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2000年1月の感想

ちょこっとした感想を「日記のフリ」のほうに書くこともあるので、そちらもどうぞ。

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『子供たちの時間』(溝口譲二) (1/1)
『東京純情コンバース(2)』(佐野裕貴) (1/13)
『A2Z』(山田詠美) (1/14)
『猫に時間の流れる』(保坂和志) (1/25)
『ワレワレハ』(かわかみじゅんこ) (1/27)
『ラブ&カタストロフィー』(語シスコ) (1/27)
『風と木の詩』(竹宮恵子) (1/29)


橋口譲二『子供たちの時間』小学館 1999

*感想
全国の小学校6年生のポートレイトと、インタビュー集。今一緒に暮らしている人/今朝の朝食/好きな音楽/最近読んだ本/最近買ったもの/1か月のおこづかい/今一番の楽しみ/今まで行った一番遠い所/リラックスする場所・ホッとする時/どんな大人になっていきたいか。

当たり前ながら、環境も様々で、中にはえっ?と驚くようなシビアな環境に置かれている子もいる。雑誌で、小学校5年生と6年生の写真を撮る仕事をした著者。が、5年生と6年生は明らかに違うと感じたという。実際、彼らはちゃんと大人なのだなあ、というのが伝わってくる。とびらのところの言葉「私たちはこれまで、彼らの声に耳を澄ませたことがあるだろうか」を実感。子供に接する機会がないので、なおさらそういう機会が少ないのだけど、その意味でこの本は、私にとって貴重に思える。

12/31-1/1に、年をまたいで眺め読んでいたことになる。夜中にあとがきを読んでいたら、涙がこぼれそうになって、誰かにこの「あとがき」を読んでこの気持ちを共有して欲しくなり、じりじりしてしまった。だけど、写真とインタビューを経ての「あとがき」じゃないと、この思いはわかってもらえそうにない。

2000/1/1


佐野裕貴『東京純情コンバース(2)』吉祥寺企画(ラキッシュノベルズ)

*感想
(1)が良かったので、Tmiさんに頼んで送ってもらったのに、(1)のほうが印象深かったことを気付かされてしまった。つきあっている2人の状態は確かに危機にさらされるんだけど、降ってわいたような事件を無理矢理からめたような感じが否めなかった。うーん、残念。

2000/1/13


山田詠美『A2Z』講談社 2000

*感想
編集者を職業とする夫婦2人を軸に、それぞれの恋人+新人作家が絡む展開。AからZまでの英単語を文中に織り交ぜて。

この話は好きだ。気持ちの描写ばかりで少し疲れるけど、ほどよく軽妙。終わり方には、じんとしたし。これは恋人同士じゃ築けない状態・ふるまえない行為、でしょう。こういう夫婦の関係、ハタから見ると悪くないと思うし、ある意味理想だけどなあ。そんなこと言うのは不謹慎でしょうかっ>既婚者

ちなみに、『ぼくは勉強ができない』の時田秀美くんのお母さんが、主人公夏美さんの同僚として登場。おお〜、『ぼくは勉強ができない』でもかっこよさを発揮してましたが、こちらでもしっかり光ってます。最後のほうの印象的なセリフは、この方の口から発言されたもの。

印象に残ったフレーズは、「叙情」、及び、「恋の相手とチェスをする、というあまり一般的ではない場面」(p.78) 恋愛相手とゲームすることないですか、チェスってのが異色なのかな?

2000/1/14


保坂和志『猫に時間の流れる』新潮社

*感想
最初っから猫猫猫、やっぱり眠くて私は猫話は嫌いなんだと気付いたけれど、もう1ページめくる頃には好きになっていた。猫の目のあたりを見つめてみたい。

保坂和志の小説を読んでいると、時々、まるごと引用したくなる一角が出てくる。ある事柄、ある状態、ある思いを説明するために、何行かで展開されている一角。「気に入った文章をその中から一つだけ取り出すこと」ができないのは、文章というより、その示している内容が気になるからなのだろう。でも、もし、内容(だけ)が気に入ったのだったら、私がその内容を人に説明するのに自分の言葉で言い換えが可能なはず。なのに、それがうまく伝わらない気がするのはどうしてなんだろう。ある内容を示すのに、唯一無比の言葉(表現方法)があるわけじゃあないのにね。となると、やはり、私がその一角を好きなのは、内容だけじゃなくて、その表現も? という考えに行き着いたりもする。表現と内容は分離しそう(できそう)で分離できないものなんだろうか。

2000/1/25


かわかみじゅんこ『ワレワレハ』宝島社 1999

*感想
朝日新聞の記事で、枡野浩一氏が選んだ1999年のコミックベスト3の中の2冊らしく、Mneさんが買って読んで、私にも貸してくれたもの。

コマ割りは大きいし絵も大きいし、あまりセリフもない。ささっと読み終わるはずが、どうしてこんなに時間がかかるのだ。「えっとー……」と考えこんでしまう部分多し。

言語明瞭意味不明っていうんでしょうかねこれは。物の感じ方って、個人の中で変わる(歴史がある)とは思う。で、世代間での断絶も、やっぱりあるのかも、と思わせるものがあった。自分が、この漫画の中の年齢の時、果たしてこういうふうに思ってたのか?って。でもそれは、私が歳を取って考え方が変わったからなのか、生きている時代による違いなのか、確かめるすべがない。

2000/1/27


語シスコ『ラブ&カタストロフィー』マガジン・マガジン 1999

*感想(同上)
一見して鼻血出そう。読むエネルギーがあるのか、かなり心配だったもの。うぇ〜、鼻血ブー的肉体描写はいらない! と思いつつ、気持ち描写がひどく繊細だったりなんかして、このギャップはなんなのだ! ちゃんと泣かせどころを突いてくるのがすごい。それにしても、肉体的描写が描写なだけに、感動してしまう自分がなんだか、なんだか……。全然いいんだけどねっ。

2000/1/27


竹宮恵子『風と木の詩』白泉社文庫

*感想
予想どおり、繊細で、せつなくて、息苦しい物語。息を詰めて読んでることに気付き、時々顔を上げて「ふーっ」と深く息をします。愛を求めてやまない(残酷な不器用さ!)ジルベールと、愛する対象を求めてた(のだと私は思う)セルジュ、なんて言ってしまっては、あまりにお気楽。うん、そうだなあ、確かに、さまざまな愛がここにある。

ジルベールとセルジュは、見ていてあまりに息苦しくて、泣くことさえ忘れる。そのかわり、セルジュの両親のエピソードでは、思いっきり泣きました。アスランの、世界の瞬間瞬間に対する思い、愛がたまらないのです。見落としてしまいそうなものに対する視線の描写。ぐっときた。「ぼくって感傷的」とか言って照れてるし! 日々が、限りある瞬間の連続であることに気付いたら、もう少し幸せになれるような気がする。

『小公子』っぽいエピソードにも弱いことを発見。広いテーブルで食べると遠くて顔が見えない、さみしいからそちらに行ってもいい? というアレです。ぐわ〜。

こういう物語の中に出てくる、傍観者的役割をする人物に興味がある。今回はパスカル。状況に対して一番冷静なようでいて、それでもおさえるところはおさえる、っていう、冷静さと熱さのバランス(距離の保ち方?)に憧れるんだろうか。

「純粋」を目の当たりのすると、私はいつも「純粋さ」って強力な武器だと感じます。攻撃する為の武器ではないけれど、知らずに強く自分を守ってくれて、結局は相手との関係を変えてしまう術のようなもの。「北風と太陽」の「太陽」に憧れないですか。

2000/1/29


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