介されている。縄文前期の御望(ごも)遺跡出土のベンガラで塗装した赤彩土器や縄文後期・晩期遺跡である佐野遺跡からは、飛騨特有の御物石器が出土している。

金華山南側にある瑞龍寺山山頂の弥生時代後期遺跡は、舶載鏡を出土したことで著名である。鏡は内行花文鏡で、ほかに中国製の碧玉製管玉やガラス製小玉、土器片が出土した。

15.鎧塚古墳 よろいづかこふん 岐阜県岐阜市眉山
標高231mの眉山(びざん)頂上にある。約180mの比高差を一気に登る。ちっとしたハイキングとなる。
古墳時代前期末・4世紀後半~5世紀初の前方後円墳。全長82m、前方部幅40m(高さ4.0~5.0m)、後円部径33m(高さ5.0m)の規模をもつ。くびれ部が深い。葺石や埴輪が確認されている。主体部は不明だは、竪穴式石室の可能性がある、江戸時代の盗掘で鏡が出土したが、埋め戻されたという。。
眉山には、NTTドコモの電波塔への看板・工事用道路を頼りに登る。入口には車両進入禁止の鎖がある。何人かのハイカー(トレーニング)に遇う。 登り始めると、樹間に金華山が見え隠れする。
行き止まりは、NTTの電波施設。すぐ左に、鎧塚古墳の古ぼけた説明板があり、金網フェンスに入口扉(鍵はない)がある。 岐阜市教育委員会の説明板
扉を開けて入り、少し木々の間を登ると、後円部の下に到着する。写真の左側に踏み跡があり、山頂につづく。。 山頂(墳頂)直下
山頂(後円部)は平坦になっており、三角点がある。 くびれ部が深いので前方部へは細い道が樹間につづく。
前方部は広くなっているが、NTTの施設が陣取っている。 鎧塚古墳からは、濃尾平野が一望できる。

前に 次に