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2000年4月の感想

ちょこっとした感想を「日記のフリ」のほうに書くこともあるので、そちらもどうぞ。

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『メルロ=ポンティ入門』(船木亨) (4/3)
『炎の背景』(天藤真) (4/10)
『せつない手紙』(小嵐九八郎)(4/11)
『意外体験!イスタンブール』(岡崎大五) (4/13)
『仮面の島』(篠田真由美) (4/15)
『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』(ナンシー関) (4/19)
『手術室の中へ−麻酔科医からのレポート』(弓削孟文) (4/19)
『破戒法廷』(ギ・デ・カール) (4/20)


船木亨『メルロ=ポンティ入門』ちくま新書 2000

*感想
うーん…、メルロ=ポンティは1冊(『見えるものと見えないもの』)しか読んだことないですけど、この「入門」を読んでたら、著者が何を言いたいのかわからなくなっちゃって、メルロ=ポンティ自体読んでるほうがわかりやすかったなあと思いましたです。


天藤真『炎の背景』創元推理文庫 2000

*感想
スリルがあるわりには、地味な印象。ただし、その地味なスリルの中に、スリルとは別のところでぐっとくる要素を忍ばせているのが、心憎い。ドキドキしていたのはスリルに対してではなく、描かれている素朴で純な「愛」(きゃ!)に対してだったのです。

2000/4/10


小嵐九八郎『せつない手紙』ちくま新書 2000

*感想
状況や目的に合わせた手紙の例と説明。著者の味のある実例が多くあげられていて、その説明にもおかしみがある。でも、軽妙さの中に、さまざまな状況に対する著者の考えが骨っぽく書かれている。それがいい。

ところで、手紙(紙に書かれた手書きのもの、とあえて限定してしまおう)って、本来せつないものだと思う。その人が今ここにいなくても、ずっといなくなっても、残しておけば残っているもの、瞬時には消えない消せないもの。それが声とは違う部分。そしてそれを捨て去るためには、実際紙に触れないといけない。燃すにしろ、破くにしろ、手紙そのものに触れないと。ここらへん、電子な手紙だと、触れるという単語を使えないように感じる。そこには、内容はあるけれど、それを載せた媒体の手ざわりがない。だからもちろん、消した時の喪失感というのは、内容がなくなったという点では共通してあるけれど、手紙を捨てるというのには、どこか儀式的な雰囲気があるようにも思う。

2000/4/11


岡崎大五『意外体験!イスタンブール』祥伝社黄金文庫 2000

*感想
意外体験だったのは、ツアー参加者たちのドタバタであって、トルコにではなかったね。英語で言ったら"The travel and the troubles in Turkey"って感じ。キテレツ(死語?)な参加者たちとは裏腹に、見学したスポットに対する記述が歴史的背景もきちんと絡めていて丁寧。

2000/4/13


篠田真由美『仮面の島』講談社ノベルス 2000

*感想
「法と正義を振りかざして人を糾弾する資格は、少なくともぼくにはない」(p.287)と言い切る蒼。同じように、「人の身で人の罪を暴くことに意味はあるのか」(p.315)という意思とは裏腹に、(毎回)探偵役を引き受けてしまうことになってしまう桜井京介。2人がこういう思想を持っているからこそ、私はこのシリーズを読み続けているのだと思う。そして、一方で、どうしてミステリを読んでいるんだろう? 何を求めているんだろう? という自分自身への問いが、いつも発生してしまう。

桜井京介の口から、「断罪」なる言葉が出たことなんてあったっけ? 意外なほど強い口調で、彼は臆することなく口にした。このあたりの対話は、法月綸太郎の『頼子のために』を思い出させたのだけど、決定的に違うのは処理の仕方だ。その処理の仕方を、「根っからの悪人はいない」と言ってるとか、ただのセンチメンタリズムになってしまった、と言ってしまうのはたやすい。私自身、読んでいる最中は、対話相手の言葉を甘ったるい嘘かと信じてて、そのままそれが嘘ならばすごいのにと期待していたら、本当に本音だったので物足りないと感じた。でも、だからこそ、最初に引用した2人の思想が活きてくるのだと思う。

蒼がずいぶん強くなった。京介が、自分に強さが欲しいと思ってるなんて、蒼は思ってもみないんだろう。表に出している・見せている部分、内面に隠している・見せないようにしている部分は、京介、蒼、深春の3人で異なるけれど、その3人がお互い必要な存在であるのは変わっていない。

2000/4/15


ナンシー関『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』カタログハウス 2000

*感想
帯に、"与えられたお題を、記憶だけを頼りに描く。それが「記憶スケッチ」"と書かれているように、一般の人から募った「記憶だけを頼りに書いた絵」が載ってる。カエルから始まって、ペコちゃん、カマキリ、自転車、ひょっとこ、スフィンクスやランドセルまで。

絵もすごいんだけど、付けられたコメントとの相乗効果でもっと笑える。家でゲラゲラ笑いっぱなし。電車の中では読まないほうがいい。

私は絵がすっごい下手なので、私がこのお題を与えられたら同じように、いや、これよりもっとひどいよなあ、と思いながら読んでもいた。記憶の中に浮かぶお題の姿は、ちゃんと正しいものなのに、それがうまく手の運動機能に伝わらないもどかしさ。「画力」と「記憶」の問題についてなど、後半の考察も読んでいて面白く、かつうなづくことが多い。

2000/4/19


弓削孟文『手術室の中へ−麻酔科医からのレポート』集英社新書 2000

*感想
"手術の進行役であり、患者の状態を逐一チェックしている「麻酔科医」が、はじめて明らかにする情報公開の書。全身麻酔をかけられるとどうなるのか。お腹を切られるとどうなるのか。意識は?痛みは?豊富な事例をまじえて手術のすべてを教えてくれる。"(表紙折り返しより)

というわけで、手術室の中が見られなかった私は(入る前から催眠状態で記憶なし)、読みたくなって。どきどきする内容だけど、自分はどうされていたのかという興味のほうが上回っているので、不思議と読みすすめられたし、とてもわかりやすく書かれている。

「麻酔」に対する意識が変わった。「麻酔すれば痛くないから安心」くらいにしか思ってなく、身体の機能自体も抑制されてしまうきわどい面も持っているということまでは、考えたことがなかったので。全身麻酔だと呼吸機能も止まるので人工呼吸することになるなどなど。ただ神経を麻痺させるものだけだと思ってた……。このあたり、かなり詳しく書かれていて、簡単に「全身麻酔をお願いします」とは言えないのだと実感。

くり返していう。手術は無痛という麻酔状態のもとで、患者さんに加えられる計画的・合法的な外傷である。(p.59)

2000/4/19


ギ・デ・カール 三輪秀彦訳『破戒法廷』創元推理文庫 1984
Guy Des Cars,LA BRUTE,1951

*内容紹介(とびらより)
年に数回、それも浮浪者の弁護に立つくらい。それが活動のすべてである老弁護士のもとに、実にセンセーショナルな事件が持ち込まれた。大西洋横断汽船内で発生したアメリカ青年殺し。すでに犯行を自供しているのは、目が見えず、耳が聞こえず、口もきけない巨大な体躯の男。犯行現場からは、この男の血まみれの指紋も採取されている。しかも彼は、裁かれることをひたすら望んでいるのだ! 誰もが有罪は確定的だと思った。だが老弁護士は、一見怪異な容貌の下に隠された男の真の姿を見逃さなかった……。

*感想
パッとしない老弁護士と三重苦の容疑者。8割がた法廷場面で構成され、さまざまな人の証言によって、三重苦の容疑者の過去、彼へ向けられる感情が明らかになり、何も発しない彼の姿があらわれてくる仕組み。

老弁護士の活躍ものというわけでもなく、二人の心温まる交流にページがさかれているわけではない。設定はドラマチックなのになんだかもったいない気がした。

証人が出てきて、読者の疑惑を当たり前の方向に向けさせたまでは良かったんだけど、そのあとの失速がつらかった。それが意外な犯人だからこそ、「聞かされただけ」感が強い。地道な捜査があるでもなし、容疑者との心を打ち解けた"会話"があるでもなし、急に始まった裁判において、老弁護士がいつの間にか調べたことを、ただただ聞かされただけだったから。

容疑者が何も発しないのは、三重苦だから、ではない。彼は"言葉"を身につけていたけれど、発言したくないから黙秘を続けていた。そういう意味では、三重苦に設定した意味はあまりない。ただ、彼の過去におけるドラマチックな言語獲得物語は感動的だったし、彼の妻との関係はシビアなところまで踏み込んでいる。その点は、三重苦という設定だからこそだと思った。

2000/4/20


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